家族である限り約束は破れない
俺と銅島先生、そして神官が居る空間。
そこで、最初に口を開いたのは銅島先生だった。
「神官の方は、アカネちゃんを榊枝家に迎え入れたいと言っている、そこでは緋之弥呼になる為の教育が行われる、人生は定められてしまうけれど、何不自由のない生活が約束されるんだ」
兄妹は離れ離れになってしまう。
けれど、父さんと母さんと一緒に生活していた頃よりも待遇も環境も良くなると言ってくれた。
榊枝家は緋之弥呼の家系だからこそ、かなり裕福な生活をしているらしい。
「緋之弥呼様の血筋ならば、千金楽家も招き入れても良いと、御当主は言っているざます」
神官はその様に言った、その口調は仕方なく、嫌々と言った具合だ。
俺だって、あんたらみたいなやつらと一緒には居たくない、だけど。
…父さんも母さんも居なくなった今なら、どのような場所でも、アカネが幸せになるのなら、それで良い。
そう思っていたけど、俺は、認識が甘かった事を悟る。
「緋之弥呼様を作った両親は榊枝家の門を潜っても良いざます…が、少年、貴様は駄目ざます」
少年、俺の事だ。
俺だけが、榊枝家に入る事は許されないと言って来た。
何故、と考える間も無い。
こいつらの言葉は、血統を重んじるものだ。
まだ、千金楽家はアカネとの繋がりがあるから、渋々許容出来るのだろう。
だが…俺は違う、俺は、拾われた身だ。
血の繋がりは、何処にも無いのだ。
「血の繋がらぬ赤の他人を、榊枝家に入れるワケには行かないざますから、まあ、丁度良いざます、まだ小さな緋之弥呼様、今から教育すれば、少年の事も千金楽家の事も忘れるざます、元々赤の他人なのだから、変な噂も立つ事も無いざます」
血の繋がりが無くても。
家族としての繋がりがある。
アカネを渡してたまるか。
俺のたった一人の家族だぞッ!!
「妹は、俺の家族だ、…あんたらに渡せるかッ」
俺は腹の底から叫ぶ。
肺が痛くてたまらない。
だけど、反抗の意志を示す。
けれど、神官は俺の声に大した恐ろしさを抱く事も無く突っぱねた。
「ふん、ごねると思ったざます、なので喜ぶが良いざます、少年、榊枝家は寛容ざます、当面の生活費と学費を納めてやるざます、それを以て、今後、緋之弥呼様との関係も断って貰うざます」
それはつまり。
大切な妹を、自分の将来の為に棄てろと言っている。
俺に対する侮辱と、舐めた態度が気に食わず、俺は叫んだ。
「金で売れって言うのか…っ!!俺の妹を、ものみたいにッ!!」
神官はうんざりとした様子だった。
溜息を吐くと共に、隣に居る銅島先生に顔を向けた。
「聞き分けの無い子供ざますなぁ…もっと大人になるざます、この男のように…」
この、男。
銅島先生…その後ろめたい表情は、なんなんですか?
買収されたんですか?銅島先生ッ!!
銅島先生は俺の眼を気にしていた。
失望の色を伺っている様子で、銅島先生らしくない表情だった。
「なんで、黙ってるんですか…っ!なんとか言って下さいよ…先生ッ!!」
俺は叫ぶ、声を出そうとして、口を閉ざす。
それでも、言わなければ伝わらないから、銅島先生はゆっくりと話し出した。
「…済まない、アカシくん、私が、一番大事なのは…娘なんだ」
娘…。
銅島ハクア。
そうか、きっと、先生は、こいつらに脅されているんだ。
ハクアを人質に取られて、俺を説得する様に言わされているんだ。
けれど、神官は俺の考えを黒く塗りつぶす様に、先生の事情を説明した。
「この男も最初は家族を離すものじゃないと抵抗したざますが…娘が病気と聞いたざます、なので、緋之弥呼が生み出す産霊火で成長した薬草を煎じた薬を分けてあげたでざます、世に出回る事の無い万能薬、服用すれば、寿命は伸びるざますよ」
…あぁ、そうか。
銅島先生には、銅島先生の家族が居る。
俺にとってアカネが唯一の生きる糧であるように。
銅島先生にとっては、ハクアが生きる糧なんだ。
だから、ハクアを死なさない為に、死力を尽くしているんだ。
「…娘は十年も生きられない体だ、天秤なんてものに懸けられない程に大切な存在…娘が生きられるのなら、私は悪鬼にすらなる…だから、申し訳無い、アカシくん」
頭を垂れる銅島先生。
その気持ちは今、俺には分かる。
誰を犠牲にしてでも、大切なものを守りたい。
けど、銅島先生、俺だって、アカネは大事なんだ。
「ッ、銅島先生が、なんと言おうと、ッ!俺の妹は、誰にも渡さないッ!!絶対に…ッ!!」
感情が昂る。
誰にもアカネには触れさせない勢いで叫ぶ。
だけど、俺の激情に対して、冷静に銅島先生は対処してくる。
「また、今回の様な事が起こっても、かい?」
今回の事。
妖刀師による襲撃事件。
目的は、魔剣妖刀だったけど。
彼らはアカネが緋之弥呼と知り、目の色を変えた。
そして、それがあるからこそ、次からは、アカネを狙うだろうと言って来る。
「緋之弥呼は貴重な存在だ、万能薬の製造、炎命炉刃金の鍛造、それらは産霊火と呼ばれる生命の活性化を行う力があるが故の賜物だ、当然、その存在が、組織の楯も無く外に
現実を突きつけられる。
今の俺はただの子供だ。
ただ、前世の記憶があるだけの子供。
まだ、身体の傷が無ければまだしも。
未だ傷の癒えない体のままで、どうやって彼女を守るのか。
そう言われた、それでも、俺は。
「でも…でも、おれは…っ」
俺は、アカネのお兄ちゃんだ。
だから、どんな手を使ってでも、傍に居たいんだ。
けれど、銅島先生は、俺を理解している。
その先の言葉を、銅島先生は告げた。
「キミは、アカネちゃんのお兄さんだ…だからこそ、何をすればアカネちゃんを守れるのか、考えなさい…尤も、物で釣られた私の言葉では、響かないかも知れないが…」
…十分に響く。
俺に残る選択肢。
俺の我儘を通して、妹を危険な目に遭わせるか。
俺の我儘を我慢して、妹を安全な場所に置くか。
どちらを選ぶのが…アカネの為になるのか。
「緋之弥呼様に禍根を残さぬ様に、少年が榊枝家へ行く様に言うざます、これは少年の未来では無く、緋之弥呼様の為に行うざます、どちらにしても、今日を過ぎれば、緋之弥呼様は連れて帰るざますが」
神官はそう言った。
俺は最後まで、自分の我儘を押し通す事が出来なかった。
その日の夜は、ずっとアカネと一緒だった。
久し振りに俺と一緒に居れて嬉しいのだろう。
何時もよりも倍のテンションで、俺に一日中張り付いて来た。
俺は寝込んで動けないけど、その代わりにアカネが部屋の中を歩き回る。
そんな姿を眺める俺は、楽しいと言う感情を思い浮かべると共に、アカネと共に過ごして来た事を思い出す。
『にーに、まって、まって』
まだ上手く歩けず、それでも俺の後ろを追って、よちよちと歩くアカネ。
俺が少し、離れると、アカネは抱き締めてくれなくて、泣き出した。
『まってぇ、にーにぃ、にぃにぃ!』
俺の後ろを追ってくれる、小さな命。
何処までも、遥か先の未来でも、俺の後ろを辿ってくれると思っていた。
けれど、そんな未来は来ないのだ、今日が過ぎ去れば、アカネとはお別れなのだ。
「…くッ」
もしも、身体が動けば。
アカネを抱き締めて、この場から逃げ出しただろう。
…今からでも、きっと遅くは無い。
無理をすれば、アカネを連れ出して逃げる事が出来る筈だ。
今の俺には、アカネしか家族しか居ないから。
アカネを失ったら、俺は、家族と呼べる様な人が居なくなる。
その孤独にきっと耐え切れないだろう。
「あぁ…アカネ、俺と…」
一緒になって、逃げよう。
そう言いたかった。
けれど、あの時の声が何度も木霊する。
『うぅううぅううぅううう!にぃにっ、にぃに、いじめるなぁああ!!』
泣き叫び、俺が望月アクザたちによって暴力を振るわれた際。
アカネは顔を真っ赤にして、大粒の涙を流していた。
俺の顔を見て、大切な兄が怪我をされて、どれ程の恐怖を味わっただろうか。
また、アカネをそんな怖ろしい目に遭わせるつもりなのか?
俺の我儘は通せる筈がない、何時までも、この太陽の様な笑顔を見続けていたいのならば。
俺は、太陽とは掛け離れた、暗闇の中で過ごす覚悟が出来る筈だ。
「にぃに、あかねとずぅっといっしょっ!」
無邪気に笑うアカネは、大人になっても、俺の事を覚えてくれるだろうか?
もしも、忘れてしまったのなら…そうなると、少し寂しいけれど。
太陽のような笑顔は、曇る事は無いはずだ。
「アカネ…お兄ちゃんの事、好きか?」
そう聞いた。
アカネは俺の傍に寝転がりながら、日輪の如き無邪気な笑みを浮かべてくれる。
「だいすき、にぃにっ!!」
その笑顔があれば、この先の未来、挫ける事なく歩いて行けるだろう。
千金楽アカネの兄として、千金楽アカシは、妹の為に、胸を張れるのだ。
そうして、俺は…千金楽アカネに、さよならを言う準備をする。
「アカネ…俺の話を聞いてくれ」
静かに俺はアカネに話し掛ける。
俺の傍で、寝転びながら目を見詰めてくれるアカネ。
俺が何を言うのかを察したのだろう。
怖れを抱く表情をしながら、アカネは確認する様に聞く。
「にぃに、ずっといっしょ、だよね?やくそく、したよね?」
アカネは、俺は約束を破らないと思っている。
アカネの良い兄として俺は在り続けた。
理想の兄としてあろうとした。
そんな俺が、彼女の理想とは掛け離れた事をしようとしている。
「…ごめん、アカネ、その約束は、守れない」
きっと幻滅するだろう。
それでも、アカネは俺に期待を浮かべている。
困惑の表情をしながら、聞いて来るのだ。
「やくそく、したのに?」
約束は、俺だって守りたい。
けれど俺は絶対的な強さなんて持っていない。
こんな子供の手じゃ、守り切る事なんて出来ない。
精神論で全てが罷り通るのならば、全てを覆す事も出来るだろうが。
それだけじゃ、この世界を思い通りにする事は出来ない。
「…今の俺じゃ、約束を守り切れないんだ」
現実を知り、弱さを知り、自分を知った。
俺が出来る事は、アカネが安全に生きる環境へと押し上げる事。
今の俺の小さな手は、それくらいしか出来ないから。
「だから、今日が過ぎれば…俺とアカネは一緒じゃいられない」
淡々と俺は告げる。
榊枝家へと行けば、アカネと会う事は出来ない。
大人になれば、俺のような人間を忘れているかも知れない。
だが、それで良いと、俺は納得した。
「…やだ、あかね、にぃにといっしょがいい…」
ぐずるアカネに、俺は手を伸ばす。
こうして、慰める事も出来なくなる。
「俺もだよ、けど、ダメなんだ」
涙をぽろぽろと流すアカネ。
まだこの世界の理不尽さを知らない。
だから俺の言う事はいじわるな事だと思っている。
「なんでダメ、なの…?」
どう答えれば良いのだろうか。
…アカネが分かってくれる言葉を選ぶ。
「それは、俺がまだ子供で、弱いから…」
アカネは俺の手を強く掴んだ。
それを頬に持って来て、柔らかい頬に触れさせながら言う。
「じゃあ…アカネが、にぃにを守る、わるいやつ、やっつける、だから…」
…その言葉に俺は少し羨ましく感じる。
俺がもう少し、世の理を理解していなければ。
その様な大それた言葉も口にしただろう。
この時だけは、精神が大人になった自分に怒りを覚える。
精神も子供で入られたら良かったのに。
けれど今更悔やんだ所でしょうがないのだ。
だから俺は、アカネに俺の言葉を告げる。
「大きくなったら、俺が強くなったら…アカネを迎えに行くよ」
今ではまだ無理だけど。
肉体が大人になるまでの時間。
俺一人でも、アカネを守れる様に。
立派な抜刀官であれるように、準備をする。
「ちゃんと、アカネを背負っていれるように」
だから、今は約束は守れない、ダメな兄だろうけど。
「…この約束は絶対だ、俺達は家族だから」
アカネをちゃんと迎えに行く。
家族の繋がりは、決して切れる事は無い。
俺の言葉を聞いて、悲しそうな表情をするアカネは、鼻を啜りながら言う。
「…にぃに、あのね」
その声色は何かお願いをする時の声だった。
俺は兄として、アカネのお願いを聞き受ける義務があった。
「ん…どうした?」
アカネは大きく手を広げる。
その動作を見て俺は察した。
「ぎゅって、して」
強く抱き締めて欲しい。
俺の体はボロボロだけど、そんなの関係無かった。
妹がそれを望んだのだから、俺は自分の体など関係無く、アカネを抱き締める。
強く、強く、何処にも離すものか、と思いを込めて。
けれど、夜が過ぎれば、子供の体は限界が近づく。
何時の間にか、俺とアカネは、抱き締めながら眠って。
「ばいばい、にぃに」
そして…目が覚めると、そこにアカネは居なかった。
アカネが走り回った筈の部屋の中には、何時までも元気なアカネの姿が残っている。
「…あぁ」
きっと、アカネは別れる時、泣かなかったのだろう。
もしも泣いていたら、俺は飛び起きた筈だ。
そうならなかったと言う事は、アカネも納得したのだ。
これが、今生の別れでは無いと言う事。
何時か、俺が迎えに行くと言う約束を。
「…強くなったなぁ、アカネ」
兄ちゃんは、お前が居なくて、少し泣きそうだけど。
お前は泣かずに、出て行ったのなら、俺も、泣かずにいよう。
今は少しでも、強くなる。
少しでも早く、アカネを迎えに行けるように…。
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