君の嘘なら喜んで

くくり

prologue

 王都の外れに百余年前に建てられたのだと言う赤煉瓦の倉庫は、今は囚人を収監するための施設になって二十年ほど経つという。

 明るい光の下であれば、このレンガの赤茶色はまだ鮮やかなままなのだろうか?ゴツゴツとしたそれに手を這わすと、ひんやりとした温度が手のひらの熱を奪っていく。毎日諦めずに明かりを求めて鉄格子の嵌められた小窓に視線を向けるが、鬱蒼と繁る蔦が絡まって相変わらず何も見せてはくれなかった。

 大人二人が寝転べば狭く感じてしまう檻の中で、寝起きをすることになって三月(みつき)経つ。室温が肌寒い程度で過ごせているのは、王都が春の気候で一年中安定しているからだろう。

 施設内でも最奥にある独房に入れられ、自分の罪を粛々と受け止める。しかし、瞑想するくらいしかさせてもらえないので、ひょっとすると気が狂うのを待たれているのかもしれない。


(仕方ない…それだけのことをしたもの)


 手のひらで色々な物を撫でて気を紛らわせるのが癖になり、特に触れているのは洗いざらしの薄布の囚人用のドレスだった。皮肉な事だが、コルセットを締め付けていたあの頃より、今の方が息がしやすい事を喜んでいた。

 そんな朝なのか夜なのか自分では分からない生活の中で、唯一私にそれを教えてくれる者がいる。どこかにある出入り口の錠前が開く音と共に、酒臭い体臭を纏いながら看守が中に入ってきた。ガチャガチャと食器のぶつかる音と陽気な鼻歌が、彼の性格を物語っている。


「おはよう!飯だぜ!お姫さん」


「いつもありがとうございます。ヨーゼフさん」


 私しかいないこの狭い独房の一室を、いつも担当してくれているのが彼だった。お互いの顔の輪郭が分かる程度の暗闇に近い中、彼はいつも迷いの無い足取りで歩いてくる。酒焼けした声は、枯れていなければ質の良いバリトンだったのだろうことが窺えた。ザッザッと隙のない足取りから、お酒で身を持ち崩した元軍人のような雰囲気があった。いつものように雑に受け取り窓から食事を押し入れて、そのままどかっと座り込む音がした。

 残念なほろ酔いのヨーゼフさんは、いつもこの調子で朝夕二回の私の食事の時間に、どうでも良い世間話をしてくれた。“俺は尋問官でもねぇから、姫さんの事件に興味はねぇよ!”と初日から聞いてもいないのにそう笑い飛ばし、酒場の賭けポーカーで負けた話や奥さんに尻に敷かれている話などを面白おかしく話して帰るのだ。


「ヨーゼフさん、私の裁判はいつになるか聞いてきてくれましたか?」


「毎日聞いてるぜぇ?なのに“今日じゃないのは確かだよ!”って言って、アイツらオイラの話をまともに聞いてくれねぇんだ!!」


「それは、ヨーゼフさんが朝からほろ酔いで仕事をしているからではないの?」


「ダメかぁ?」


「ダメよ。私は、楽しいけれど」


 そんなたわい無い話を交えながら、固いライ麦パンに薄い具なしのスープ、最後に水をゆっくり飲み終えた。ご馳走様、と鉄格子の受け取り窓から食器を返す。ガッハッハッ!といつものように笑って、また来るよっと立ち上がり、暗闇の中を鼻歌交じりに歩き始めた。


「ねぇ…ヨーゼフさん、最後に私の話も聞いてくださらない?」


 遠ざかる足音を、初めて呼び止めていた。

 食器のぶつかる音が一際高く鳴って、独房の隅々まで響いた。何枚かお皿を落としたかしら?もしかしたら全部かも。動揺しているのか、ヨーゼフさんから返事は無かった。けれども、いつもならとっくに錠前を開けて出て行っているはずなので、多分それが返事の代わりなのだと思う。


「私の生まれ育った伯爵家の領地は、菫(すみれ)の群生地として、とても有名でした」


 今でも鮮明に思い出せる。

 青白磁(せいはくじ)色の外壁に、群青色の屋根が鮮やかなヴォンホード伯爵家。その内装は、白と青みの強い紫で統一されていた。

 幼い頃から使い慣れた家具や調度品の中でも一際高価だった廊下の花瓶、カトラリーの一つまで真っ白な陶器や木材で統一され、屋敷に敷かれた絨毯は全て菫色だった。全ての部屋のカーテンは薄紫色で菫色のタッセルが付けられ、寝具も薄紫色で全てに菫の花が刺繍により散りばめられていた。極め付けに、屋敷中から菫の花の匂いがしていた。

 私の部屋は、ある時から屋敷の中で一番目立たない陽当たりの悪い物置部屋だった。テラスのある大きな窓なんてものはなく、私の顔が出せれば良いくらいの小さな出窓が二つあるだけ。

 父様が後妻と連れ子を迎えてから、その物置部屋が私の私室となっていた。


「外面を気にする人でしたから、調度品や待遇は伯爵令嬢のそれにしてくれていましたわね。“愛娘”が薄汚れていては、商談に連れて行った時に怪しまれてしまうからと笑っていたわ…。ただ私は、あのこぢんまりとした菫色の部屋を、案外気に入っていました」


 逮捕の時、それは雪のちらつく朝だった。

 警邏隊を引き連れた王家の監査官たちは、私の愛した美しい屋敷をなんの躊躇いもなく蹂躙した。

 後少しでこの部屋にも踏み込むだろう、小さな暖炉を眺めながら、菫の花の銀細工が美しい鋏を鏡台から手にとっていた。

 足音が近づく。

 その日、プラチナブロンドの髪に編み込まれた白菫(しろすみれ)色の絹に菫の花が立体的に刺繍されたリボンが、一番のお気に入りだった。特別な日にだけ、髪に結ってもらっていた。

 そのリボンが編み込まれたプラチナブロンドの三つ編みを、耳下で切り落とそうと鋏を入れた。なかなか切れなかったそれを暖炉の火に焚べてから、もう一つを切り落とそうとまた耳下に鋏を持っていく。シャキリシャキリと何度も動かして、切れた髪をまた暖炉の中に投げ捨てた。

 その時、彼らが荒々しく部屋に踏み込んできた。私が鋏を持っていたので、その内の一人が強張った顔をして乱暴に取り上げた。鋏を取り上げた男は、菫色の絨毯に散らばる髪の毛の残骸と、燃え切らない暖炉の髪を交互に見て、最後に私の顔を見た。

 髪に編み込まれていたリボンの残りが音もなく髪からほどけて、滑り落ちていく。


『私たち…嘘ばかりだったわね』


 そう微笑めば、男は悲しげに唇を噛んで俯いた。

 散らばった髪とリボンの残骸を悔しげに睨みつけるその人は、私の婚約者だった。

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