夢を犠牲に妹を救う
意識が、おぼろげ、だった。
くびを、しめられて、そのあとは、なにも思い出せない。
ただわかる、事があるとすれば…血の、におい。
いくら、消そうとしても、消すことの出来ない、いやなニオイが、おれの鼻を、ついた。
「てっきり■島が展示会に来る■と思ってたん■■ぁ?」
ひと、の。
こえがきこえてくる。
その、こえにみみをむけると、ききおぼえのある、声が…きこえて、来た。
「おかぁ■ゃ…■かぁしゃ…」
しょうがい…忘れることの、できない、大切な妹の、こえ。
いもうと、は…泣いていた、どこに、どこにいるのだろう、か?
はやく、おきないと…いもうとを、アカネを…おれが、慰めないと。
父さんも、母さんも、傍にいない、のなら…おれが、アカネのかわりに…
「おい、■■つ、目を覚ま■たぞ?」
ひとりが、俺に近付く。
そして、髪の毛を掴んでひっぱってくる。
「聞こえ■か?おい、ガキッ」
声を荒げてくる、だが、まだ、いしきがぼやけて…。
反応の薄い、おれに対して…おとこは、握り拳を作ると、俺の顔面を殴った。
その一撃で、薄れかけていた意識を覚醒させる。
ぼやけた視界のさきにいる男の素顔がはっきりと見て取れた。
「起きたか?ガキ」
男はそう言った。
見た事のある顔で、どこで見たか、頭の中を巡らせる。
そして、展示会で、俺に話し掛けて来た奴であることを思い出し、芋づる式に、この男が俺の首を絞めて意識を失わせた事を思い出した。
「っ…あんた、なんなんだッ!!」
俺は叫んだ。
殴られた痛みなどどうでも良かった。
俺をどうするつもりなのか、男に向けて叫んだ。
「身代金か、俺を、誘拐したって、そういう事だろ!?」
喉がキツい。
首を絞められた時の後遺症なのだろうか。
喋る度に喉が掠れるが、構う事無く叫び続ける。
「あぁ?身代金、ねぇ…誰から貰うんだよ、んなもん」
誰からって…そんな事、言わなくても分かるだろう。
「父さんと、母さん…俺を誘拐したんだろ!?それ以外に、誰から取るって言うんだよ!!」
男はにやりと笑った。
傷だらけの顔だが、何故か片側だけ眼帯をしている。
喉の奥から笑うと共に、眼帯の方を強く握り締めながら言う。
「聞いた話によると、お前のおふくろ、上半身と下半身に分断されて死んだってよ、車に轢かれたカエルかよッ!!」
そう言うと、近くに居た妖刀師たちが、面白そうに笑っている。
…俺の、おふくろ? …母さんが、死んだ?
「なにを…何を、言って…」
「お前のオヤジは俺が殺した、あんな雑魚のガキに生まれたなんて、お前はなんて可哀そうなんだか」
俺の髪の毛を強く引っ張りながら、男は睥睨しながら言う。
…父さんも、殺された?嘘、だろ、そんなの、信じられない。
俺は、動揺する気持ちを隠す。
両親が殺された、死んでしまったなんて話はきっと嘘だ。
だから、それを信じて、今俺が出来る事を考える。
例えば、部屋の中とか。
「…ここは、どこなんだ?」
そう聞くと、案外、眼帯の男は簡単に答えてくれる。
「解らねぇか?ヒントだ、ここは今、移動している」
移動、している。
…揺れる部屋。
外から音は全然聞こえない。
絢爛な壁紙、シャンデリアに似通った、天井に固定された電灯。
高価な作りである筈なのに、部屋としては狭い空間。
そして偶に地震の様に揺れる事から、今、俺達が居る場所は、貴族が扱う様な豪華な汽車の中だと言うのが分かった。
「まあ、そんな事は、どうでもいい話だ、それよりも、今、必要としてんのは…銅島センジ、お前らはそれを呼ぶ為に必要な道具なんだよ」
男は椅子に座りながら言った。
銅島…銅島センジ、先生の事を、彼らは知っている。
銅島先生に何かよからぬ事でもしようとしているのだろうか。
…ダメだ、今の俺には、何も分からない。
「なん…だよ、それ…」
眼帯の男はテーブルの上に置かれたグラスに手を掛ける。
既に、海外とは鎖国している状態だが、戦前の交易記録から再現されたであろう洋風な部屋で、グラスとワインがテーブルの上に置かれていた、そこから、赤色のぶどうジュースの様なワインを飲みながら、眼帯の男は語り出す。
「本当だったら、石動京で仕留めるつもりだったが…事情が変わってお前らが来ちまった…あぁ、事前に調べて置いて良かったぜ、お陰で、お前らでも十分に生贄に使える事が分かったからなぁ」
しみじみと言う眼帯の男。
「生贄って…なんだよ」
俺が今、知りたい事を聞いた時、眼帯の男は一人の妖刀師に視線を向ける。
そして妖刀師は頷くと、そのまま隣の扉へと移動した後、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「うぅううッ!にぃにッ、にぃにぃ!!」
部屋に入って来たのは、両手両足を縛られているアカネだった。
大粒の涙を流しながら俺のことを呼んでいるアカネを見て、俺は頭に血が上り始める。
俺のことならまだ良い、だけど、アカネを、妹に手を出した事だけは許されなかった。
「ッ…アカネ、アカネッ!この野郎、アカネに何をしやがった!!」
俺がそう叫ぶと、眼帯の男は立ち上がる。
そして、俺の方に近付くと、折り畳みナイフを取り出した。
「まだ何もしてねぇぜ?だが…これから、やらせて貰う気さ」
そのまま、俺の手首に巻かれた縄を斬ると共に、そのままテーブルの上に叩き付ける。
手首をテーブルの上に無理矢理置かされると、眼帯の男は折り畳みナイフをテーブルに突き刺した。
「銅島センジ、あいつを呼び出すにはまだ一押し足りねぇんだよ…だからよ、ちょいと脅してやんのさ、弟子の指一本、送ってやりゃあ、流石に動くだろッ」
こいつ…本当に、俺の指を切ろうとしている。
目が本気だ、本気で、俺の指をッ!!
「く、ぁッ、やめろッ!なん、なんで…銅島先生が…何をしたって言うんだよ!!俺が、いや、俺達が、お前らに何をしたんだよぉおお!!」
大きく叫んだ。
眼帯の男は嬉しそうにしながら。
「なにも?」
冷たく、笑みを浮かべながら、冷たく、笑いながら。
眼帯の男はそう言い放った。
焦りが出る、汗が滲み出す。
この男が俺の指を切ろうとする事実。
それだけで、恐怖でいっぱいだ。
「言っておくがな?これは誰にでも起こる事なんだよ」
酔っているのか、饒舌に男は喋っていた。
「幸せが何時までも続くのなら…戦争は起こらねぇし、誰も彼もが裕福な暮らしをしてる、つまんねぇよなぁ…そんな世の中、クズばっかだってのによ、絶対悪は消えず、必要悪こそ世界を回す…火と同じだ、誰かの不幸、薪があるからこそ、幸福の火は燃え盛る、身の丈に合った幸福を噛み締めて、些細な不幸に引き摺られて生きるのが人生なんだよ」
長く台詞を吐きながら、ゆっくりとナイフを俺の指に押し付けて来た。
鋭い刃の感触が、皮膚を切った、暖かな血が指の根本から流れ出す。
血を見て興奮しているのか、男は嬉しそうに言った。
「俺達こそが災害だぜ?」
自然の法則。
災害に怒りを覚えるものは居ない。
だからこそ、彼らの行いに意味は無く、目標など誰でも良い。
ただ、そこにいたから…そこに在ったから、非道な目に遭うのだと。
ナイフの刃が押し付けられる、痛みがじりじりと迫って来る。
怖ろしくて声を荒げそうになった時。
「にぃにを、いじめるなっ、ぅぅうううッ!!」
手足を拘束されたアカネは叫んだ。
それと共に、段々と、アカネの肉体、血管が浮き彫りとなる。
橙色の輝りを放ちながら、アカネの肉体が、唐突に燃え出した。
「ッ!?うをッ!!」
妖刀師の一人は叫び、アカネから離れる。
眼帯を着けた男は、アカネの姿を見て驚いていた。
「ッ!おいおい、ついてるってモンじゃねぇぞこりゃッ!!」
叫び、眼帯の男は喜びを口にした。
ナイフを離して、アカネの方へと向かい出す。
「このガキ、
妖刀師が一斉に、アカネの方へ近づいていく。
アカネは、恐怖を覚えていた、あの表情、男性が迫って来て怖いと感じている。
俺が、俺がなんとかしないと…おれが、アカネのお兄ちゃんだから。
だから…俺は、最早迷う事無く、大きな声を荒げた。
「ぐぅ、あああああああッ!!う、っふッ…ぐ、ぅうううううッ!!」
声に反応する妖刀師たち。
直後、激痛が走る。
神経が切断される感触、口の中に広がる血の味が、何処までも広がって仕方が無い。
筋肉の繊維を嚙み切って、骨を奥歯で噛み砕く。
脳内の細胞が、神経の一本一本が焼き切れる程の痛み。
腕を思い切りひっぱると、ぶちりと、俺は自らの小指を噛み切って、そして地面に吐いた。
涙が溢れ出す、鼻水も、口から血の混じった唾液も。
「ゆび、あげるからッ…妹に、手を、だすな…っ!!」
指先が震える。
体中が冷めていて気分が悪い。
そんな俺の姿を見て、奴らは一瞬、沈黙を浮かべたかと思えば。
「ひゃははッ!!自分で指、喰い千切りやがった!!うわぁ痛そォ!!」
その嘲笑は、俺の覚悟を馬鹿にされたような気がした。
けれど、腹を立たせる気力すら湧かない。
ただ、アカネを助けたい一心で、俺は自らの小指を棄てたんだ。
眼を細めながら、眼帯の男は近づくと、汚そうに俺の小指を摘まんだ。
そして、嚙み切った小指をプラプラと、海老の剥き身の尻尾を掴んで揺らす様に遊ばせながら言う。
「知ってるか?小指ってのは一番力が入る部分なんだぜ?刀を握る時、刀を弾かれない様にする為に、小指を鍛えるんだ、つまりは、剣士にとって一番大事な部位は小指って事になるよなぁ?」
男の傷跡が歪む、頬を釣り上げて、満面の笑みを浮かべる。
それは俺にとっての絶望の表情に他ならない、失意を浴びせる声色が俺を叩き付けた。
「斬術を嗜んだお前は、きっと優秀な抜刀官にでも成れただろうが…残念だったなぁ!!お前の将来、俺が奪っちまったよッ!!ひゃははははッ!!」
掌の感覚はもう無かった。
俺の、抜刀官になると言う夢は、これで潰えてしまった。
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