不条理なるが故に我ギターをまっぷたつにす
小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】
まっぷたつその1
ギターを地面に叩きつけて折るという行為は、それはバンドのライブでは様式美の一つである。
したがってそれはライブのパフォーマンスとしてやるから意味を持つのであって、それ以外でやればただの阿保である。まかり間違っても、夜の街中で、大勢の観衆が見ているところでひと思いにやることではない。そんな奴がいたとすれば、それは阿呆である。
しかし残念なことにその阿呆は我だった。
お嬢とふたりで毎晩行っている路上ライブ。その終わり。最終曲。とてもよく演奏できたのでその勢いのまま、何を思ったか手にしていたギターを叩きつけてまっぷたつにした。夜の街中でまっぷたつにしたが最後。その様子はネットにばら撒かれ、「様式美!」「美しい!」「これぞロック!」などとなぜか人気になってしまった。翌夜、いつもの倍に観衆が増えた。その人だかりに血の気は引き、青ざめた。埒外の出来事にとても恐ろしくなった。
押し寄せる人間は毎日のように増えた。無論、あの日以降はギターは折っていない。そんな毎日ぽっきぽっき折ってたまるか。人気者になるために、見せ物にするために、名物にするためにやったのではない。やったことは明らかに間違いだった。反省と後悔しかない。バンド人生の汚点。増殖したスマホカメラはバンド誇りの美女であるお嬢ではなく、しがない私に向けられた。不格好で髪型も定まらない引きこもりのような人間のなにが面白いのか。私の考えも、感情もお構い無しに人々は好奇の目を無作為に押し付ける。あの一夜を境に我はギターをまっぷたつに叩き割る一発屋芸人になってしまった。不条理である。繰り返すが、私はそんなことのためにギターを叩き割ったのではない。
まず、ギターは安くない。初心者用でもフルセットで三万くらいする。ジャンク品や中古ボロボロなら一万とかそこらであるかもしれないが、明日、学校祭で初めて演奏する者でもない限り、少なくともギタリストを目指すのなら最初に手にすべきはそれではない。二、三万は頑張って出してくれ。あまりにも安い音に慣れてしまうと、それはそれでよくない。最初から最高級の音を手に入れる必要はないから、なんとか。どうしても小学生、中学生のお年玉でなんとか買いたいなら練習用アコギ。アウトレットとかで安く手に入れるといい。私も最初のギターはヤ◯ハの型落ちセール品だった。安くても使い方次第だ。上達したらいいギターを買えばいい。
それなりに弾けるようになったら十万円前後のいいやつを一本買うとギターライフクオリティが向上する。二十万も三十万もするギターを買えるならそれがいい。そしてそれはとても羨ましい。人生で一度は手にしたい種類だ。しかし高けりゃいいというわけでもない。お金を掛ければ、それはいい音で弾きやすいギターが完成するだろうけど、それは夢であり一般ではない。誰でも簡単に手を出せて始められる環境でなければ文化は廃れ、人口は減少する。つまりギターを含めた機材にこだわる好事家は変態に近い。我も変態だけど。それと、プロの方がどんなギターを持っているのかは、それはまったくわからない。知りたい。有名バンドマンの、アーティストのフロントマンの使用ギターとかなら特定班がすぐに調べるから何となく分かるが、本当に使われているのはどの価格帯なのか、気になる。夢といえば、某競馬チンチロ大好き芸人さんは金ピカの百五十万円ストラトを買っていた。観賞用にするわけではなく実際に使ってmv取って、曲を出していたのですごい。ガチ。ついでに言うと、我が人生で一度でいいから手に入れたいギターのメーカーさんはsagoさん。オーダーメイドをお願いできるアーティストになるのが我の拙い夢である。精進。
では、そんな大事なギターを叩き割ってまっぷたつにしてよいのか。もちろん駄目である。
我らが初心者脱皮、中級者低層ギタリストはだいたいこの十万円前後のギターを全財産はたいて一本、もしくはローンを組んで二本手に入れて安堵する。しかしまだまだたくさん他のギターも欲しいと飢えながら財布を開け、五円玉一枚しかないことを確認すると諦める。やむを得ず手元にある愛機を頬でこすってこすってこすって大切にする生物が我々である。間違っても叩き割ったりしない。そんなことをすれば明日以降演奏するギターを失うばかりではなく、無為に財産を投げ捨てたことと同義である。ギターは財産だ。愛着と使い込みによって完成度があがる。新品商品価値としての値段はなくなるかもしれないが、そんなモノを気にして状態を気にして保っているようじゃ三流にもなれない。一本を使い倒せ。各種演奏用で使い分けるならそれもいい。とにかく使え。ギターは壁に掛けてただ呆然と眺めていたのでは絵画に成り下がってしまう。綺麗で誰が見ても美しく、使うにはもったいないくらいのギターが山ほどあるのは承知の上で、我もそういうの百本は欲しいうえで、やはり弾く事ができるのなら弾くべきだと思う。演奏機能を最初から完全に取り払い、観賞用のハリボテとして作られたギターがあるとしたらそれはギターじゃない。インテリアだ。写真映えのために部屋に飾って気取っている奴は総じてギタリストに謝れ。
「今日も叩きつけてよ、まっぷたつちゃん」
どうやら我の愛称は「まっぷたつちゃん」で決まりのようだった。決めたのはネットかエスエヌエスか、それとも常連か。いずれにしてもロックンロールな愛称だなと思った。
客からのギターまっぷたつの要望を無視し、人が増え続けても変わらずに我らのライブをやった。一部で話題にされ、好奇の目が増え、演奏ではない別の物を奴らが期待していたとしても我がやることは変わらない。ロックンロールをかき鳴らせ。音楽を貫け。我はバンドマンなり。
まっぷたつの期待を裏切ってしばし。見たいものが見れずに飽きた阿保どもがそろそろ離れていけばいいと思っていた頃合いの夜。わかりやすくこれを該当夜と呼称する。
該当夜。ライブ前のセッティング。集まってくれた皆様方に小さくお辞儀をしてからチューニングを始めた。隣ではお嬢が声を整えている。紹介がまだでした。では紹介しよう。
我はギター。彼女、お嬢はボーカル。チビで不格好で見る影も愛嬌もない我とは対称的に、めちゃくちゃ可愛くて声も綺麗で胸も大きくてアイドルのような女の子がお嬢である。活動名は「ヒメ」。我からも、ファンからもお嬢と呼ばれている。ちなみに、お嬢の隣で狂ったようにギターを弾いている我のことを初見さんから熱心なファンに至るまでほとんどの観客が女の子だと認識する。だが、残念なことに男である。低身長男子に人権はない。女の子寄りのかわいい服をライブ中に着ているのは、お嬢のコーディネート。勘違いして我々を百合扱いする人も少なくないが、どうでもいいので「そですかー」と受け流している。
お嬢はロックバンドのボーカルになりたかったという。シャウト、ヘヴィやデスではない。目指したのはロックバンドのボーカル。一般的には邦ロックで間違いない。しかしバンドと言っても今はベースもドラムもシンセもいない。メンバーはふたりだけ。我々は大学のサークル部員。お嬢が一つうえで我はお嬢の一つ下。毎晩敢行されるふたりきりの路上ライブ。機材車乗って回るのだけがロックバンドのデビューロードじゃない。箱でしか演奏しないバンドはまだまだロックが足りない。
ギターと格安無線ケーブルとミニアンプ。もちろん許可をもらって決まった時間内で決まった音量で。主戦場は夜なので常連を除くと酒を飲み込んだやつが何も知らないでのこのこやってくることもしばしば。しかし近宵はスマホ片手に若者が集まってばかり。まずい。いつかはギターをまっぷたつにしないといけないのか。今手にしているこの愛機、我のギターは十五万する。三十六回払いをバイトで稼いで死にながら支払った。つまり、したがって、できれば、いや、絶対に割りたくない。あの一本割っただけでも我の精神はどん底だと言うのに。我は我の愚行を呪っている。また、こいつを叩き割ればお嬢とのライブに支障が出る。新しく買い換える金はない。私が知る限り、馴染みのギターショップでもまっぷたつ保障が適用されることはない。前回まっぷたつにしたのも八万円する。我の愚行を悔い、そして後悔したばかりだ。しかし、ここにいる見物客の目当ては私のロック溢れるギター演奏でも、お嬢のロック溢れる歌声でもない。我のギターまっぷたつ一発芸なのだ。嫌でもわかる。仮に今夜も叩き割ってこの場を盛り上げたとしても、その狂気と素行不良により明日以降の我々の演奏が自治体様に取り上げられてしまうかもしれない。風紀の乱れとか常軌を逸しているとかで。それは本望ではない。
該当夜も時間いっぱい演奏した。我々のパフォーマンスはいつも全力でロックである。しかしそれを理解できる人間は少ないと思われ、観衆の大半はパフォーマンス目当てで、この中にきちんと曲を聴いてくれた者が数人いればそれは奇跡だろうと思われた。
演奏を予定していた全ての曲を終えると手拍子が始まった。まっぷたつコールである。スマホボーイズ&ガールズはまっぷたつを期待している。該当夜の機運はこれまで以上に高かった。このまま何事もなかったかのように撤収したいが、それは許されそうにない。まさか本当にやれというのか。私は両手を無気力にだらりと下げ、無気力な表情で、覇気のない眼で観衆を見つめた。やるせない。
そしてそれは突如投げ込まれた。我にそれを受け止
める以外の選択肢はなかった。……これは我のギターではない知らないギターだ。
「それをやれ! 思いっきりいけ!」
「えっ? えっ?」
投げられたギター。思わず手に取ってしまったが、これは?
「まっぷたつちゃん! 俺のギターをやってくれ!」
……まっぷたつ? これを? 本気か? あいつはバカなのか? しかし、それにしてもこれはいいギターじゃないか。白、いや、シルバーか。レスポールカスタム。夜の暗闇でもよくわかる。照明に当てればなお輝くことであろう。いや、あっ、気づいた、まさか、これ、ぱっと見だけどこれ、五十万以上するんじゃ。よく見えないから分からないけど、七十してもおかしくないかも。えっ、めちゃくちゃいいやつじゃん。やだよ。やだよ、やだよ。無理だって、こんなの。まさかこれを割れと? なんてもったいない。メーカーに怒られるぞ。製造者からクレームの嵐だよ。百歩譲って自分のギターならまだしも、投げ入れられた高級ギターを叩き割れだなんて、むちゃくちゃな。それこそ不条理である。
「まっぷたつ! まっぷたつ! まっぷたつ!」
地獄のようなコール。少なくともこんな声援を聞きたいがためにバンド活動をしているわけじゃない。苦笑いのお嬢も可哀想である。これは勇気を持って断らなければ。
我は両手で高級ギターを抱え、返そうとした。すると投げ入れた持ち主が出てきた。我は安堵した。しかしすぐに困惑した。
「まっぷたつちゃん! お願いします! 叩き割ってください! このギターには複雑な事情が! ひと思いに!」
土下座された。なんて複雑な。人も事情もギターも複雑とは。なおのこと両断できない。まっぷたつちゃんの異名はできれば使用したくない。非公式でも。明日からは別の名前に。そういえば我は活動名なかったな。まっぷたつちゃんで決まりか。
「土下座の証拠動画取ったよ! まっぷたつちゃん! ひと思いに!」
スマホのひとりが報告する。いよいよ我に逃げ場がなくなった。すがるような思いで、この場で唯一助けを求められるお嬢にエスオーエスの視線を送った。しかしお嬢もノリノリで「まっぷたつ」コールをしていた。あとがなくなった。
我は受け取った高級ギターを一度置き、自分のギターをスタンドに置き直し、それから再び白い複雑ギターを手に取った。
覚悟しよう。どう考えても我に責任はないが、しかし実行犯が我であることは避けられない。その場の雰囲気に流されたアマチュアバンドのギターが観衆のギターを叩き割った。事実が事実となることを覚悟しよう。怒られたら全部に頭を下げよう。弁償もしないといけないかも。考えると億劫だが、しかし、よく考えても、考えなくてもなぜ我が頭を下げなければいけないのだ。理解に苦しむ。不条理だ。
では、不条理なるが故に。
「せーいっ! ばいっ!」
これを機に「まっぷたつバンド」(←誰が言い出した)ではギターを投げ入れて土下座をすればまっぷたつちゃんがギターをまっぷたつに叩き割ってくれることになった。一部の人の間で、ネットでもリアルでも話題になった。一生恨むからな、もの好きアホ太郎観衆と最初に自分のギターを叩き割った我を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます