眼鏡を外すとき

星ヶ丘 彩日

一、恋の地殻変動

第1話

「あの…ありがとう…ございました…」


「礼なんていいよ。それより大丈夫?この道、ああいう連中が多いから一人じゃ通らない方がいいよ」


「でも…この道は…一人だってどうしても通らなきゃいけない道だから…」


「ふーん、じゃあ…この道、君が安心して歩けるように私がしといてあげる」



-----



「まもなくぅ〜、3番線ホーム、列車が参ります。ご注意ください…」


ガタンガタン…ガタンガタン…


プシュー…


「ドアが閉まります。ご注意ください…」


いつもの朝

いつもの日常


同じ事を淡々と実行するだけの毎日


これが私の幸せ

これが私の普通


そんないつもの日常を理不尽に荒らすものが現れた時にだけ…


私は眼鏡を外す


………はずだった…。


-----


極厚レンズの眼鏡をかけ、ぱっつん前髪の黒髪ロングヘアで特に目立たない地味な装いをしている 鷹鳥たかとり なな子、十六歳。高校一年生。


極厚レンズの眼鏡を外した素顔は、すれ違う人が皆振り返る程の美人である。


成績は学年トップの優等生。

抜群な記憶力という才能があった。

そしてもう一つ、隠れた才能がある。

それは…


ケンカが強いこと。


好きな言葉は「無敵」

座右の銘は「精神一到何事か成らざらん」

なな子が日々、心に置く言葉である。


普段、日常会話でするなな子の話し方は、至って普通の女の子であるが、ケンカをする時と授業中先生に当てられた時にだけその口調は一変し、落ち着きのある大人びた口調へと変化する。


なな子の父である 鷹鳥たかとり 弘乃丞こうのすけは、元暴走族総長であり現役時代はその名を知らぬ者はいない程に恐れられていた。現在は驚異の突然変異により名門塾講師をしている。弘乃丞は容姿に優れており女性ファンが多い。


なな子の母である 鷹鳥たかとり 椿つばきは、元警視庁のエリートであり数々の難事件を解決させて来た敏腕刑事であった。現役時代は、"一騎当千の椿"と呼ばれていた。

現在は刑事を辞め、人気ヨガ教室のインストラクターをしている。

椿もまた容姿端麗な美人であり、椿目当てで通う男性受講生も多い。


そんな両親から産まれたなな子は、優れた頭脳と体幹を持ち合わせたハイブリッドな人間へと成長を遂げた。

ただ一つ、なな子には経験値ゼロなものがあった。

それは"恋愛"である。

しかし、趣味である少女漫画を愛読することだけでなな子は満足していた。


--


「まもなく〜つばめヶ丘、つばめヶ丘〜。お出口右側です…」


ガタンガタン…ガタンガタン…


プシュー・・・


「つばめヶ丘、つばめヶ丘〜…」



タタタタタタ…


いつもの朝、電車はなな子が通う高校の最寄駅に到着すると、途端に人々は忙しなく歩き出す。


なな子も駅構内を出口に向かいしばらく歩く。


"あれ…あの女…また同じ所でイチャついてる…って相手の男…また違う…。毎日毎日…日替わり定食かよッ。今日の男は…うちの学校の制服…"


なな子は、毎朝の登校途中に目撃する何処の誰か分からない見慣れた女の色恋に呆れていた。


"まぁ…関係ないけど"


--ー


"黒柴高等学校くろしばこうとうがっこう"


なな子がこの高校に入学してから半年が過ぎようとしていた。

入学して同じクラスになり、ずっと仲の良い唯一の友人で眼鏡仲間である 穂積ほづみ 多満子たまこ 松尾まつお 吾郎ごろうとは平穏な日々を過ごしている。


多満子「なな子ちゃん、おはよう」

吾郎「おはよう、鷹鳥さん」


教室に入ると友人である多満子と吾郎はなな子に声をかけた。


「おはよう、多満子ちゃんと松尾くん」

なな子も穏やかに返す。


すると廊下がなにやら騒がしい。


「ねぇねぇ見て見てー!!またイケメンがイケメンを怒ってるぅ!朝からめっちゃ目の保養」

女子生徒達が黄色い声を出し騒いでいた。


「オィコラァァッ!香月!!おまえ、朝から公衆の面前で女とイチャついてたらしいなァ。学校に苦情の電話が来てんだよッ!このクソガキッ!場をわきまえろッ」

朝から物凄い剣幕で怒っているのは体育教師で風紀委員の顧問である 辰島たつしま 巡哉じゅんや、二十二歳。

学校トップを争うイケメンであるが学校トップ恐い教師である。

巡哉は、なな子達の入学と同じタイミングで配属されたばかりの新米教師だが、早くもベテラン教師並みの威圧感と存在感を出している。


「え、どれの事?覚えてねェなァ…たくさんありすぎて」

体育教師の巡哉に怒られながらもしれっとしているのはなな子と同じクラスで隣の席の 香月かづき 悠佑ゆう、十六歳。

こちらも学校トップを争うイケメンであるがヤンキー気質で女遊びの激しいチャラ男である。


そう…この体育教師の辰島巡哉と生徒の香月悠佑は学校二大イケメンモテ男として校内の女性ファンが絶えない。

この二人のツーショット(大概悠佑が怒られている)はよく見る光景であった。

その光景を学校の女子生徒達はまるでショーを見ているかのごとくキャーキャーしながら見物しているのだ。


「・・・・」

なな子は、数多くのギャラリーの後ろ姿を冷ややかに一目すると愛読している本に目を戻した。


キーンコーンカーンコーン…


チャイムが鳴り生徒達は皆、着席した。


「えー、今度のテストは進級に最も影響するとても重要なテストだから。気を引き締めて勉強するように」

担任である 戸辺となべ ひろしが言う。


戸辺「あと香月!おまえ、今度点数悪かったら単位落として留年だからな!」


悠佑「げッ!マジかよ…」


戸辺「隣りの席の鷹鳥!おまえは成績優秀だから香月に勉強教えてやれッ!」


「・・・っ!!」

サラリと自然な流れで言い放った担任戸辺の言葉になな子はギョッとし耳を疑う。


「えぇ〜ぇ!鷹鳥さんいいなぁ〜っっ!」

クラスの女子達が騒いでいる。


なな子は隣の席の悠佑にゆっくり顔向けて見た。


「・・チッ!」

悠佑は舌打ちをして顔を背けた。


「・・・っ !」

なな子は額に怒りマークを浮き上がらせた。


高校に入学してから半年間、席替えが割と頻繁にあったにもかかわらず、どういうわけかずっとなな子は悠佑と隣の席なのである。

悠佑はイケメンモテ男であるが、なな子は地味な装いをしている為、悠佑とずっと隣の席であっても未だに他の女子生徒達からは嫉妬や心配などされることがない。


「香月いいか?今日の放課後残って、この課題をやって提出しろ。鷹鳥に教わりながらやるんだぞ」

担任の戸辺は数枚のプリント用紙を悠佑の机に置いた。


「えッ、マジかよォーッ!今日予定あんのによォ」

隣の席の悠佑は頭を抱えた。


「悠佑、また女とデートかァ?」

「え!悠佑くん誰とデート!?」

周りの生徒達が騒ぐ。


戸辺「コラッ!静かにしろッ!鷹鳥、申し訳ないが付き合ってやってくれッ」


なな子「・・・・」


"えーー!!嘘でしょォーっ!!こっちが頭抱えたいわッ!何でこんなチャラ男なんかに!私だって予定あるっつーのッ!"

なな子は心の中で絶叫した。

今日という日は、なな子が愛読している少女コミック新刊の発売日であった。


ギロッ…

なな子はただならぬ殺気を出しながら眼鏡をギラギラさせ隣の席の悠佑を見た。


悠佑はなな子の視線に気づき恐る恐る目を向けた。

ビクッ…

「…っっ」

悠佑は、未だかつてない殺気の伴ったなな子のオーラにたじろいだ。


キーンコーンカーンコーン…


「お手ッ!」「おすわりッ!」「伏せッ!」


休み時間、黒柴高校の校長が飼っている柴犬三兄弟、「チャン」と「りん」と「シャン」(全員雄♂)にしつけをするなな子。


高校から程近い所にある校長の自宅から、毎日校長が連れて来ている三匹の若い柴犬達は、なな子にとても懐いている。


なな子は度々、休み時間の合間を縫って校舎の一角にいるこの柴犬達に会いに来ているのであった。


校長「いやー、なな子ちゃんのおかげでこの子達もだいぶ行儀が良くなったよ。いつもありがとう」


なな子「いえいえ。いつも癒しを頂いて逆に私の方がありがたいです」


校長「この子達もなな子ちゃんにそう言ってもらえて、ほら、喜んでるよ」


柴犬三兄弟は口角を上げなな子を見上げながら、尻尾をブンブン振っていた。

すると、その内の一匹の柴犬がなな子の足にしがみつき腰を振り始めた。


なな子「あらあら。ませてるわね」


校長「あっ!チャンッ!!コラッ…」


校長となな子は苦笑いした。


そんななな子と校長の様子を陰から誰かが見ていた。


ーーー

放課後ー


「じゃあ…私達先に帰るね。えっと…頑張ってね、なな子ちゃん!」


なな子の友人である多満子と吾郎は先に帰って行った。


「はは…ありがとう…じゃね…」

なな子は絶望しながら二人を見送った。


「鷹鳥ィっ。サッサと片付けちまうから教えろよォッ」

悠佑が隣の席で足を組みながら偉そうな態度で言う。


「・・・むっ!…はぁ…。…どれ…」


なな子はため息つきながら悠佑の席に寄り課題のプリントに目を通した。

それは英語のプリントであった。


なな子「えっと…これは、現在完了進行形の文章で…、I have beenときたら〜ingになるから、現在分詞である①のreadingが正解」


悠佑「・・・現在完了進行形って何?」


なな子「えーっと、"ずっと~している"…とか、"今も〜してるだろう"…とか、継続し続けている事を表す文章のことよ」


「・・・・」

悠佑は空中を見上げた。


「・・・・っっ」

なな子は悠佑が想像以上に手強い相手だと自覚した。


ブーブーブーブー…

悠佑のスマホがしょっちゅう振動している。


イラ…

なな子は悠佑のスマホに苛立つ。


ブーブーブーブー…


イライラ…


ブーブー…


「ちょっとッ!スマホの電源切っときなさいよッ」

なな子は耐えかね悠佑に激怒した。


「鷹鳥って…意外と怒るんだなァ…ってかそのセリフ、女に言われるとちょっとゾクっとするわァ…」

悠佑は頬杖をつきニヤニヤしながらなな子を見た。


「・・・は?さすが遊び人の発想ね」

なな子はしらけた様子で悠佑を見た。


悠佑「それ嫌味かよッ」


なな子「そう捉えてもらって結構」


悠佑「チッ…優等生はつまんねぇなッ」


なな子「そう思ってもらって結構」


悠佑「・・・っ」


磁石で例えるならN極とN極を合わせたような…絶対にくっつきそうもない関係の二人であった…。


しばらくして、なな子はため息混じりに言った。


「今日…香月も予定があったみたいだけど、私だって大事な予定があったんだからねッ」


なな子はジロリと悠佑を見た。


悠佑「え…おまっ…まさか…実は、か…彼氏とかいんのかッ!?」


なな子「は?」


悠佑「だって…大事な予定があったって…」


なな子「ねぇ。大事な予定が全部色恋関係だと思わないでよ?あんたじゃあるまいし」


悠佑「え、違うの?」


なな子「違うわよッ!私、彼氏なんて作ってる暇ないくらい忙しいの。今日は私が愛読してる少女コミック新刊の発売日だったんだからねッ!」


悠佑「しょ…少女コミック…?」


なな子「何よ。何か文句ある?」


悠佑「いや…おまえってやっぱ、オタクなんだな」


なな子「オタク上等」


悠佑「・・・っっ。なぁ…鷹鳥って、俺の事怖がったりとかしねぇんだな」


なな子「は?」


悠佑「いや…俺見た目こんなんだし、今までだったら…おまえみたいなオタクで真面目な優等生は大概ビビって寄り付かねぇのに、お前は普通に接して来るからよォ。むしろ怒ってくるし…。俺の事怖くねぇんだなーって」


なな子「あんた…地味な風貌してる人間がみんな子羊だと思うんじゃないよ?」


悠佑「・・・っっ」


しばらく課題をやっていると、悠佑が突然口を開く。


「なあ、鷹鳥って…犬、好きなの?」


なな子はキョトンしながら悠佑を見た。


悠佑はチラッとなな子を見る。


なな子は、悠佑の意外な質問を不思議に思いながらも静かに応えた。


「うん、好き。・・・特に柴犬が好き」


…ドキッ…

悠佑は、なな子の"好き"という言葉に何だか胸をザワつかせた。


悠佑「・・・っ」


なな子「え、何?」


悠佑「あぁ…、やっぱそうなんだ…」


なな子「うん。この学校選んだのも名前が柴犬っぽかったからよ」


悠佑「え…っっ、マジかよ…」


なな子「でもどうしたの?急にそんな事聞いてくるなんて」


悠佑「いや…おまえが校長の柴犬三兄弟を可愛がってるの、よく見かけるからよ…」


なな子「あら、よく見かけるだなんて…あなた結構タイミング良いのね。私、不定期に会いに行ってるのに」


悠佑「…っっ、まぁな。俺タイミングに関しては才能あるからッ」


なな子「…っ。そんな才能、初めて聞いたわ。・・って、もしかして…香月って…実は…」


悠佑「・・・っ」


なな子「あの子達と仲良くなりたいとか?」


悠佑「えぇっ?!」


なな子「いいわよ、あの子達と仲良くなれるように私が仲介してあげても」


悠佑「…っっ、何か…合コンみたいな言い方すんなよ…。でも…まぁ、鷹鳥がそう言うなら?仲良くしてやっても良いけど??」


なな子「それ…逆にあの子達からそう思われるわよ、香月」


「・・・・」

悠佑は、なな子に懐いていた柴犬三太郎の上から目線な顔を想像した…。


---


夕暮れ時、悠佑の課題であるプリントをなんとか担任へ提出し、悠佑となな子は二人揃って帰路に就いた。


「まぁ…今日は…その…サンキューな。何か俺、頭のレベル上がった気するわ」

悠佑はちょっと照れながら呟いた。


なな子はそんな悠佑をチラッと見ると言った。


「まぁ…いいけど。…っていうか、今日だけじゃなさそうだったけど!?」


職員室で担任の戸辺が口にした言葉を思い起こす。


"ご苦労さん!じゃあ明日もよろしくッ!"


「やっぱおまえもそう思った?」

悠佑があっけらかんと言っている。


"ぐぬぬぬぬ…"

なな子は再び怒りマークを額に浮き上がらせながら悠佑を見た。


「まぁそう怒んなよ。俺は別に不満じゃねぇけどなァ。意外と居心地良かったし」

悠佑は真面目な口調で呟いた。


「え?」

拍子抜けした様子でなな子は悠佑を見た。


悠佑は真っ直ぐ遠くを見つめていた。

悠佑の顔が夕陽に照らされて赤いのか照れて赤いのか分からなかった。


「おまえは…俺に対して変に色目使ったりして来ねぇからなァ。俺に寄って来る女は皆、下心全開で寄って来るからさァ…ちょっと疲れんだわ」

悠佑は遠くを見つめたまま言った。


「いろんな女性と遊んでる人がよく言うよね」

なな子が無表情で言う。


「いやいや、言っとくけど俺…そこまで女好きじゃねェよ?皆は女遊びしてるっつーけど、俺のやつはイヤらしい方の遊びじゃねぇからなッ!ボーリングとかカラオケとか健全な遊びだからァッ!周りからは何かイチャついて見えてるみてぇだけどよォ…アレってただ仲良く喋ってるだけだからなッ。決定的な事なんて一切してねぇしッ!どうも俺が女の子の隣にいるっつーだけで、そういう目で見られんだよなァ…」

悠佑はなな子に反論する。


「きっとあんたが誤解されんのは、女性との距離感が近すぎるからよ。ボディタッチとかそういうのが多すぎるのよ」

なな子は冷静に分析をした。


悠佑「うっ…。まぁ、それは否定できねぇな…」


なな子「そういうのって誤解されてトラブルの原因になるだけだから、程々にしといた方がいいわよ」


悠佑「まぁ…確かに…。でも癖みてぇなもんなんだよなァ…。俺の姉貴がそういうタイプだからよぉ」


なな子「あら、お姉さんいるのね。羨ましい」


悠悠「おまえって兄弟は?」


なな子「一人っ子」


悠佑「へぇー」


なな子「でも、愛読してる少女漫画が私を楽しませてくれているから淋しくはないけど」


悠佑「おまえって…ほんとオタクだな」


なな子「オタク上等よ。ちなみに、ボディタッチが誤解の原因になるっていうのは、少女漫画から得た知識よ。いつもそういう勘違いさせて好きな子の誤解を招くのよッ!本当にじれったいわッ!」


悠佑「・・・っっ。おまえって…恋愛とかって…したことあんの?」


なな子「ないわよ。でも少女漫画で知識だけは得ているから、何の問題もないわ」


悠佑「…っっ。あっさりしてんなァ…。俺だって今まで恋愛感情抱いた女なんて小学校以来、いねェよ…。向こうから寄って来んのがもう当たり前みたいになっちまってるから、自分から本気で好きになるのとか…正直よく分かんねぇし…そういうのって何か戸惑うっつーか…」


悠佑は何かを考えるように遠くを見た。


「それ…少女漫画とかでよくチャラいモテ男が言ってるようなセリフね」

なな子はジロリと悠佑を見た。


「・・んじゃぁ、モテ男あるあるってことだなァッ」

悠佑はそう言うとなな子にニカッと笑ってみせた。


「・・・っ」


"何て無邪気な…。一瞬可愛いって思っちゃったじゃない…"

なな子は、心の中で動揺する小さいなな子をそっと胸の奥に隠した。


悠佑「おまえってさァ…変に気遣って来ねぇし、腫れ物に触るみてぇな感じで接して来ねぇから、おまえといると何か気が楽だわ…」


なな子「・・・あぁ…そう…」


"何てったって私…ケンカ強いし両親が両親だから、そんじょそこらのヤンキーなんか怖くないし…"


なな子はそう思うと、思わず悠佑にたずねた。


「・・でも、香月ってヤンキーっぽい風貌してるけどそんなにケンカしてないよね?」


悠佑「あぁ、中学ん時まではケンカ仕掛けて来る連中が割といたから俺もケンカしてたけどなー。どういうわけか…高校入ってから全くそんな奴らと出会わねえからよぉ、ケンカすることがねぇっつーか」


なな子「・・・っっ。ふーん…」


なな子は身に覚えのあるその状況を察し、瞬時に理解した。


なな子は静かに自身を落ちつかせると、ため息混じりに何気なく呟いた。


「でもさ…香月はもったいないねぇ。そんなに顔はカッコいいのに一途になれない遊び人だなんて…」


「え…鷹鳥でも俺のことかっこいいとか思ってくれんの?まさか、好きになっちゃった?」

悠佑がニヤニヤしながらなな子に詰め寄る。


「はぁ?そんなわけないでしょおッ。私は安定した一途な人が良いのッ。荒波の中を航海する大型漁船に乗るより、湖を穏やかに浮かぶ小舟に乗る方が良いのよッ!アンタは間違いなく荒波の方でしょッ」

なな子はビシッと悠佑を指差した。


悠佑「・・んだよそれッ!俺も鷹鳥みてぇな女とは間違ってもそんな雰囲気にはならねぇから安心しろッ!フンッ」


なな子「・・っ。当たり前でしょ!?はなから心配もしてないわよッ!フンッ」


なな子と悠佑はお互い意地になりそっぽを向いた。


しばらくしてなな子がチラッと悠佑を見てみると、どことなく悠佑から悲壮感が感じられた。


するとなな子は落ちついた口調で話し始めた。


「でもさ香月…、あんたがどういう理由があって成績が落ちる程にいろんな女性と会ったりしてんのかは分からないけど…。まぁ、健全な遊びって事だけど、それでも周りはあんたを誤解するような目で見ると思うよ。私は勉強を教えることでしかあんたの力にはなれないし…所詮他人のことなんて、その人自身の意志でしか変えることは出来ないから、私が香月を変えられることなんて出来ないけれど…。あんたの意志で変わろうって思えるような影響を与えることは、私でも少しはできると思ってる…」


「え…」

悠佑は驚いた表情でなな子の横顔を見つめた。


なな子「香月…。簡単に持てそうに見えて実はすっごく難しいものってなーんだ?」


悠佑「え…モテそうに見えて?俺のオヤジ?」


なな子「は?」


悠佑「いや…俺のオヤジって、いつもモテそうだよなーって周りからは簡単に言われるけど、実はすっごく難しいんだわ…キャラ的に…」


なな子「・・えーっと…うん、あの…すごく申し訳ないんだけど、あなたのお父上のモテ事情はどうでも良い…っていうか、"もてそう"の意味が違うのよッ!意味がァッ!!」


悠佑「え…。じゃあ、何?」


なな子「自信」


悠佑「自信…?」


なな子「そう。自分を信じる気持ちを持つ事」


悠佑は目を丸くしてなな子を見た。


なな子「自分を信じようっていう気持ちを持つ事って一見簡単そうに見えるけど…実は意外と難しかったりすると思うの。全然安定しないし、周りからの影響ですぐ不安になったりして…自信を失ってしまう」


悠佑「・・・・」


なな子「だからね、私…自分の目の前に弱ってたり元気なさそうな人がいたら、敢えて言葉にして伝えるようにしてるの」


悠佑「え…」


なな子「自信持ちなよ…って」


悠佑「…っっ!」


なな子「実際に人から言われると、ちょっと前向きな気持ちになれたりするもんなのよね。現に、私がそうだし」


悠佑は呆然となな子を見つめながら静かに聞いている。


なな子「私も小さい時から落ち込む度に、母さんからよくそうやって言われてきた。その度に、気持ちを少し…前に方向転換させることが出来てたから」


悠佑「おまえでも…落ち込むことなんてあんだな」


なな子「そりゃあるわよッ…人間だものッ。私を何だと思ってんのよッ!」


悠佑「…っっ」


「だからまぁ…つまり…もし香月が自分に自信が持てないからっていう理由で、いろんな女性と遊んでるんだとしたら…その必要はないよ。女に逃げずに、もっと自信持ちなよって…思う」


なな子は真っ直ぐ前を見たまま、大人びている声と冷静な口調で言った。


「鷹鳥…やっぱ…おまえってさ……」


悠佑がなな子にそう言いかけた時…


「オィィ…」

突然、体格の良い男が悠佑の前に現れた。


ボゴッ…!!


すると一瞬でなな子の隣にいたはずの悠佑が目の前から消え、後ろに吹っ飛ばされていた。


・・・!!


「…ってェ」

悠佑は顔を殴られていた。


「オィッ、テメェ…よくも俺の女に手出しやがったなァァ!!」

何処かの体格の良い男が悠佑に怒鳴り散らしている。


その男の陰には見覚えある女性が、ばつが悪そうに覗いている。


"あれ、今朝の…日替わり定食…"


なな子は、毎朝見たくもないこの女の色恋を見せられていた事を思い出しイラッとした。


するとなな子と悠佑の周りを五人の男が取り囲んだ。


「オィ…っっ、その女は関係ねェから巻き込むんじゃねェ…」

悠佑はなな子を気遣った。


「うるせェッ!その女がどうなろうが知ったこっちゃねェ…テメェのせいだろ?タダじゃおかねェ…」

そう言うと男は、倒れて身動き取れずにいる悠佑に再び襲いかかろうとした。


"・・ったく…"


ドスっ…


なな子は、悠佑に襲いかかる男を回し蹴りで一撃した。



・・・っ!!!


そこに居合わせた全員が驚き固まった。


バンッ!!


なな子は持っていたバッグを豪華に放り投げた。


そして制服のシャツの首元を緩めると、なな子はそっと自身の眼鏡を外した。


「ちょっとコレ持っててくれる?」

なな子は落ち着いた声と口調でそう言うと、悠佑を見ながら眼鏡を差し出した。


「・・・っっっ!!!」

悠佑は、眼鏡を外したなな子の顔を見て驚愕した。


なな子は悠佑に眼鏡を手渡すと人が変わったように男達に向かって言った。


「ちょっとアンタらッ!5対1は不公平なんじゃない?それとも…良い歳した男が五人も集まらないと何もできないのかしら?」


なな子の堂々たる様子に悠佑は目を丸くした。


「な…なに…?テ、テメェ…ふざけやがって…。ふふっ…ちょうど良い…。俺らが遊んでやるよォ…」

すると男達は、なな子に一斉に襲いかかった。


その瞬間、なな子はフッと笑みを溢した。


「オィッ、やめ…」

悠佑はなな子の後ろから叫ぼうとすると…


ドスッ…


"……マジかよ…"


悠佑の心配をよそに、なな子は次々と襲いかかる男達を最も簡単に倒して行った。


「・・・うっ…」

男達は皆一気に倒れ込み苦しそうにしている。


"・・・・っっ!!"

倒れ込む男達の中心で背筋を伸ばし清々しく立つなな子の後ろ姿に、悠佑は目を見開き釘付けとなった。


「オィッ!そこの男ッ!!」

なな子は悠佑を殴った男を呼んだ。


「え…っっ、俺…っすか…?」

悠佑を殴った体格の良い男は呆然としながら応える。


「アンタを見ながら別の人は呼ばないでしょ」

なな子は冷めた表情で言った。


「・・・うっ…」


「アンタさっき "俺の女に手出しやがった" とか何とか騒いでたよなァ…。アンタが飼い主ならさァ…フラフラとあちこち飛んでく風船みたいなそこの子猫ちゃんに、しっかり首輪と紐付けとけッ!毎朝日替わり定食なんか食べさせてないでなァ…」

なな子は目をギラギラさせながら毎朝溜まるストレスを発散させるかのように捲し立てた。


「ひ…日替わり定食…?」

男はキョトンとした。


「毎日違う男を食ってるってことだろぉがああッ!このすっとこどっこいッ!!」

なな子はパンパンに膨らんだ風船を離したが如く、勢いよく言葉を発散させた。


"す…すっとこどっこい…って…"

悠佑は唖然としていた。


「えェッ!!お、おまっ…まさか…あいつだけじゃねぇのか?毎日違う男と…?」

「えっと…その…ち、違うの…」

体格の良い男と日替わり定食の女が動揺しあたふたしていた。


「ねぇ…そこの子猫ちゃん。アンタがどんだけの男と遊ぼうが勝手だけどさァ、もっと場所選びなよ。毎日あんな目立つような同じ場所じゃぁ…顔覚えられちゃうよ、子猫ちゃんッ」

なな子はそう言うとフッと微笑した。


「・・・・っっ」

女は何も言えず俯いた。


「オィッ、テメェらッ!ちゃんとよく話し合ってから出直して来なァッ」

なな子は威圧感ある声でそう叫ぶと殺気の込もった鋭い目つきで男達を睨んだ。


「・・うっ…オ、オィ…おまえ…ちょっとこっち来い!どういう事か説明してもらうからなッ」

男は女の手を引き男達はそそくさと退散して行った。


なな子は振り返ると悠佑の前にしゃがみ悠佑を気遣った。 


「・・・。大丈夫?香月…」


「・・・・」

悠佑は至近距離で見るなな子の素顔を凝視しながら放心状態になっていた。


なな子「眼鏡…返してくれない?」


悠佑「お…おぅ。って…おまえ…、マジで…鷹鳥…なのか…?」


なな子「そうだけど」


悠佑「え…眼鏡してなくても大丈夫だったわけ?」


なな子「あぁ…コレ伊達だからね」


悠佑「はぁあッ!?え、マジでェーっっ!?そんな牛乳瓶の底みてェな分厚い伊達眼鏡なんてあんのかよッ」


「まぁ、この眼鏡特注だからね。防弾ガラスで出来てるから」

なな子は眼鏡を拭きながらサラリと言った。


悠佑「ぼ…防弾ガラス…って、鷹鳥…お前…一体何者なんだよ・・」


なな子「え?普通の高校生だけど」


悠佑「い…いやいやいや、全然普通じゃねぇだろッ!何だよ、あのさっきの強さ…」


「普通なんてのは人それぞれ違って当たり前でしょう?私が普通って言ったらこれがもう私の普通なのよッ!」

なな子がそう言うと眼鏡をかけようとした。


「ちょ…ちょっと待って!!眼鏡…かけんなよ…」

悠佑は顔を赤くしながら眼鏡をかけようとするなな子を慌てて阻止した。


なな子は手を止め、眼鏡をそっと胸ポケットにしまった。


「ほら言わんこっちゃないッ!女遊びが過ぎるからこんな事になんのよッ!…ったく」

なな子は文句を言いながらも座り込んだままの悠佑に手を差し伸べた。


「・・・っっ」

悠佑は顔を真っ赤にして静かになな子の手を握り立ち上がった。


「ほらここ…血出てる。拭きなよ」

なな子は口元を指差すと自身のハンカチを渡した。


悠佑「…っっ。サンキュ…。鷹鳥って、こんなキャラだったんだな…。だから俺の事もそんなにビビってなかったんか…。いつもその分厚い眼鏡で表情掴めねェから全然分からなかったわ…」


なな子「言ったでしょ?地味な人間がみんな子羊だと思うなよって」


「あぁ…確かに…。っつーか、何で学校にそんな眼鏡かけてってるわけ?伊達なんだろ?」

悠佑は目を丸くしながらなな子を見た。


「まぁ。辰島にも言われてるからね…。この眼鏡かけないと学校に来ちゃ行けないってさァー。何か変な虫?が付くから何とかって言って」

なな子は小さく笑いながら言う。


「・・・・」


"まあ…確かにそれは俺も同感だわな。鷹鳥のこんな素顔、学校の他の奴らには見せたくねぇもんな……現にこうして歩いてるだけでもすれ違う男みんな鷹鳥のこと見てるし…って・・・・ん?…今、辰島にも言われてるって言った??辰…島…??"


悠佑「え、辰島ってまさか…あのいけ好かねぇ鬼教師…??」


なな子「うん」


「え…えぇ、ちょ、ちょっと待って!何でアイツが??え…ってかアイツ…おまえの素顔知ってるってこと??え、な、何で??ま…まさか…二人…つ、付き合ってんのか…?」

悠佑はパニックになっていた。


「ちがーうッ!!ちょっと落ちつきなよ!!私と辰島はいとこなのッ!」

なな子は慌てふためく悠佑を制した。


悠佑「え……いとこ?」


悠佑はキョトンとした。


なな子「そう」


悠佑にいつも説教している体育教師兼風紀委員顧問である辰島巡哉は、なな子の父親弘乃丞の姉(なな子の叔母にあたる)の息子であり、いとこ関係であった。


「えぇーーっ!!マジかよ……」

悠佑は初めて知る衝撃の事実に愕然とした。


なな子「あんまり学校で騒がないでよね。めんどくさいから」


悠佑「・・つーか、何で今まで俺に教えてくんなかったんだよッ!!隣の席なのにッ!」


なな子「はぁ?何でアンタに言わなきゃいけないのよ。今日はじめて喋ったような人に。だいたいアンタ、今日私に舌打ちしてたでしょ?」


悠佑「うっ…」

悠佑は何も言い返せなかった。


なな子「あーぁ…。今日まさかこんな事になるなんてねぇ…。よりによって香月に知られちゃうなんてさ…」

なな子は天を仰いだ。


悠佑「じゃあ…俺なんかほっといて逃りゃ良かったじゃん…。何で助けたんだよ、俺なんか…」


なな子「そりゃあ…もったいないからだよ」


悠佑「え?」


「せっかくのカッコいい顔に傷がついちゃうのはさ」

なな子はそう言うと悠佑に優しい笑みを浮かべた。


"・・っっ!!"

・・・カァァァ…


悠佑は顔を最高潮に赤くし、なな子を呆然と見つめた。

悠佑は脳味噌に電流が走ったような感覚になり心臓もバクバクしている。

女性に追われる経験しかしてこなかったイケメンモテ男、香月悠佑が人生初の本格的な恋という大きい雷が落ちた瞬間であった…。


「それにー、あんたのおかげで今日は久々にストレス発散できたしね。あーっ!!スッキリしたーッ」

なな子は両手を上げ天を仰ぎながらそう言うと、悠佑を見てニッコリと笑った。


「・・っっ!!!」

恋の雷が落ちた後は、悠佑の頭の中で恋の花火が打ち上がった。

なな子の素顔での弾けるような笑顔に、悠佑の心は残さず完全に奪われた。


「でもさー香月、本当に女遊びは程々にしときなよ。またさっきみたいな連中が来るかもしれないよ?いくらケンカ慣れしてるったって、あんなに複数で来られたらさすがにヤバイでしょ。今日はたまたま私がいたから良かったけど」

なな子は歩きながら諭すように言う。


「俺…もう他の女とは会わない…」

すると突然、悠佑が真面目な口調で言った。


驚いたなな子は振り返り悠佑を見た。


悠佑は真剣な表情で真っ直ぐなな子を見つめていた。


「…っ」

なな子は、未だかつて見たことない悠佑の真剣な表情に息を呑む。


悠佑「俺、一途になれそうな女…見つけたから」


なな子「え…」


悠佑「確信した。もう俺…おまえしか見れねぇわ、鷹鳥なな子」


なな子「・・・っ!!」


なな子が日々思う何てことのない平な日常を過ごすという幸せに今、地殻変動が起きようとしていた…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る