始祖魔導士のラストグリモワール ~幾千億の魔法を極めた世界最強魔法使いによる魔法都市再建計画~

猫犬ワサビノリ

第01話『魔獣と少女と少年』

 

 魔獣がいた。

 それは、三つの頭を持つ『大蛇』だった。


 魔獣がいた。

 それは、二〇〇度の炎を纏う『獅子』だった。


 魔獣がいた。

 それは、羽ばたくたびに空間を削り取る、六枚の翼を広げる巨大な『鳥』だった。



 魔獣がいた。



 腕と足を八本ずつ持つ『猿』が。

 九つの尻尾を揺らめかせる『狐』が。

 全長五メートルを超える、毒の鱗粉を撒き散らす『蝶』が。

 数千数万の人間の腕で構成された『鯨』が。頭頂部から鋭い角を生やす『馬』が。一瞬で血肉を食い尽くす数億の『蟲』の大群だ。体中に口と牙を揃えた『鰐』が。空気を焼くような稲妻を纏う『猫』が。円柱状の空洞の内部に乱杭歯を揃えた『ミミズ』が。鋼鉄よりも頑強な毛並みで覆われた『熊』が。翼に本物の目玉が並んだ『孔雀』が。高速で動き回る砂鉄の『鹿』が。地中を泳ぐ『鮫』が。触れただけで草木を即座に腐らせる泥のような『山羊』が。霧を纏って姿を眩ませる『狼』が。不可視の『牛』が。人の形を真似て動き回る『大樹』が。有機物も無機物を体に吸収して姿形を変化させ続ける『白鳥』が。本物の人間の死体に糸を繋いで操る『蜘蛛』が。地面から顔だけを覗かせた『蛸』が。全身から棘を生やす『氷塊』そのものが。不自然に腕の長い人型の『天使』が。体のあちこちから刃を突き出す風を纏った『イタチ』が。生物の体を奪うために意思を持って空気を舞う『胞子』が。死んでもなお動き続ける『ゴブリン』の死霊が。生理的嫌悪を催すほど長い六本の手足で地を這う『オーク』が。全身を縦に割って獲物を捕食する『吸血鬼』が。己の血液を翼にして宙を飛ぶ『グリフォン』が。皮膚が剥がれ落ちた『ケンタウロス』が。一〇〇を超える人間の頭蓋骨を首に飾る巨大な『エルフ』が。特殊な歌声で微細な空気振動を起こし、周囲を塵に変える『セイレーン』が。


 形も、大きさも、種別も、生態も、何もかもが異なる魔獣の大群がいた。

 そして。





 その全ての眼球が、たった一人の少女に向けられていた。


 



(……いた、い……)


 薄暗い森林の奥深くに、一人の少女が倒れていた。

 背中を大きく引き裂かれ、何か鋭利なもので腹を貫かれ、腕を折られ、足の肉を抉られ、片目を潰され、皮膚を焼かれ……。

 立ち上がれなくなるほどの傷を負った、まだ幼い少女だった。


(あつい……)


 彼女の真上から、『黒い雨』が降り注ぐ。

 肌に落ちるその雨は、しかし雨と言うには粘り気が強く、ただの水滴とは思えないほど熱く、そして、錆びた鉄にも似た悪臭を放っていた。


(……いき、てる……?)


 生きている実感が湧かなかった。

 本当なら自分は、とっくに魔獣の群れに殺されているはずだったのに。

 いつまで経っても襲って来ない死に疑問を抱き、少女は目蓋を震わせ、静かに目を開ける。そして見た。




 目の前に、背中があった。


 それは、魔獣の群れの前に立ちはだかる、一人の『少年』の背中だった。




 本当に幼い少年だ。背丈も体格も、ようやく一〇歳を超えるか否かという程度しかない。相対する魔獣の群れからすれば、障害物にもならない小さな体の少年。

 にも拘わらず。

 無数の魔獣の群れは、まるで少年に行く手を阻まれているかのように、その場から微動だにしなかった。


 その時だった。

 凄まじい勢いで、『何か』が空から落ちてきた。


 視界に収まり切らないほどの巨体と、その数倍は大きい二対の翼。全身を覆う鱗は一枚一枚がナイフのように鋭く、のたくる尻尾は森の木々を薙ぎ倒しかねないほどに長く太く伸びている。

 それは『ドラゴン』と呼ばれる、世界で最も凶悪な魔獣の一種だった。


 そんな怪物が、のだ。


 ドラゴンの首から噴き上がる血が、黒い雨となって降り注ぐ。

 その雨と全く同じ液体が、少年の拳からも滴り落ちていた。

 ただ雨に濡れただけとは思えないくらい、濃く、深く、黒く濡れた、その拳から。


(……だれ……?)

 

 それが、少女の最後の疑問だった。

 直後、視界がかすむ。雨の音が遠ざかっていく。今まで保っていた意識が、急速にどこかへ落ちていく。五感も思考も暗闇に沈む。

 その寸前だった。


「ふううううううううぅぅぅ……ようやっとあったまってきたかのぉ」


 少女の耳が、少年の声を捉えた。

 歳相応に高い声。だが、しわがれた老人が口にするような響き。


 そして、その声だけで空気がヒリついた。


 全身に傷を負い、地面に倒れる少女。

 そんな少女に狙いを定める、魔獣の大群。

 その間に堂々と割って入り、なおも呑気に首を回す、その少年は。




「さぁて、祭りの始まりじゃ」




 緊張感など全く感じさせない様子で。

 一歩、魔獣の大群に向かって足を踏み出した。

 







 少女の記憶は、そこで途切れた。


 




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