第三章 ヴェルセラ王国の巻
第21話 どうしよう
御主人様の登場は、馬車の乗客皆の目を引いた。
なるべくマントで隠していたのだけれど、この物寂しい車内の中で、青い絹と金ボタンは明らかに浮く。
「……人さらい……」
「かどわかし……」
そんなヒソヒソ話が嫌でも耳に入る。
金持ちのお坊ちゃまを私がさらって来たように見えても仕方がない。
車外で六頭の馬を操る馬車の御者は、お金さえ入ればあとはどうでも良いのだろう、無関心に徹している。
どうしよう……。
こんな状況で「御主人様が勝手についてきてしまって、私も困っているの!」なんて言ったって、信じてもらえるはずがない。
そうこうしている間も、駅馬車は走り続ける。
「……自首しな、悪いことは言わねえ」
花火職人のジャックがささやく。
「違うの……そんなんじゃないわ」
占い師のお婆さんも首を振りながら、
「……良い娘さんだと思ったんだがねえ」
と残念そう。
占い師なら、ちゃんと当ててみなさいっていうの!
腹立ち半分、当惑半分で揺れる馬車に乗っていると、御主人様がピョンとマントから飛び出し、乗客の前に立った。
「御主人様、何をなさいます!」
「しゃべるな。舌を噛むぞ」
御主人様はガタゴト揺れる馬車の中央に、絶妙なバランスで立っている。
「皆の者、分からないのは当然である! おっと」
何を始めるのでしょう……。
「僕は実はさる大貴族の世継ぎである。とっと」
ガタゴト、ガタゴト、馬車の音だけが響く。
「厳しい冬を前に領民はじめ貧しい下々の者がどんな苦労をしているか、知りたいと思った。おっと」
「御主人様……」
「皆が不審に思うのも無理はない。これはお忍びの旅である、おっとっと」
そこで御主人様は私を指差した。
「これなるは忠実な部下アデリーヌ、こう見えて武芸百般を修め、万巻の書を読んだ学者でもある」
御主人様、盛りすぎ、盛りすぎ……。
私は恥ずかしくて顔を伏せた。
「フードで顔を隠しているのは不審者だからではない。忍びの者ゆえの宿命なのだ」
そっとうかがうと、乗客たちは御主人様の
「嘘でない証拠に、皆に金貨を配ってみせよう。その代わり、僕を見かけたことは誰にも言わないでくれ」
チョンチョンと御主人様は私をつつく。
「ダメです、王妃様からいただいた大事な金貨です」
「ここで使わなければいつ使うのだ。おっとっと」
私はしぶしぶ首にかけた袋を引っ張り出し、小さな金貨を乗客の数だけ取り出した。
「さあ手を出せ」
おずおずと手が伸びる。
これまで金貨なんて見たことも触ったことも無い人たち……。
私は落とさないように、一人一枚ずつ配った。
「本物か?」
「分からねえ。ただ重たいな」
ジャックがすっとんきょうな声をあげた。
「本物だ! 噛んでみろ、歯型がつくぞ!」
馬車じゅうがどよめきに包まれた。
噛んでみては「本物だ」と言う声。
「御主人様、気前が良すぎます……それに金を持っていると思って襲われたらどうなさるんですか!」
「もちろん、アデリーヌがやっつける」
「御無体な!」
護身用の短剣さえ持っていないのだ。
しかし、その心配は無かったようだ。
「ありがとうよ……これで冬至の祭が過ごせる」
「故郷のおふくろに良い靴を買ってやれる」
「借金のかたに取られた畑を買い戻せるかも」
「行けなかった新婚旅行に行けるぞい」
逆に私は心配になった。
大金を持ち慣れない者が持つと身の破滅を招くことがある。
それにしても、なんでこの人たち、こんなにお金がないんだろう?
「皆様、金貨の使い方は慎重にしてください」
「おら、家宝にするぞ、使わねえ」
「それくらいのほうがよろしいかと」
馬車の中の雰囲気が
「アデリーヌ、寒い」
私は冷え切った御主人様の体をさすりながら、
「よくもまあ、あれだけの嘘八百を……」
「上に立つ者、言葉と態度で民を納得させねばならぬ」
最終的にはお金でしたけれどね。
「……アデリーヌ、これは日々の悪戯で学んだことだ」
はて?
「悪戯を成功させるには、素知らぬふりで相手をよく観察していないと、成功はおぼつかない」
「それで私めに悪戯を仕掛けて鍛錬なさっているのですか?」
「……いや、アデリーヌを観察しているのは、単に悪戯のためではなく……」
なぜか御主人様は真っ赤になっている。
まあ良いか。
それにしてもどこかで御主人様の衣装を目立たないものに替えてもらわないと。
馬車はヴェルセラ王国との国境の町に入った。
しまった、御主人様には通行券が無い。
国境の検査で怪しまれる。
「御主人様、国境をどう超えるおつもりですか?」
「またスーツケースに入る」
「開けられますよ」
「開けられないようにしてくれ」
どうしよう……幸い私が持っている通行券はヴェルセラ王国では大貴族であるロッシュ侯爵家のマルク男爵が身元保証してくれたもの。
行き先も侯爵邸になっている。
「えい、成るように成れ!」
国境の駅で私たちは駅馬車を降り、国境監視員の検査を受けた。
皆、剣と銃で武装しているわ!
「次!」
「はい、アデリーヌ・ド・フレールサクレにございます」
貴族を示す「ド」に反応する監視員。
「フレールサクレ伯爵家の一員でございます」
「フレールサクレ家と言えば、あの聖なる力を持つ……」
「そうでございますわね」
監視員が困っている。
伯爵家の一員ともあろう者が、駅馬車なんかを使うとは。
「……派手なお迎えは好みませんの」
「そうですか……通行券もちゃんとしているし、いちおうスーツケースを開けていただいて……」
私は、一世一代の芝居を打った。
「無礼者!」
スーツケースに手をかけようとしていた監視員の動きが止まる。
「身元は明かしましたし、侯爵家まで参るという通行券もあらためていただきましたわ」
「荷物を開けろなどと、これ以上の無礼は許しません」
「いちおう規則ですので……」
「体まであらためるつもりですか!」
「いえその、そこまでは……」
「では、外交問題になってもよろしいのですね?」
監視員たちは何やら相談している。
「分かりました、御令嬢。お通りください」
「最初からそう言えば良いのです。では、ごめん遊ばせ……」
私と御主人様は、堂々と国境を通過した。
その後道を聞き、侯爵邸の方向に行く小さな馬車に相乗りさせてもらった。
「なんだ、アデリーヌさんも、ロッシュ侯爵様に御用なのか?」
「ジャック!」
これは心強い。
馬車の中に向き合って座った。
「御主人様、出て来て大丈夫ですよ」
ビックリ箱のように、御主人様がスーツケースから顔を出す。
「よう、お坊ちゃま」
「無礼である」
「これは失敬」
今度の馬車は乗り心地がマシ。
私は隣に御主人様を乗せたまま、うつらうつらしていた。
そのままジャックと馬車を乗り継いで三日。
やっと目的の侯爵邸の門が見えて来た。
「ここからが長いんだ」
と、ジャック。
「ええ、格式ある貴族の邸宅は、門から見えないほど奥にありますからね」
「さすがよくご存知だ」
「侯爵様の冬至祭で花火を上げるんですの?」
「そうだ。庭いっぱいを花火で照らしてみせる」
「それ、本当に見られるかも知れませんわね」
門には、ふさわしい制服を着込んだ立派な門番がいる。
「乗り合い馬車でごめんなすって。花火師のジャックです。いただいたお手紙がこれで……」
ふむふむと門番はしわくちゃな手紙を読んでいる。
「荷物は花火の材料です」
「ふん、良いぞ」
「ありがとうござい」
門番は、私と御主人様の方を向いた。
「そっちは?」
「御令息のマルク男爵に招かれた、アデリーヌ・ド・フレールサクレでございます」
通行券を出す。
ああ、これで長い旅も終わった。
「アデリーヌとやら、そんな連絡は受けていない。帰れ」
え!
そんな……。
神様、これからどうしましょう?
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