第8話 母君のスカートの下には
深呼吸。
深呼吸。
王妃様にお目にかかるとあって、前日から私は眠れなかった。
王妃様にとっては嫌に違いない話題。
お年を召されてから授かった一粒種の王子、レイモン殿下のやろうとした「いけないこと」
お部屋の前までは、王妃様付きのメイド、クララが案内してくれた。
「アデリーヌ、頑張って……どんなお話か知らないけれど」
ありがとう。
「アデリーヌ・ド・フレールサクレ伯爵令嬢が内密なお話で参りました」
鈴を振るような声は、王妃様に仕える侍女。
メイドと違って、水色の絹のドレス姿だ。
「入りなさい」
王妃様の低いけれどよく通る声。
「失礼いたします」
真紅のカーテンの向こうに王妃様はいらっしゃった。
窓近くの小テーブルから、こちらに優しい視線が注がれている。
「アデリーヌ・ド・フレールサクレでございます」
私はメイド服の脇をつまみ、深くお辞儀をする。
「……見事なカーテシーをありがとう。でも、気を使わなくても良いわよ」
王妃様は、おいでと手招きされた。
暖かそうな濃紺のベルベットドレスをお召しだ。
あ、向かいの椅子が空いている。
私はそこに座らせていただいた。
王妃様の金髪と青い目は、御主人様にそっくり。ただ、王妃様のほうが柔らかく、包み込むような雰囲気がある。
「毎日ご苦労様。お茶でもいかが?」
「ありがとうございます。光栄です」
侍女が銀の盆に乗った茶器セットを運ぶ。
メイドに侍女がお茶を出すなんて信じられない光景だが、伯爵令嬢という私の素性はよく知っているのだろう。
落ち着いた手つきで、濃い紅茶の入ったカップを王妃様と私の前に置く。
「ありがとう。下がっていなさい。私はアデリーヌ嬢と内密なお話があります」
「かしこまりました」
侍女は優雅に会釈して部屋を出る。
二人っきりだ。
「……それで? 大事な話というのは?」
王妃様の声は優しい。
隣国の侯爵夫人の不調が治ったのは、この陛下のお気遣いあってこそだろう。
さて、どこから切り出したものか。
「アデリーヌ、あなたの苦労は分かっているつもりです」
「……は」
「聖女候補として大切に育てられたあなたは、試験の結果聖なる力が宿っていないとされ、伯爵邸を追われた」
「……はい」
「代わりに妹が聖女に選ばれて、どんなに心折れたでことしょう」
うるっ……。
私は思わず目元を押さえた。
「けれども、あなたは聖女候補として学んできたことを捨ててしまわなかった」
少し驚いた。
聖女になれなかった私を、気にかけてくれていた人がいるなんて。
「私と夫は、神様から授かったレイモンを、少し甘やかしてしまいました。それに気付くのがちょっと遅れてしまって……それに、私たちには公務があって、レイモンの面倒を見きれない。反省しています」
母君たる王妃様から、こんな言葉を聞くなんて。
「聖女候補として最高級のしつけと教養を備えたあなたなら、もしかしてレイモンを正しく導いてくれるのではないかと、
ああ、そんなお話を、最初に宮殿に上がった時に聞いたような気がする。
だけどその時、私は動転していて、よく聞いていなかった。
「先日……侯爵夫妻がいらした時に、あなたがメイド服で飛び出して来て、私は本当に驚きました」
「申し訳ございませんでしたっ」
私は鼻が紅茶のカップにつくほど頭を下げる。
御主人様を追いかけるためとはいえ、螺旋階段の手すりを滑り降りるなんて、教養ある伯爵令嬢のすることではない。
「レイモンを追いかけてくれたのよね」
「……はい、そうです」
「あなたにはレイモンの家庭教師をお願いしたのに、面倒事をすっかり押し付けてしまって……」
ポロッ。
こらえていた涙がこぼれる。
「レイモン付きにした侍女もメイドも、あの子の悪戯に手を焼いて辞退してしまいました。あの子を辛抱強く見守ってくれたのは、アデリーヌ、あなただけです。心から感謝しています」
ポロポロと涙はこぼれ、テーブルに落ちた。
聖女試験に落ちて世をすねていた私を、こんなに高く評価してくださるなんて。
「それにその姿、メイド長のジェルレーヌの嫌がらせですか?」
家庭教師として呼んだ伯爵令嬢がメイドになっていれば、雇用主は驚くだろう。
一応、御主人様に許可は取ってあるのだけれど。
「違います、この格好のほうが御主人様を……その、追いかけやすいので」
「まあっ」
王妃様は口元を押さえた。
「アデリーヌ、あなたには想像以上の苦労をかけているようですね」
私は涙を
「御主人様のお相手は、大変ではございます。ですが、御成長を見守らせていただくお役目は、楽しくもございます」
王妃様は小さくため息をつかれた。
「まだ十七歳のあなたに、そこまで覚悟をさせて……」
「王妃様、御主人様……レイモン殿下のふだんの悪戯は……子どもらしい悪戯です」
「……アデリーヌ……」
「ですが、今回、殿下は私たちのお風呂をのぞこうとなさいました。未遂に終わりましたが、お客様のマルク男爵と御一緒に」
はっと息を飲む王妃様を、失礼にあたるかと思いつつ見つめる。
「これは、私の手にはあまります」
私はきっぱり言った。
悪い知らせこそ、早く思い切って伝えなければならないのよ。
そこは戦場での判断も同じ。
王妃様は額に白い手を当てて考えておられる。
「家庭教師として尽くしてまいりましたが、力及ばず、申し訳ございません」
私はもう一度頭を下げた。
力及ばず……私は本当に無力だ。
「……分かりました、アデリーヌ。知らせてくれてありがとう」
「……はい」
「私からもレイモンに言って聞かせます」
……良かった……母君からのお言葉なら、御主人様も聞き分けてくださるだろうし……。
「男爵にも、言葉をかけておきます」
「ありがとうございますっ」
これで一安心。
王妃様に相談して良かった……。
「アデリーヌ、貴族の令嬢にお金で働いてもらうこと自体、失礼だとは分かっているのだけれど……」
なんでしょうか?
私は王妃様の口元を見守る。
「お給金を倍にします」
「そんな、もったいない!」
「あなたは自分が思っている以上に知恵と勇気があり、忍耐力もある、貴重な人材です」
「あ、ありがとうございます……」
「感謝の気持ちをお金であらわすのを、卑しいこととは思わず、受け取っておくれ」
私は胸がいっぱいになった。
この感謝をどう伝えようと迷っていると、
「レイモン、出てきなさい」
え、今なんとおっしゃいました?
王妃様のドレスのスカートが揺れたと思ったら、そこから顔を出したのは、なんと御主人様!
「話はすべて聞いていたわね」
王妃様もお人が悪い……内密にと申し上げたのに、御主人様本人が聞いているなんて。
私は怒りと恥ずかしさで頬が火のようにほてった。
「アデリーヌにこんな苦労をさせて……謝りなさい!」
御主人様はテーブルの下からはい出すと、数歩離れて私の方を見た。
「レイモン、聞こえませんでしたか!」
王妃陛下の厳しい声。
「陛下……」
「マルク男爵と遊ぶのも、当面禁止します」
御主人様はくねっと体をよじった。
「アデリーヌ、ごめん……」
「きちんと謝りなさい」
「ごめんなさい」
私は、あわてて止めた。
「陛下、殿下、十分でございます」
御主人様は、上目使いに私を見ている。
叱られたのが明らかに不満そうだ。
「レイモンや……臣下の献身には誠意をもって応えるものですよ……あなたのために泣いてくれる人が何人います?」
ありがたいお言葉に、また涙が出そうになった。
「分かっている!」
御主人様はそう言い捨てると、だっと王妃様の部屋から駆け出した。
「御主人様、お待ちください!」
「アデリーヌ、捨て置きなさい」
「でも……」
「まだ子どもです。母の叱責の意味を理解するには時間が必要でしょう」
そうかもしれない。
「お茶が冷めてしまったわ」
「……申し訳ございません、いただきます」
「砂糖菓子もどうぞ」
王妃様とのお茶……聖女候補と持ち上げられていた昔に戻ったよう。
ただ、御主人様は納得していない。
気になってお菓子の味もしない。
王妃様だけにこっそり言うつもりだったのに。
御主人様を同席させるなんて、あとが怖い。
王妃様はお考えあってのことでしょうけれど、この仕掛けは逆効果になりかねない。
チクリ屋だと御主人様に思われるなんて、神様、あんまりです。
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