第二章

銅島ハクアの覚悟

俺は千金楽家から荷物を持ってきた。

それは、俺は台明寺先生と共にする為だ。

台明寺先生は向こう十年は俺の面倒を見てくれると言ってくれた。

なので、十年はこの町には戻らないと言う事だ。


子供にとっての十年は長いものだ。

なので俺は家に荷物を取りに来たのだ。


「…帰って来るのは、十年か」


家の中。

家族の匂いが残る空間は、目を瞑れば喧噪を思い出す。

もう二度と戻らない日常に、胸が締め付けられるが、何時までも感傷に浸る事はしない。

必要な荷物を持って玄関から外に出る、誰も居ない筈の家の中だけど、それでも俺は言わずには居られなかった。


「いってきます」


そう告げて玄関の扉を閉める。

鍵をかけると、俺は鍵の尻に紐を括りつけて首からぶら下げた。

家の管理は銅島先生が紹介してくれた家政婦さんがしてくれる。

榊枝家から貰った生活費は、其処から渡される様になった。

二度と戻って来ないワケじゃない、今度戻って来る時は、家族を連れて帰る。

アカネを迎えに行って、そして、改めて言うのだ。

ただいま、と。


その様に決意をして、俺は道路を飛び出す。

軽トラがその場に留まっていて、笠間と呼ばれた人が顔を出した。


「やあ、アカシくん」


笠間さんは、屈託の無い笑みを浮かべている。

銅島先生が、予め移動手段として用意してくれたのだ。


「ありがとうございます、笠間さん」


俺は頭を下げると軽トラの扉を開ける。

そして助手席に座るとシートベルトを装着した。


「それじゃあ出発するよ、勿論、安全運転でねっ!」


笠間さんは元気な人だった。

運転をしながら沢山俺に話し掛けてくれた。

酒を飲み過ぎて、狙っていた女性に向けて吐いてしまいフラれてしまった事。

低級の祅霊を斃そうとしたら、それがお地蔵様で刀が突き刺さり中々抜けなかった事。

そんな、少しクスっと笑えるような事ばかりを話してくれる。

正直、そういう話を聞いても、今の俺は笑える自信など無かったから、笠間さんの話はとてもリラックス出来る。


俺の事を気に掛けて、心配しているのだろうか、とも思ったが、笠間さんの性格上それは無さそうだ。

俺の事を話題にする事無く、自分の事しか喋らないから、余程、お喋りをするのが好きなのだろう。

道中、退屈しなくて済むので、有難い事ではあるのだが。


「いいねえ、こんな田舎町から離れられるんだろう?嬉しい事じゃないか」


「けど、家の事が心配で…家政婦さんが時々、様子を見に来てくれると言ってましたけど…」


幾ら家政婦さんが家にやって来ると言っても、毎日じゃない。

家の中には、幾らか家具が残っている。

家政婦さんが来ない時間帯を狙われてしまえば、成す術が無かった。


「なら安心しなよ、僕が居るからさ、家の周辺を巡回しといてあげるよ、何が起きても、僕がいち早く勘付けるし」


と、笠間さんはそう言った。

その話は正直、ありがたい事だ。


「いいんですか?」


「うん、千金楽さんには、よくして貰ってたからね…だから、これは僕なりの恩返しって所かな?」


笠間さんと父さんがどの様な関係であったのかは分からない。

けれど、こうして車を出してくれるところを見るに、悪い人じゃないのは確かだ。



「あの…だったらこれ、渡しておきます」


俺は、ポケットから家の鍵の予備を取り出すと、それを笠間さんに渡す。


「え、なにこれ?」


笠間さんは運転しているので、ちらりとしか俺の鍵を見る事が出来なかった。

なので俺が持っているものを笠間さんに教える事にする。


「家の鍵です、何かあれば、俺の家を使って下さい」


「いやいや、それはちょっと、家族の家でしょう?それを赤の他人に渡すなんてダメだよ」


笠間さんの言う事は尤もだ。

だけど、家の周辺の巡廻もしてくれると言ってくれた。

車だって、旅行へ行く時も出してくれたのだ。

何よりも、今の俺は、赤の他人と言う言葉が気に掛ったのだ。

この人がここまでしてくれているのに、何もしないと言うのは余りにも不義理が過ぎる。


「父さんはきっと、笠間さんを信用してますし、俺もそれに乗っかる、と言うワケじゃないですけど、それでも、この義理をカタチにしておきたいんです、…それでも、受け取らないと言うんでしたら、大人しくしまっておきます」


運転しながら片手を此方に差し出してくる。


「あー…分かったよ、そう言うのなら、預かっておくよ、まったく、信用とか、キミのお父さんも良く口にしていたね…父親に似たんだね、アカシくんは」


俺は父さんが褒められたみたいで嬉しくなった。

鍵のスペアを、笠間さんに渡すと、笠間さんはそれを強く握り締める。


「何かあれば、鍵は使わせて貰うよ、家に強盗が入ったり、祅霊が棲んでいるとかだったら使わせて貰うからね」


笠間さんは良心的な人だった。

あくまでも、家の周辺の事は任せて貰うと一環していた。

多分、父さんはそう言うところを気に入ったのかも知れない。


「家のこと、宜しくお願いします」


俺はそう言って頭を下げる。

笠間さんは二つ返事をしながら、少し口数が少なくなった。

父さんと仕事をしていた時の事を考えているのだろうか。

しんみりとした車の中で、俺はようやく、駅へと到着するのだった。


駅前では、銅島先生と、ハクアが居た。

台明寺先生と、二名の抜刀官は慎重に包まれた刀を警戒しながら見ている。

その刀が、魔剣妖刀である〈襲玄〉だった。


「忘れ物は無いかい?」


銅島先生はそう俺に言った。

俺はバッグを背負った状態で頷いた。


「はい、大丈夫です」


そう言うと、銅島先生は俺の前へ向き、堂々と頭を下げる。


「アカシくん、申し訳無かった」


詫びを入れられて、俺は面食らう。

近くに居た笠間さんが俺の隣で耳打ちをした。


「銅島さんに何したの?アカシくん」


話は長くなるので、少し事情が、と濁す。

しかし、銅島先生が謝罪をしているのは、やはりアカネ関係だろう。

俺の説得をする代わりに、ハクアの病を治す為の薬を得る。

その交換条件で、ハクアの病は次第に良くなっている。

銅島先生は、俺の事を売ったと思い、自責の念にかられていた。

その事に対して、俺は恨んではいない。


「銅島先生、…俺は気にしてないです、アカネの幸せを、ハクアの未来を想うのなら、これが一番良かったんです…それに、俺が強くなる為の理由も出来ましたッ!ただ一つ、気掛かりがあるとすれば…」


銅島先生は顔を上げる。

俺の気掛かりと言う言葉に気に掛ったのだろう。


「雷迅流、結局一つも覚える事が出来なかったと言う点だけです、あれを覚えれたら、俺はもっと強くなれたんですけど…」


「…台明寺先生の稽古が終わったら、もう一度、私の家に来ると良い、その時は、一つの技と言わず、私が教えられるものなら、なんでも教えよう」


銅島先生は其処で俺が先生の事を恨んでない事を知った。

柔和な笑みには申し訳なさが残っているけど、それでも、俺達の関係にしこりは残る事は無いだろう。


「アカシちゃん」


駅前で待っていた、ハクアが話し掛けて来る。

榊枝家から貰った産霊火で作られた薬が効いているのか、俺が見かける彼女は、普通の少女と同じ位に動く事が出来ている。

手放しで喜べる事態だ、銅島先生はハクアは十歳になる前に死ぬと語っていた、この様子なら、ハクアは普通の少女として長生き出来るだろう。

もう、俺が傍に居て慰めなくても、彼女は生きていけるのだ。

そうなれば、俺なんかに依存しようとしていた傾向も改善されるだろう。

何せ、心が弱くなれば人は何にでも縋る、神など居ないと豪語していた人ですら、病に伏すと神に祈るのだから、縋るものがあると、安心感が違うのだろう。

だから、俺はもう彼女の傍に居なくても大丈夫なのだ。

これから先は、良い方向へと改善されるだろう。


普通の女の子として生きて、普通の関係を持ち、普通の幸せを掴める筈だ。

彼女程の艶めかしい女性ならば、男などとっかえひっかえだろうし、俺の事などすぐに忘れてしまう筈。

だがそれで良い、そちらの方が、俺も安心出来ると言うものだ。


「元気になって良かったな、本当に良かった」


ハクアの健康的な肌を見ながら言う。

出会った当初は、蒼褪めた死体の様な真っ白な肌には、血液が通っていて、赤くなっていた。


「今度、いつ戻ってくるの?アカシちゃん、私、元気になったから、もっと、色んな事をして遊びたいの、アカシちゃんと一緒に…」


その言葉に割って入るのは、台明寺先生だった。

こことぞばかり、ハクアに期待を持たせない様に、台明寺先生は自ら悪役を買ってくれた。


「悪いが、儂が見る以上は抜刀官として完成を目指して貰う、十年は何処にも行かせんぞ」


十年。

大人になれば少し長いと言う認識だろうが、子供にとっての十年は百年に勝る。

子供の頃から、一日一日が長く感じたのだ、ハクアにとっては悠久の時なのかも知れない。


「それが出来なければ台明寺の名折れ、儂が納得せねば、お前には腹を切って貰う」


台明寺先生は俺の顔を見ながらそう言った。

言い方自体はあまりにも酷い言い方だ。

だがその言葉は逆に俺の向上心を上げさせてくれる発破の様なものだった。

台明寺先生もそれを理解しての事だろう。

即ち、女に現を抜かすなと言う意味だ。


「…アカシちゃん、だったら」


胸に手を添える。

寂しい、と言う気持ちがあるのだろう。

けれど、ハクアは覚悟を決めた表情をした。


「次に会う時は、同じ場所」


ハクアはそう言って、俺の胸元に飛び込んで来た。

他の人達が見ている中でその行為は見られている分恥ずかしいが、幸いにもそれを茶化す様な大人は居なかった。


「私も、アカシちゃんを追うから…試刀館学院に通って…其処で、アカシちゃんと一緒になるから…だから、その時になったら…私と結婚してね?」


ハクアの言葉は本気だった。

俺以外の人間に目すら向ける事が無い。


「…ハクアまで、人生をそう簡単に決めるものじゃないよ」


俺は説得しようとした。

だが、ハクアは俺の話など聞いていなかった。

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