第七話_10月25日、26日 変わらない行動、変わっていく思考
「…なんで先輩と一緒の班なのか結局分かってないんですけど」
「相変わらず酷いね、朝麻会長」
…体育祭にはもってこいの晴天の下、僕へのイジり言葉が「会長」に決定してしまった僕は兎耳先輩の前に並んでいた。この千橋中では、毎年この行事で1年生と2年生混合の班を組まされるらしい。なぜ1年と2年だけなのかは置いておいて、今はこの6班班長の僕を先頭に一列に並んでいる。様々な場面で、僕と先輩は一緒に行動する状況に陥りやすく…まぁいくらかは出席番号の関係もあるのかもしれない。それでも今回の班決めはクジであったため、僕がどれだけ引きの悪さを持っているかが説明しなくとも分かってくれるはずだ。
「あ、バスが来たよ」
「…5班までの人が乗るまでちゃんと待っててください」
「私はそんなに我慢ができないような子供じゃないから大丈夫だよ」
今朝のことだ。僕はまだ太陽が低い位置にある時間、つまり誰よりも早く集合場所に着き、先生方のお手伝いをしていた。もちろん生徒会長として誰よりも早く集合するのは当たり前のことだと思っている。最近少し肌寒くなってきた気温に震えながら、お手伝いの休憩がてらベンチに座っていると_それはやってきた。
「おはよ〜朝麻」
「……」
「どうしたの?そんな苦虫を噛み潰したような顔をして?お手伝い疲れちゃった?」
「…先輩?」
「うん、なぁに?」
「何かの間違いですよね?」
その時…というか今もそうなのだが…の先輩は、一言で言うと可愛かった。決して卑猥な意味などは含まれていない、と言わなければいけないと感じるのは思春期特有なのでこの際無視する。先輩はいつもそのまま流している髪を今日は結んでいた。それだけでいつもとは一変して可愛く見えるのはもはや無性どころか才能なのだろう。でも普段から「てへぺろっ」って言った時を想像してもキモくならない先輩のことだし、まぁ妥当なのかもしれない。
「何が?」
「今日は女の子ですか。いつもは男子なのに。」
「私は普段から性別なんてないよ」
「そういうことじゃなくて、その、見た目が、です」
言葉がたどたどしくなったのは、自分の発言の穴を疲れたからの他にままならない。先輩は「じゃあちょっと手伝っちゃおっかな」と言いながらもすでに体が動いており、僕も先輩ばかりに先生の手伝いをさせるわけにはいかないので手伝った。ちなみにこのあと重い荷物を運んでいる最中に躓いて転びかけたことが恥ずかしいことだと自分で自覚している。無性とはいえ、女の子の見た目をした先輩に支えられたのだから。
6班のメンバーである1年生と2年生3人ずつがバスの左側の座席に縦3列、横2列乗り終える。一年生が左側に座ることになっているので、ここでも兎耳先輩が自分の右に座って隣り合っている。車内特有の少し息詰まる匂いを嗅ぎながら、朝食とビニール袋の入った巾着袋を前の座席の後ろについている網に入れる。網には車椅子のシートベルトの仕方などが書かれた説明書が入っていたが、先生はそのことについて何も指示しなかったので、言われた通りに巾着袋を入れた。兎耳先輩は自分のところにも入っていた説明書を取り出し、それに食い入るように見ている。先輩を無視してエアコンの風向きを自分と先輩のちょうど真ん中に来るように変える。窓のカーテンをしっかりと端っこに留めている最中にバスが発車し、隣で説明書を読んでいた先輩もいつの間にか前を向いていた。車内の人がざわざわしているうちに先生が前に出てきて、「みなさんおはようございます」と大声で明らかに返事を求めている挨拶をしてくる。もちろんその期待、というか普通のことを無視するはずもなく「おはようございます」と生徒の8割が挨拶をした。残りの2割はもちろん外を見て雑談だ。そのまま先生は車内用のマイクを持ち、そのまま話し始めた。挨拶はマイク越しでしないあたり、やはり先生も先生なりのプライドを持っているのかもしれない。
「みなさんおはようございます。今日は修学旅行にもってこいの晴天ですね。」
__本当は体育祭をしたいほどの晴天だったが、修学旅行にももってこいなのには変わりない。これまで今日は体育祭だと自分の中で思っておこうとしていた僕でも、流石に先生の言葉は認めざるを得なかった。
「本日バスの運転をしてくれる方は_」
真面目に話も聞かずに外を見てはしゃいでいる生徒たちに呆れたのか、それともいつものことだから叱る気力もないのか、先生はそのまま真面目な話をし始めた。自分が先生の話を真面目に聞いている間は、先輩も何も言わずに先生の方を向いていた。先輩が先生の話を本当に聞いているかどうかは別として。
いつの間にか太陽が山を完全に超え、その日光は右側の窓から車内に差し込む。少し車内が暖かくなってきた気がしたのでエアコンの吹き出し口の近くに手をかざしてみたが、依然としてエアコンからは冷風が吹いていた。
今朝早く来すぎたせいか、それとも先輩はいつもより静かだったせいか、先生の話が終わってすぐ車内で寝ていた僕はバスが勢いよく停車した衝撃で起き上がった。いつの間にか、あたりは広い駐車場一面になっており、先に着いていた他のバスからは生徒が言い合いしながら降りてゆく。何を言い合いしているかは分からないが、窓越しでも声が聞こえるため大声で何かを言い合っているのは確かだろう。あたりを見渡すと生徒たちが各々の荷物を前の座席から自分の荷物を取り出していた。他の人に聞くまでもなく、周りを見て僕も自分の荷物も取り出す。先輩の方を見ると、先輩もこちらを見ていて、ちょっとびっくりさせられた。
「着いたね〜」
「そうですね」
前の席から順番に…ではなく、ここでも不良らしく、というか本当に不良なのかもしれないがお互いがお互いを押しのけるように早くバスから出ようとしていた。自分が座っていたのは一番前の席だったので、押しのけ戦争に巻き込まれることなく一番に出る。そのまま先生の後ろについていくと、先生はバスの下に押し込まれていた荷物を次々と地面に置いていっていた。「できるだけ早く移動したいので手伝ってくださーい」と呼びかけられ、少し排ガスくさい空気に混じって手伝いに行く。するとものの数分で荷物を出し終え、先生を手伝わなかった生徒は自分の手荷物だけ持って他の人とまた雑談していた。修学旅行で浮かれるのはいいが、先生とかの協力の上で成り立ってることを忘れるなよ?と心の中で語りかける。もちろん心の内は伝わる訳では無いが、このあと宿泊施設に言ったときに任されている挨拶のときに言えば大丈夫だろう。良くない行動が目立つことは減るはずだ。
長い長い待機時間のあと、全てのバスから生徒が降りてきて、先生と生徒会の必死な呼びかけによってようやく全員一列にならんだ。その並び方はグダグダであったが、時間重視の修学旅行では仕方のないことかもしれない。1年生と2年生がずらずらと先生方に着いていくと、そのまま大きな門が見えてきた。アーチ型の門の上には「ZOO」とだけ書かれており、看板としては少しさみしい気もしたが、先生に団体用チケットを配られたころにはきれいさっぱりそのことを忘れる。そのまま自動改札…の、自動が機能していないゲートを通り、そのまま動物園の中に入った。ここからは班での自由行動になるらしい。しおりを確認しながら入口付近で待っていると、先生が班の自由行動開始の合図を出す。そのまま僕達の班事前に立てておいた計画通りに右から周った。
最初こそ土の上を歩いて看板を確認しながら進むだけだったが、すぐに触れ合いコーナーにたどり着いた。ちなみに、最初にふれあいコーナーを選んだ理由は時間に余裕があり、なおかつ人の少ない時間帯だと考えたからだ。触れ合いコーナーの柵に「入る前に手を洗ってね」と書いてあったので、班の人たちと協力して手洗い場を見つける。手洗い場は少し土っけのある白いコンクリートだった。手を洗っている途中、水を手に溜めて他の人に飛ばしている2年生もいたが「汚れるとあとで面倒になるのでやめてほしいです」といいながら持っていたタオルで水飛び散ったところを拭く。ちなみにこのタオルは汚れてもいいもので、手を拭くタオルとは区別してある。
二重柵を丁寧に、かつ動物が逃げ出さないように素早く開け閉めする。柵の入口で待機していた飼育員らしき人に笑顔で案内されながら、それぞれ一匹ずつ、触りたい動物を膝の上のタオルに乗せてくれた。タオル越しに、また人とは少し違った毛の温かい空気が伝わってくる。撫でても大丈夫なところを説明されてから、僕達は膝の上の動物を撫でたりし始めた。ちなみに僕が選んだのは薄茶色っぽい毛の色をした兎だ。兎耳先輩は…日本のお月見の定番イメージ、白い兎を膝の上に乗せてほっこりした顔で毛の向きに沿って背中をなでなでしていた。他の生徒たちは乱暴にしてしまうのでは、と心配をしたのも束の間、僕の予想に反して優しく撫でていた。流石に動物の命を乱暴に扱うことに気が引けたのかもしれない。飼育員に見られているから、ってわけではなさそうだ。
「兎可愛いね〜朝麻」
「いつもの先輩なら殺してるのに今日はかわいがっているんですね〜」
「だって私達のところにある山には白い兎なんていないじゃん。こういう機会だし、可愛がるのが一番だよね〜」
「先輩らしい理由ですね」
「そういえば、なんで同じ兎でもこんなに毛の色って違うんだろう。意識したことなかったなー…」
「前言撤回で」
さきほどとは心配する相手を変化させた僕は、改めてここが動物園だと言うことを再認識する。…流石に動物園の動物に手を出すことはないと思うが、それでもなんでも言葉通りに行動しちゃいそうな先輩の好奇心は、僕の恐怖心を上げさせて来た。せっかく楽しい修学旅行を台無しにしてほしくない。修学旅行の本来の目的は学習なのだから、別に楽しむ必要はないのかもしれないが。
少し予定時間より遅れてしまったが、他のお客さんが出た頃合いを見て触れ合いコーナーを出た。そのまま全ての動物を見れるように、順番に回っていく。途中でその場所にいる動物に関する情報が乗った看板などがあったが、僕と先輩以外それを読んでいないのか、毎回急かすように次の場所に移動しようとしていた。ちなみに先輩はさっきの触れ合いコーナーのように動物を実験したがるような発言が出てくることはなかった。もしかしたら、見ている動物が別に小動物ではない上、十分な情報を看板から得ているおかげで先輩の好奇心があまり駆り立てられてないのかもしれない。
急かされたおかげで今度は計画していた時間より早く一周し終えた僕らの班は、入口付近にある建物にいた。そこには「楽しく学べる動物クイズコーナー」と書かれたコーナーがある。それとは区別されているであろうコーナーには動物のシルエットが描かれた色取り豊かな壁に、数々の小さいこども向けの遊具やおもちゃが置かれていた。さっきまでさっさと移動しようとしていた人もクイズコーナーでああだこうだ言い合いながらクイズを一個一個答えている。兎耳先輩は…こども向けのコーナーで、幼稚園児ぐらいの子たちといっしょに遊んでいた。本気になりすぎず、子どもに寄り添うように話しかけている。子どもに手を取られても笑顔で接している先輩は、意外と子ども好きなのかもしれない、とも思い始めていた。僕はどちらのコーナーにも属さない真ん中の椅子に座っており、そのそばには他の人達の荷物。つまり、荷物番兼このあとの予定確認係だ。それとは別に班の人たちが余計なことをしないように観察しているのは班長として必然の務めなので自主的にやっていた。
おみやげコーナーには…寄らなかった。実は動物園に入ってすぐにチラ見をしていたのだが、どこの観光所も同じように、動物園オリジナル製品ばかり売られているお土産コーナーの製品は全て高かった。
風呂上がりの温泉牛乳は美味しいと聞いたことがある。しかし宿泊中の貴重品…スマホやお金は先生方に預けているせいで温泉牛乳が変えなかったので、それを確かめることはできなかった。しかし眼の前にいる生徒は自分の服に隠していたらしいお金で温泉牛乳を買っている。周りが見えていないのか、それとも自販機で買うから旅館の人から先生にチクられることがないと思ったのか、僕がすぐ後ろにいるにも関わらずその生徒たちは白い自販機で番号を打っている途中だった。この場には温泉牛乳を買っている生徒数名と僕しかいないので、どうせ注意しても謝ることはないだろう。僕は無駄な労力の消費を抑えるため、着慣れない浴衣のままラウンジから借りている部屋まで戻ることにした。石でできた廊下がひんやりしているおかげで、家のお風呂より熱い温泉から出た体に染み渡る。そのまま白いスライドドアの並ぶところまで進むと、右側のドアに書いてある番号を見ながら「208」と書かれた扉を探す。青い文字で「208」と書かれた扉を見つけると、そのままドアを開けようと冷たいドアの取っ手に手をかけた。…開かない。ドアを左側にスライドしようとしても紙一枚程度しか通らない隙間しかできない。もちろん生徒に鍵は預けられてないので、先生が鍵を閉めたのだろう。…仕方ない、ここからかなり遠いが、先生方のいる部屋まで行って鍵を開けてもらおう。そう思って体を反転させたとき、後ろで「ガチャ」と音がした。もしや、先生が僕らの部屋に侵入した…?と怪しんでドアを開けてみる。そこにいたのは先生_ではなく、僕と同じように浴衣を着た兎耳先輩だった。濡れた髪を乾かすためか、もう髪を結っていない。また男子っぽい見た目になった先輩に、僕が動揺していると思われないよう自分から話しかけた。動揺してると勘違いされたら先輩にイジられそうだからだ。
「…先輩、温泉上がるの早いですね」
「温泉は行ってないよ」
「…あ」
…そういえば、先輩には性別がない。男湯で見かけなかった気もするし、第一そのときは僕に声ぐらいかけるのが僕の兎耳先輩像だ。女湯でも同じことだろう。流石に風呂に入ってない、ってことはないと思うが…
「部屋の中にある風呂に入らせてもらっただけだよ。俺以外に温泉行けない人もいなかったみたいだし。」
「なるほど…」
温泉入らなくて本当によかったんですか?と聞こうとしたが、先輩が自分が無性であることをコンプレックスに思っているかもしれない。そこの価値観を先輩から聞いたことはないのは、過去の自分と同様に話題に掘り出すのはよくないと考えていたからだ。畳の上に中途半端に広げられている布団を見ただけで先輩が準備してくれようとしていたと気づいた僕は、先輩に良くないことを聞こうとした罪滅ぼしに「途中まで準備してくれてありがとうございます。後は僕にやらせてください。」と言った。先輩がそのとき何を思っていたか…そのときは想像できなかったが、先輩は「うん。よろしく。」とだけ言っていたので丁寧に布団を敷いた。ちなみに班の人たちが温泉から戻ってきたのはそれから30分も経ったあとで、先輩が「長かったね。温泉どうだった?」と聞くと、一人の男子が「深かいところあったし広かったから泳ぎやすかったわ」と言った。泳ぐための温水じゃないんだよ。
この部屋は床が全て畳の和室だ。入ってすぐの場所には居間があり、木製の広いテーブルと6個の座椅子、そして温泉に行く前までテーブルの上に味の違う6個の飴が乗っていた小さい籠がそのままにしたあった。ほぼすべての人類が気になるであろう「笹味」の飴は意外と人気で、みんなでじゃんけんをした結果一人の女子生徒の手に渡った。ちなみにそのあともじゃんけんによる飴騒動があったが、僕は最弱王、つまり一番人気のない「抹茶味」の飴を舐めたことになる。抹茶と言う割にはクソ甘かったが、それでも不味いことには変わりない。
居間の奥のふすまを開けると2つの部屋に分かれていることが分かる。入口から見て左側の部屋が一年生の寝室で、右側が二年生の寝室だ。しかし今やその境界が定められておらず、先輩までもが混じって枕投げを居間でしている。そんな中を僕の声が通るとでも思ったか?もちろん僕なんかの声より先生の声が通るので、廊下から聞こえてくる「消灯時間です。早く寝てくださーい。」の言葉でみんな倒れるようにその場で寝た。「…せっかく布団を敷いたのだから、布団で寝てほしいです」という僕の声は、静かになった部屋でようやく聞こえるらしく、女子生徒が小声で「恋バナしようよ」とか言いながらもちゃんと布団に潜っていった。
兎耳先輩だけが部屋に戻らず何やらファイルを荷物から取り出していた。先輩は荷物整理してから寝るのか。かくいう僕もまだ居間にいたので、左側の部屋で寝に行こうとした。するといきなり兎耳先輩に手首を掴まれ、不意打ちを食らった自分は勢いよく後ろを振り返る。僕が振り返るのと同時に先輩は部屋の入口の方へ行こうとした。
「朝麻〜!天体観測に行くよ〜!」
「…え?」
もう消灯時間過ぎているんだから寝ましょうよ、という言葉が喉に引っかかり、そのまま先輩は腕を引っ張って部屋から出ると廊下を走り始めた。引きづられる体制を取られると旅館から借りている浴衣が汚れそうなので仕方なく一緒に走る。ちなみに僕の方が足が若干早いため、先輩に置いていかれるということはなかった。だがなぜ寝ないのか、なぜ天体観測に行こうとするのか、どっちも聞けばよかったのに、そのときの僕は半分パニックになっていてどっちから聞こうか迷う。そのままスライドドアの並ぶ廊下から大広間を通りすぎ、先生方の宿泊している木製のドアの部屋の前まで来る。先輩はあたかも当たり前のことのように部屋を3回ノックし、そのままドアを押して開けた。
「失礼します。あ、深野先生!屋上の鍵をください!」
「はい。どうぞ。」
「え?」
その部屋の手前側で歯磨きをしていた深野先生までもが当たり前のように屋上の鍵を手渡してきた。僕だけが状況を飲み込みきれてないまま先輩に手を引かれていく。深野先生が普通に鍵を渡したってことは少なくとも本当に天体観測をしにいくのだろう。さっきの大広間から上へ階段を駆け上がっていると、4階で先輩は左側に行った。またそこにある階段を登って、先輩がさっき深野先生にもらった鍵で鉄製のドアを開ける。僕が質問する隙を与えずに、先輩はここまで僕を連れてきたのだ。
「今日は天体観測日和の晴天だ〜!」
「えぇ?」
ドアから少し離れたところで両手を空にあげている先輩は、大きすぎず、それで楽しそうな声でそう言った。ここ危ないな、と思いながらフェンスも何も無い屋上の端にいる先輩に近づいた。
「どうしたの朝麻。こんなにいい天気なのにまた変な顔しちゃって。」
「いや…え?」
「ああ、そうだ。まだ朝麻には言ってなかったっけ。」
いや言っておいてくれないと困るって。先輩はわざとらしく、言い忘れていたかのような顔をして、僕に事の真実を教えてくれた。
「科学部は毎年、修学旅行ついでにこの旅館の上で天体観測をしているんだ」
「…3日とも、ですか?」
千橋中の修学旅行は、毎年3泊4日で毎回同じ旅館に泊まるらしい。つまり今日を入れてもこの旅館には3回来るということであり、3日間とも何時間かかるか分からない天体観測するというのは流石に気が引ける。
「別に朝麻がやりたいならそれでもいいけど、他の日は雨とか降った時の予備日って感じかな」
流石にそんなバカなことはなかったか
「なるほど…でも望遠鏡とかはどこにあるんですか?」
「あそこの建物に、大きいやつがあるよ」
そう言って先輩は入ってきたところとは反対側にある屋根がドーム状の建物を指さした。暗くてそこまで見えないが、狭い一軒家ぐらいの大きさはあるだろう。先輩がそこに向かって歩き出したので、自分も空を見上げながらついていく。そういえば今日は新月だとバスの中で一人の女子生徒が言っていたし、この旅館はバスで1時間以上登り続けるような高い場所にある。さらに出発時からずっと晴天で雲一つなかったので天体観測にもってこいなのだろう。木々に隠れているおかげで、少し不気味なぐらい街明かりが見当たらない。雲は基本的に西から東に流れる、と理科の授業で習ったのを思い出し、だから東に移動した僕らはずっと晴天の下今日を過ごしたのか?とか自己学習しているうちに、先輩が建物のドアの鍵を開けた。先輩は鍵が固くてだいぶ苦戦していたらしい。
先生方に見られているわけではないが、礼儀は礼儀だ。僕は「お邪魔します」と挨拶をして先輩の後についていくように建物に入った。
「…いやデカッ…いですね」
建物の中にあった望遠鏡は…明らかに自家用ではない大きさだった。入口から反対側だったため見えなかったが、望遠鏡の向いている方向の屋根は四角く空いており、中からも望遠鏡で見えるようになっている。自分の身長の4倍ほどの大きさがあろう望遠鏡。それをどうやって操作するのか疑問に思っていると、先輩が望遠鏡の左側に移動し、そこにあるパソコンを起動させ、パスワードを打ちながら僕に言った。
「そりゃぁもちろん。土星まで見えるやつだから結構でかいよ。流石に海王星は見えないけど。」
「この旅館一体何なんですか」
「趣味で天体観測をするような人もたまに来る場所らしいよ。今は科学部が貸し切っているから安心して。」
「…これどうやって動かすんですか」
「まあ見ててよ」
一会話の間にようやく起動したアプリには僕にはまだよくわからない英語が書かれたボタンらしきものが表示されていた。先輩がそれをマウス(もちろんパソコンの方のマウスだ)でボタンを次々とクリックしていくと、「OK」と「NO」という2択画面が出てくる。その「ON」が押されると同時に、望遠鏡が少しずつ右上に傾いていった。屋根もその動きに合わせて右側に動く。
「…すごい」
「でしょでしょ!」
あまりにも大規模なすごさに思わず敬語を外してしまったが、先輩があまりにも自分事のように言うのでどうツッコもうか、と考えているうちにどうでもよくなった。望遠鏡がほぼ90度ぐらい右に曲がったところで止まり、先輩がパソコンで新しいアプリを開くと、おそらく火星であろう星がアプリのモニターに表示されていた。おそらくこの望遠鏡とパソコンをリンクさせて表示させているのだろう。先輩は持ってきていたファイルを開き、その指示通りに望遠鏡を動かしている。浴衣などという風通しの良い服装のまま寒い屋上に来たことを後悔している僕には目もくれず、先輩は「あれ?」とか言いながら望遠鏡を必死に操作していた。先輩があまりにも本気で困っている姿は初めてなので、ちょっと気まずくなった僕は20分ぐらい経った頃に話を切り出す。
「…僕こういうの得意なんで、ちょっと触らせてほしいです」
「いいよ〜」
もうちょっと一言二言ぐらい言うと思っていた僕は、先輩の言葉に少し驚く。ファイルに書いてある情報を見せながら、ボタンの説明なりなんなり先輩が分かりやすくしてくれたので、思ったより簡単に操作ができた。操作に慣れようと木星を探していると、いきなりモニターに星が表示されたので、それを凝視する。ファイルの資料と合わせて見てみても、それが木星であることはほぼ確かだった。なんで僕が先輩より短時間で見つけるんだよ。
「木星見えましたね」
「え、朝麻すごいじゃん!」
褒められたなら、まぁいいか。照れ隠しだと思われるかもしれないが、それでも僕は率直な感想を言った。
「この望遠鏡のほうがすごいと思いますけどね」
「俺にももっとよく見して!」
少し望遠鏡の倍率を上げると、それに食い入るように先輩が身を乗り出す。あまり邪魔にならないように、僕は左側に身を寄せた。
「…ちゃんと記録とってくださいよ」
「もちろんだって」
先輩がファイルの真ん中らへんを開くと、今度はそれぞれの星の様子を書く欄が出てきた。先輩がファイルとモニターを交互見ながら、何やら細かい字でペンを走らせている。科学部でも実験の記録とか書いたりするので、そのたびに先輩を見て思うのが先輩は本当に筆マメだ、ということだ。適当に感想でも書いて終わらせそうな見た目をしているが、決してそんなことはない。
「今日は月明かりがなくて見えやすいですね…」
「そもそもここ山の上だしね」
「…流れ星、今の時期見えやすいらしいですよ」
これもバスの中でとある女子生徒が言っていたことだ。そのうえで自分がもともと知っていたかのように流れ星の話題を出したことに、ちょっとだけ罪悪感が湧いた。
「じゃあ流れ星探す?」
ようやくモニターから目を離した先輩は僕の方に向き直り、そのままファイルを閉じてドアの方に向かおうとする。
「先に望遠鏡片付けてください」
「はいはい。朝麻は可愛いんだから。」
「…それどういう意味ですか」
別に僕は男子だし、可愛くもないですよ。低身長ではあるけど。
「流れ星探したいなんて、可愛いなあって意味」
「まだ子どもだけど幼くはないです」
「分かってるってー」
本当に分かっているのか不安になる返事をしながらも、先輩はパソコンの電源を落とした。先にドアを開けて屋上の端まで寄ると、先輩も駆け足で追いかけながら僕の隣にならんだ。明るい一等星までもがチカチカして見える。今の時期でもまだ夏の大三角が見えるのか、ここだったら暗めの秋の四辺形も見えるのかと考えながら両方とも探す。星や宇宙に関する知識を引っ張り出しているうちに承認欲求が湧いてきた僕は、先輩に一つ問題を出すことにした。
「先輩、太陽が年を取るとどうなるか知っていますか?」
「うーん…星は最後爆発することもあるてのは聞いたことあるけどなあ…」
いい線を行っているが、惜しい。最期に爆発する星はたいてい太陽の何百倍も大きい星なのだが、太陽が年を取るともっと面白いことが起きる。
「太陽が年を取るとだんだん大きくなって、いつかは地球を飲み込むほどの大きさになるらしいですよ」
「え、こわ」
「どうせ僕達が行きてない頃の話なんですから怖がっても意味ないですよ。僕からしたら先輩の方が怖いです。」
皮肉のつもりだった
「朝麻のこと殺すわけ無いじゃん。自分が死ぬのだって怖いし。」
先輩の発言がいつもちょっとズレているのは、わざとではないのか、とこのとき初めて思った。かといってわざとである可能性も捨てきれない。今問い詰めても答えが出ない議論は無視して、先輩に正論をぶつけることにした。
「じゃあもっと人生大事にしましょうよ、先輩」
「…これでも大事にしてるよ」
「…たとえば?」
あれだけ体を張って犯罪を犯している先輩のどこが人生を大事にしているのか。もっともらしい疑問を短い形で送った僕に、先輩は奇想天外で、それでも一応道筋は通っている答えを返してきた。
「やりたいこと、特別なことをできるだけたくさんやる。これあんま言わないけど、人殺してみたいなーとか思うこともたまにあるんだよ?だけどさ、死刑になったりとかで死んじゃったらやりたいことをたくさん出来なくなっちゃうじゃん」
「でも少年院とか刑務所に入れられたら出来なくなりますよ」
「別に一生出られないわけじゃないし、それはそれで特別な体験じゃん」
「ポジティブすぎませんか?」
バツが悪くなったのか、先輩はさっきまで正面にある星を見ていたのに僕とは反対側の右に顔の向きを変えた。先輩からの返事は来ない。何を考えているのか、そのときの僕は先輩の顔が見えなかったのでいまいちわからなかった。なぜか心地よい沈黙の中、そよ風が体の体温を奪っていく。そろそろ部屋に戻ったほうがいいか判断するため周りに時計がないか探していると、ようやく先輩が口を開いた。
「…科学部は12時までには寝てなきゃいけないし、もう戻ったほうがいいよ」
「先輩は戻らないみたいな言い方ですね」
「俺は片付けとか戸締まりとかあるから後から行くよ」
「…わかりました。お先に失礼します。」
そう言ってドアのところまで歩き、ドアを開く前に一応先輩の方を見る。先輩はまだ顔をそっぽに向けたままであり、なんとなく先輩と夜空似合うなと感じた。あまり長くいるのもよくないので、ドアの音をできるだけ立てないように屋上から出る。
「……星に泣かされたな」
その独り言は、僕ではなく、壁越しに聞こえた先輩の声だった。
時刻は深夜2時。月明かりもなにもない部屋で、ふすまを開ける音と共に一つの明るい声が響いた。
「朝麻〜!一緒にここらへんにいる動物でもこっそり見に行かな…」
彼…かは分からないが、途中で言葉を切った兎耳綾真こと兎耳は、部屋の一番奥に敷かれている布団を見つめていた。つい2時間ぐらい前に朝麻が寝ていた場所は今やもぬけの殻であり、兎耳は手前と真ん中で寝ている一年生二人を踏まないように奥へと進む。彼の顔はさっきの明るいものとは一変して、思案顔に変わっていた。
まだ半分しか捲れていない厚い毛布をさらにめくる。やはり真っ暗の部屋では何も見えなかったのか、兎耳はいつの間にか手に握っていたこの世最安の懐中電灯で部屋を照らす。淡い光でもいつも暗い森で作業をしている彼には十分な明かりだったのだろう、そのまま布団を撫でるように何かを探す素振りを見せた。少しして彼が手に持った物は、朝麻の体にさっきまで埋め込まれていた小さな盗聴器。盗聴器の上を指で数回トントンし、そのまま兎耳は自分の耳につけていたこれも小型のイヤホンを外す。それをしばらく見つめたのち、なぜか盗聴器を元の場所に置き直し、また何かを探し始めた。
次に彼が手に持っていたのはまた朝麻の体に盗聴器と共に仕込んでいた毒の注入装置、しかし中に入っている毒の種類は兎耳も知らなかった。息の詰まるような室内にエアコンの音だけが静寂を拒む。またその機械を元の場所に戻した兎耳は盗聴器とリンクしているイヤホンをつけ直そうとした。何度か盗聴器を落としながらも綺麗につけ直した兎耳。彼はもう確認すべきことは確認し終えたのか、そのまま彼の手に持っていた懐中電灯が突如として消える。他の生徒が聞いているかもしれないのに、それでも兎耳はもぬけの殻の布団を見つめながら呟いた。
「なんで視覚情報で助けを求めようとしなかったんだろうね、朝麻」
…眠い。
昨日夜遅くまで天体観測をしていた僕は、昨日の先輩との会話を思い出す。結局一晩中自分なりに考えようとして、あまり寝れていなかった。朝の清々しい空気が空振りするかのように僕だけ体が重く、朝のラジオ体操の動きもいまいちだ。
生徒同士の会話はなかった。先生の指示によって人と人との間隔が大きくなっているからだろう。
ラジオ体操も終わり、今度は食堂に向かうことになっていた。ようやく生徒たちがガヤガヤするようになり、まだ寝ている他の宿泊客に迷惑になるのではと考える。そんなこと言っても細かすぎると批判を食らうだけなので指摘はやめておいた。班ごとに別々の席につく。四角いテーブルの間を挟んで僕の反対側に兎耳先輩が座った。
「…」
「…」
会話はない、する気も起こらない。だって今の先輩はいつもより何かを考え込んでいる顔をしている。この状態で先輩に話しかけようものなら、ほとんどの人がためらうだろう。だから僕も話しかけなかった。依然として何を考えているのか、僕には分からない。それでも一つ分かるのは、兎耳先輩が昨日の夜のことを考えているって事だけだった。
===============================
======================
===========
どうも僕だああああああ!!!!!
3日遅れの投稿ですね。不穏な回となっております。
正直疲れてるけど、今月末にある定期テストの勉強もしなきゃいけないのでできるだけ早く第八話投稿したいなーって思ってます。
それではアデュー
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