第2話

 大きな声でリズムよく彼女に声を投げたが、残念ながら私の声はキャッチしてもらえなかったようだ。


「声でかい。うるさい。あと、部活なら他をあたって」

「なんでですか……?」


 あまりにも冷たく尖った声が飛んでくるので、不安という言葉が私を包み込んだ。

 

 目の前の綺麗な女性は眉間に皺を寄せて、溜息をついていた。

 

「合唱部は今年で廃部だから――」

「えっ……?」


 急な言葉に理解が追いつかず、体が凍りつきそうになる。


 合唱部が廃部――?

 

「ま、待ってください! 廃部? どういうことですか!?」

「そのままの意味なんだけど」


 彼女の声は相変わらず冷たく、私の胸を刺してくるような声だった。

 

「私、ここの合唱部に入りたくて、勉強頑張ってこの高校受けたんです。水嶋先輩に憧れて……」

「耳ついてる? 廃部だって言ったでしょ? 気安く話しかけないで」


 言葉も表情も冷たい女性はヘッドホンを耳につけて窓側を向いてしまった。

 

 しかし、私はここで引き下がるような人間ではない。廃部の理由はわからないが、廃部だったとしても成し遂げたいことがあった。


 窓際に腰掛ける先輩のヘッドホンを両手でかぱっと外し、彼女の顔を覗き込む。


 水嶋先輩は目を丸くしてこちらを見つめていた。


「廃部まで、一緒に歌ってください! 私は水嶋先輩の歌声に憧れて入学しました!」


 あの時の感動を思い出すと今でも心が震える。

 

 去年、部屋に閉じこもっていた私は、母にこの高校の文化祭に無理やり連れてこられた。

 

 その時、たまたま耳に入った音――。

 合唱部の心のこもった合唱――。

 そして、水嶋先輩のソロパート――。

 

 水嶋先輩の歌声は私の心を鷲掴みにした。


 透き通るような声だけれど、どこか重みがあって、心に直接響いて訴えてくるような魂のこもった歌声だった。

 

 それだけで高校を決めたから、学校の先生に反対されたけれど、母だけは真剣に応援してくれた。


 その日から文化祭の映像が何度も頭に浮かび、水嶋先輩の声が耳に流れる。あの時のことを思い出すと、胸が焼けそうなほど熱く、苦しく、幸せで満たされる。

 

 暗闇の中で動けず、もがいていた私を救ってくれたのは先輩の歌声だ。

 

 私の人生を大きく変えてくれた。

 

 だから、私は彼女の横で彼女と一緒に歌いたいと勝手に願ってしまったのだ。


 そんな憧れの先輩のことを見つめると、驚愕するほど冷たい眼差しを向けられて、手に持っていたヘッドホンを取り上げられる。


 水嶋先輩は私の横をスタスタと風を切る勢いで通り過ぎた。吹雪かと思うくらい彼女が横を通った時に感じる風が冷たかった。

 

 たしかに、いきなり先輩のヘッドホンを取って話しかけるなんて失礼だ。しかし、自分のこの高ぶる思いを抑えることはできなかった。


 水嶋先輩は急にゴソゴソと棚を漁っていて、古びた紙をぼんっと机の上に投げてきた。


「その中から好きなの歌って。センスがあれば入部していいよ。まあ、入部させる気ないし、どうせ廃部だけど」

「好きなの……?」


 机の上に散りばめられた楽譜をさっと広げると、知っている曲から知らない曲まで色々な楽譜があった。


「早く歌って」

「い、いまですか!?」

「できないなら入部は許可できない」


 目の前にいる女性は憧れた女性ではなく、鬼だと思った。

 

 私が憧れた人が、こんなに冷たいなんて信じたくない……。

 

 歌声からはそんな感じはしなかったはずだ……。


 水嶋先輩は苛立っているのか、腕を組んでじりじりとこちらを睨んでくる。

 

 ざっと楽譜を眺めてもすぐに歌えるような曲はなかった。

 さらに……。


「あの、パートは……?」

「それも自由にしていい」


 早くしろ、と急かすような目つきでこちらをいつまでも見つめている。

 

 私に今できる最善の方法を考えた。

 

「そしたら一週間、時間をください!」

「は?」

「ちゃんと練習したいです!」

「いや、今だって……」


 先輩が話している途中だったけれど、無視して机に投げられた楽譜をざっと拾って音楽室を出た。

 

 時間がない。

 

 せっかく入部できるチャンスをもらったんだ。

 

 ちゃんと自分のできることを尽くしたいと思って、静かな校舎の中を駆けていた。

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