夏祭りから一年後


銅島先生の家から出て暫く歩き出す。

ハクアは歩き方が悪いのが足取りが悪かった。

彼女が履いているのは靴では無く、草履であり、少し歩くのが窮屈そうだった。


「ハクア、祭りに行ったら、何したい?」


俺はそう聞きながら歩く速度を緩める。

ハクアは、俺の質問に対して考える素振りをしたが。


「ううん、なにも…お祭りって、どんなのかなって…アカシちゃんといっしょに行きたかっただけ、だから」


「じゃあ、いろんな、おみせを見に行こう」


其処で、ハクアが欲しいものを一緒に見つけるんだ。

そう思いながら俺は歩いていた。


…想定以上に、お祭り会場は人がごった返していた。

小さな子供じゃあ、この人込みで離れ離れになってしまいそうになる。


「だいじょうぶか?ハクア」


そう言いながら俺はハクアの手を離さない様に掴む。

ハクアは、人込みに驚きながらも俺の手を離さない様にしていた。

後ろでは、銅島先生が周囲の人に申し訳ないと頭を下げて歩いている。


「ハクア…大丈夫か?少し、休んだ方が…」


銅島先生は心配してそう聞いた矢先。

人の波が揺れ動いて、ハクアが押されて転んでしまう。

髪の毛に差した簪が、人に当たって取れてしまう。

そして、地面にからんからんと音を鳴らして落ちた簪は、人の足に踏まれて、簪としての役割を果たさなくなった。

はらりはらりと、髪の毛が解けるハクア。

俺は、ハクアが転んだ事を心配して声を掛ける。


「だいじょうぶか?…かんざし、は…」


簪は既に使い物にならなくなった。

人の波によって離れた銅島先生は、俺とハクアを見つけるとハクアの体を抱き上げる。


「アカシくん、こっち」


そう言って、銅島先生は俺の手を掴むと、人の少ない休憩所へとやって来た。

銅島先生は心配している様子で、ハクアの身体を心配していた。

何処も異常が無いことと、ハクアが大丈夫と言った事で、ようやく安堵する。


「ハクア…だいじょうぶ?」


俺はずっと心配していた。

ハクアの手には、曲がったかんざしが握り締められていた。

大切そうに、そのかんざしを見詰めているハクアは儚げに笑っていた。


「いいの、アカシちゃん」


大事そうに握っている。

高価にも見える簪は、彼女にとって大事なモノなのでは無いのだろうか?


「…おかあさんの簪、だけど…他にもおかあさんの大事なものはあるから…」


他界してしまった銅島先生の奥さんにして、ハクアのお母さん。

そんな大事なものが壊れてしまうなんて、悲しい事だろうが。


「…だって、壊れないものなんてないから」


達観する様に、ハクアはそう言った。


「かなしいことを考え続けるよりも、たのしいことだけ、おぼえていたいから」


その言葉は、死を見つめる彼女が成熟して考え出した答えなのだろう。

病弱なハクアは、自分が長く生きられないと思っている。

他の人よりも、時間が短くて、焦ってしまいそうなのに。

限られた時間の中で、誰よりも濃密な人生を過ごそうと、自分の人生をそう結論付けたのだ。

決して子供が受け入れてはならない考えだと俺は思った。

彼女の健気に笑う表情に、心が、胸が酷く締め付けられたのだ。

俺と楽しい時間を過ごしたいからと。


「だからいいの、アカシちゃん」


半ば諦観しているかの様な言葉だった。

近くに居た銅島先生は何とかしてやりたかった気持ちでいっぱいで、ハクアに声を掛けていた。


「…疲れて無いか?ハクア」


折角の夏祭りに、少しでも楽しい思い出を築き上げたいと願っているのに。

銅島先生のどうしようもない思いが俺にも身に染みて来る。


だから、俺は一度その場から離れた。


金物屋のおじさんがやっている装飾品売り場だ。

子供でも買える様な安価な装飾が売られていた。

其処で俺は、自分の小遣いからお金を取り出す。


「かんざし、下さい」


俺は全財産を叩いて、ハクアに代わりの簪を購入する。

黒の簪は、ハクアが付けていた簪よりも安い代物だった。

全財産、三千円で買える精一杯の簪を持ってハクアの元へと向かった。


休憩所では銅島先生の姿は無かった。

何処に行ったのかなんて、彼女には聞かなかった。

俺は、ハクアに向けて簪を渡す。


「ハクア」


形見よりかは安っぽい代物だ。


「ハクアの悲しいことは、おれが貰うから、だから、ハクアは楽しいことだけ、おぼえてほしい」


これが彼女にとって楽しい記憶になるのならば、それで良い。

彼女は、俺の差し出した簪を掴むと、俺の顔を見詰めた。


「アカシちゃん…」


名前を呼ばれた。

そう思った時、ハクアが大きく腕を広げた。

熱っぽいハクアの唇が俺の唇に触れる。


「ん…ちゅっ…」


柔らかく柑橘類の味をしたハクアの唇。

何処か高級なリップクリームでも使ったのか?と思ってしまう程に艶やかで柔らかかった。


「…ぷは」


まだキスの仕方も分からない彼女は自分が出来る事を俺にしてきた。

甘く潤った瞳を浮かべて、色っぽい視線を見せながらハクアは告げる。


「ありがと…アカシちゃん、簪、ずっと、ずっと…使い続けるから」


夏祭りの夜。

予算の都合上、打ち上げ花火すら無かった田舎の町で、ハクアはそう約束してくれた。

それ以降、ハクアは俺があげた簪を使い続けている。





夏祭りから、次の日だ。

熱が籠る道場の中。

ゆらりと蠢く熱の波。

道場の中で、俺は銅島先生との稽古に励む。

今日も朝から、銅島先生の胸をお借りするのだが。


「…娘と仲良くしてくれて、ありがとう、アカシくん」


銅島先生はそう言いながら俺に刀を渡してくる。

それは門下生に扱わせる刃引きされた真剣であり、子供が扱える程の小さなサイズだった。

この刀は、抜刀官が扱う刀と同じ材質で造られている為に、闘猛火を流し込む事で斬術戦法を使役する事が出来る、抜刀官が使用する練習用の道具であるらしい。


「…娘と仲良くしてくれる以上、此方からも何かお返しをしなければならないと」


と、銅島先生はそう言う。

正直、それは嬉しい話だけれど、俺は首を左右に振った。

俺は銅島先生から見返りを求める為に、ハクアの傍に擦り寄ったワケじゃない。

感謝こそされる覚えはあれども、報酬が欲しいワケでは全くないのだ。


「いいよ、どうじませんせい、おれは、好きでハクアと遊んでるんだ」


そう言うと、銅島先生の目が柔らかくなった。

不思議と他人としてではなく、近しい者の様に接してくれている様に思えた。


「…だったら一つ、キミに教えようか、銀嶺家の斬術戦法を」


銅島先生は闘猛火を刀身に流し込むと、刀身がバチバチと音を鳴らしていた。

まさか本当に教えてくれるのだろうか、と少しばかり期待が膨らんでしまう。

見返りなんて欲しくないと言ったのに、実際に与えてくれるとなると喜んでしまうなんて、現金な人間だと我ながら思ってしまう。


「いいの?」


俺は銅島先生に聞いた。

本当に教えてくれるのならば嬉しいが、門外不出の斬術戦法、それを漏洩すると言う事になる。

もしも銀嶺家が過激派で、他の人間に漏洩した事がバレてしまったら…と考えて、銅島先生の身を心配してしまう。


「良いんだ、キミは…少なからず、他人では無くなるかも知れないし、ね」


…もしや、銅島先生は、俺とハクアがお祭りの時に、ハクアが言った言葉をこっそりと聞いていたのだろうか。


「近い内に、キミの御父さんにも話しておこうと思うんだ、ウチのハクアと、アカシくんが許嫁となったと言う事をね」


…段々と話が飛躍していくのを感じて恐怖を覚える。

銅島先生って、結構、子供の為に奔走する人なんだな、と俺は思った。


「だから、息子の為に、雷迅流を継承させる事は、門外不出とはならないだろう?」


結果的にであればそうなのだろうが。

いや…今の俺はまだ、抜刀官になる、と言う目標しか掲げていない。

ハクアと婚約する段階は、まだ六歳児には早いんじゃないのだろうか。

しどろもどろとする俺に対して、新鮮な表情を見たと言いたげに苦笑する銅島先生。


「まあ…まだ早いかな、でも…強くなりたいのなら、今は遠慮なんかしない方が良い、学び、糧とし、己の力に変える行為に、善も悪も無い、君が、ハクアを守れる程の力を欲しいと言うのならね」


…ハクアを守りたい、それは婚約前提での話。

それ以外でも、俺は、ハクアを守りたいと思うし、今は守られている立場だけれど。

俺を助けてくれた父さんや母さん、妹のアカネを守れる様な人間になりたいとは思う。

ならば、銅島先生の言う事は尤もだ。


折角、銅島先生が教えてくれると言うのだ。

どの様な条件であろうとも、俺が強くなるのなら、その提案を受けないワケには行かない。


「どうじま、せんせいッ!おねがいしますッ!!」


俺は声を荒げた。

銅島先生は頷き、新たな後継者が生まれた事に微笑んでいる。


「それじゃあ先ずは…一番簡単な〈角雷凱かくらいがい〉の打ち方を教えようか」








銅島先生が雷迅流を教えてくれる様になって一か月。

俺は未だに〈角雷凱〉を放つ事すら出来なかった。

何が一番簡単な斬術戦法だ、銅島先生の嘘つき!!

と、言いたい気持ちがあるが、実際の所は俺の実力不足。


一度教えてくれただけで雷迅流の剣技を使役出来る程俺は天才じゃ無いし、銅島先生もそれを分かっていて教えてくれている様な感じだ。

基本的に炎子炉を使って炉心躰火状態での打ち合いが主で、それ以外だと他の流派の斬術戦法の習得を行い、その隙間の時間で雷迅流を教えてくれている、と言った具合だ。


銅島先生曰く、雷迅流斬術戦法や、古流斬術関係は習得が難しいらしい。

何せ、習得前に行われる炎子炉の変質が必要であり、肉体を鍛え上げ、炎子炉に変異を齎す修業が必要なのだ。


これを行う事で本来は湯気の様な炎子炉しか出せない状態が、雷の様な紫電の闘猛火を放つ事が出来る様になり、そこでようやく雷迅流斬術戦法の習得のスタートラインとなる。


因みに俺はまだ、この特別な修行をさせて貰っていない。

まだ肉体が出来ていないので、修行が出来る肉体を鍛錬した末に、修行を開始させる。

なので、雷迅流斬術戦法が後回しになってしまうのも仕方が無い事だった。


ただ、雷迅流斬術戦法を覚える際に教えられる別の流派。

それを覚えるのが比較的早くなった気がする。


俺が、銅島先生から教わる別の流派と言うものは、試刀流しとうりゅうと呼ばれるものだ。

十五歳から入学が可能となる試刀館しとうかん学院がくいん、通称・試刀院で教わる斬術であり、抜刀官に属する人たちも扱う基礎中の基礎である斬術戦法だ。


何れ、試刀院に入学すれば教わる流派らしいけど、此方は特に門外不出とかの制限は無く、巷の道場で受講など出来る程にオーソドックスな斬術戦法である。

尤も、習えば誰でも出来る、と言うワケではない。

絶え間ない研鑽と努力の末に、斬術戦法を使役するきっかけを掴む事で漸く扱う事が出来る、ある意味、抜刀官としての最初の試練である。

これで習っても習得が出来なければ、素質が無いと言われる様なものなので、習得しなければならない重要なものでもあった。


最初から伝えておくと、俺が試刀流斬術戦法の内の一つの剣技を覚えたのが、習ってから一週間後の事。

完全にマスターするまで、俺は約一年の歳月を費やす事になってしまった。


そう、一年である。

一年後の俺は七歳の年になり、六歳の時よりも成長していて、昔よりも着実に強くなった、と言う感覚すらあった。


五つの試刀流斬術戦法を学んだ事で、そこから銅島先生との実戦が解禁される様になった。


「では、行きます」


俺は練習用の刀を構える。

銅島先生も同じ様に刀を構えていた。


試刀流斬術戦法には五つの剣技が存在する。

先ず、その内の一つである技を披露した。


「〈-断威-たちおどし〉ッ!!」


声を荒げる様にして刀を振るう。

肉体に宿る闘猛火を刀身に流し込んで斬撃を放つ。

真っ白な湯気の集合体の様な斬撃が銅島先生の元へと飛び出ると、先生は刀を構えて振るった。

銅島先生も同じ、試刀流斬術戦法を使役して弾いて見せた。

弾かれた斬撃は煙の様に散っていき、三日月の様な斬撃が薄れた。

そのまま銅島先生は接近すると共に刀を振るうので、俺は前進する。


刀身に闘猛火を流し込み、刃を循環させる様に闘猛火を加速。

チェーンソーの様に刃が駆動していき、切断能力と鋭利さを上昇させる〈-流刃-りゅうじん〉と呼ばれる剣技だ。

因みに先程、銅島先生が俺の〈-断威-たちおどし〉を弾いたのも〈-流刃-りゅうじん〉であり、回転数を上げる事で刀身に触れると斬撃の軌跡を曲げる事が出来た。


そして、銅島先生も同じ様に、〈-流刃-りゅうじん〉を発動させて俺の振り上げた刀と鍔迫り合いを行う。

互いの闘猛火が重なり合い、火花として散っていく。

先生は〈炉心躰火〉を使わずに俺の攻撃を受け止めていて、俺は〈炉心躰火〉を使ってようやく先生の力と拮抗する事が出来る様になっていた。


「ぐ、ぐぐッ」


銅島先生は片手で攻撃を受け止めながら、もう片方の手で丸眼鏡を上げる。

そして俺の攻撃に対して的確にアドバイスをし始めた。


「ほら、アカシくん、呼吸を忘れているよ、〈-流刃-りゅうじん〉と〈炉心躰火〉の併用は酸素の消費が激しい、だからと言って、大っぴらに呼吸をしていると悟らせてはならない、静かに、鼻で息をして併用を維持するんだ」


そう言ってくれる。

しかし、このまま鍔迫り合いをしても力で勝つ事は出来ない事を知っている。

口の端から二酸化炭素を吐き出し、その後俺は大きく息を吸い大量の酸素を肺へと送り込む。

銅島先生も俺が何をするのか察したらしく片足を後退させた。

俺は肉体全身に闘猛火を送り込み、一瞬の身体強化を上昇させ、銅島先生の刀を思い切り弾く。

すると後退する銅島先生だが、予期して後退へ流れる様に移動すると、俺は一瞬の開いた間で刀を振るう。


「〈-断威-たちおどし〉ッ!!」


二酸化炭素を吐くと共に技名を口にする。

振るった刀から斬撃が射出するので、当然ながら構えた銅島先生は刀を弾こうとするのだが。


「ッ」


銅島先生は初めて驚きの表情を見せた。

斬撃を飛ばした直後、俺は身体能力を強化した状態で接近して見せたのだ。

そして、銅島先生が斬撃を弾いた時、その斬撃の後ろには俺が居る。

一手、銅島先生が遅れる、俺はその隙を見逃さず刀を振るう。


しかし、銅島先生はまだ詰みでは無かった。

足に力を込めて後ろへと飛んだのだ。

これにより、俺と銅島先生の距離が離されて、刀身の攻撃範囲から脱されてしまうが。

刀身が届かないのならば、伸ばせば良いだけの話である。

まだ、余力のある酸素を全て炎子炉にくべる。

生成された闘猛火の全てを刀身へと流し込む事で、試刀流の技を披露する。


「〈-刈延-かりのばし〉ッ!!」


その言葉と共に俺の刀身は更に伸びた。

闘猛火が刀身の形となり、攻撃範囲を伸ばす剣技である。

これにより、後退した銅島先生は、首に刀身を当てられてしまう。

其処で俺は、銅島先生の首を切らない様に寸止めした。

その時点で、銅島先生はゆっくりと息を吐いた。


「いや…参った、参ったよ、アカシくん」


と。

苦節一年と数ヵ月。

練習試合ではあるが、俺は初めて、銅島先生に勝利を刻んだのだった。


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