第2話 授業がほんっとうにつまらないという話
授業がつまらない。ほんっとうにつまらない。私がつまらないと感じているのは国語,英語である。その他の教科は嫌い(先生が)だったりウザい(先生が)だったりの気持ちはあるもののつまらなくはない。私がつまらないと感じるのは現在の先生の授業であり,その教科がつまらないということではない。そこら辺を理解してこれを読み進めてほしい。
まずは国語について語っていく。今まで何の感情もなかったのだがある日を境に本当につまらなくなったのだ。
時は2024。2学期期末テスト後。私はいつものように塾に通った。そこで国語を学んだ。
「・・・何!?」
私は驚いた。とても面白かったのだ。今までなんでこんなにもつまらないと感じていたのだろうかと不思議になるぐらい楽しかった。私は塾と学校の違いを考えた。するとある結論が出た。それは「教える」と「任せる」という違いだ。塾の方は指示語はどこにかかっているかだったり内容を教えてくれる。学校では「では皆さんで内容を読み取っていきましょう。」と私たち生徒に任せる。このような違いがあった。ただ任せられても自由の少ない自由時間となっていたためこの日から学校の授業がつまらないと感じていたのだ。
次は英語について語っていく。英語の授業は本当に最悪だ。ただ本文を読み,単語の意味を理解し,本文を理解し,簡単な問題を解いて行くという形だ。何がつまらないかというとほぼタスクを実行しているだけにすぎないからだ。授業ではひらめきと理解により楽しいという気持ちが発生するのに対し,単純な行動をしているためつまらないと感じるのだ。
学校の授業では生徒たちに考えさせるということを重視させている。しかし,そのやり方を間違えているせいでつまらない授業になってしまっているのだ。ではどうすれば楽しい授業になるのか教員に必要なモノ,生徒の読者の皆さんが楽しむためにやるべきことを考えていく。
まず,なぜ授業で考える必要があるのかについて前提として説明する。この先AIの時代がやってくるだろう。AIは人間と違い圧倒的な知識量,圧倒的な記憶スピードを持っている。対して人間は膨大な記憶容量はもっているものの,それを記憶するのが圧倒的に遅い。しかし,AIは感情を司る前頭葉を持っていないため感情および感情に関連する能力,因果関係(○○だから🔳🔳という関係)で覚える能力が人間より乏しいのである。そのため,私たちはAIより優れている「なぜ」や「どうして」などの疑問を持つこと,そしてそれを考え,説明することを鍛えていく必要がある。だから授業で考える必要があるのだ。
つまり,教員には生徒自ら疑問に思える授業をすることが必要である。具体的には基本となる知識を教え,ちょっとでも疑問に思ったこと,納得したことを自分で調べたり,みんなで調べたりする方法がある。是非この文章を読んでいる教員の方は実践してほしい。
実践されていない先生のもとで授業を受ける場合は,予習が大事になってくる。少しでも授業より先に言葉を知っておき,余裕を持って授業を受け,自分の心が動いたことを率先してやっていけばいいだろう。できない方,または英語など感覚で覚える教科は是非発見や何かの知識と絡めて覚えると言うことを大切にしてほしい。
この章では教員の授業について語った。是非とも生徒が楽しめる,考えられる,ひらめきのある授業にしていってほしいものである。
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