将来
「と、いうことがありまして」
「ははは! 青春だねー! 彩昂君! 羨ましいよ!」
運転席で笑い声を上げるのは、父の友人で、僕も小さな頃からお世話になっている宮津洋介さん。みらいの父親である。
見た感じは、中肉中背でごましお頭の普通のおじさん。湯の町興行という旅館とホテルを複数経営する会社の社長なのだが、服装はいつもポロシャツによれたスラックスと、まるで休日のお父さんだ。でもそれがとても似合ってる。
乗ってる車も、横にでっかく『來畝』と旅館の名前が入った軽バンだ。
みらいは用事があるからと言って、真崎さんと一緒にバスで帰った。僕は生活に必要なものを揃える為に、洋介さんの運転で色々回っている最中だ。
「しかし、毎日のようにうちの娘に泣かされていた彩昂君が成長したなー。まさかその年で叙勲とはね。大したもんだ」
「よしてください。運が良かっただけですから」
直接会うのは久しぶりだけど、これまでメールでやり取りはしていたから、洋介さんは、僕がシシメルで何をしてきたかを知っている。
「君の武勇伝は娘にはまだ話してないのかい?」
「自分から言うような事じゃないですよ。っていうか、みらいが同じ高校だなんて、今日会って驚きました。てっきり私立のお嬢様学校にでも行ったものかと」
「ははは! あの子はまだ将来が定まってないみたいだからね。杜兎も悪い学校じゃないし、今の校長は浅間先生だ。下手に都会に出すより安心できる」
「浅間先生がいらっしゃるのにも驚きました」
再び運転席に笑い声が響く。
「で、どうだった? うちの娘は?」
その意味が解らない程鈍感ではない。
親の立場から男に娘の話題を振るなんて、嫁にどうだと言ってるようなものだ。
洋介さんから見て、今の僕は眼鏡にかなったという事だろう。それはとても光栄な事だ。僕にとっては勲章なんかよりもずっと。
「凄く綺麗になっていて、それでいて強さと優しさは昔と全然変わっていない。あんないい子と将来一緒になる男は、間違いなく三国一の幸せ者ですよ。本当に……」
頭を冷たく切り替えて、僕は続ける。
「僕にみらいとつき合う資格が無いのが残念です。大学を卒業したら、僕はシシメルに戻りシシメルの為に働くと決めていますから」
「そうか。君はもう将来の事を決めているんだな」
「はい」
僕の心は既にアンデスにある。対してみらいは老舗旅館『來畝』のひとり娘であり、洋介さんの後継者だ。みらいと付き合うには、日本を愛し、温泉街を愛し、そしてみらいを愛し続ける事が出来る男でなければならない。
だけど、僕はそのどれにも当てはまらない。
日本は良い国だ。治安も経済もシシメルとは比べ物にならない。風情ある温泉街は新幹線が通った事で更に活気を増している。みらいはとても魅力的な女の子に成長していた。
それでも、どんなに居心地が良くても、魅力的でも、僕には夢があって、命に代えても護りたいと思う人がいる。だから僕は必ずシシメルに帰る。みらいとの未来はありえない。
「ああ、あまり気にしないでくれ。親としてちょっとお節介を焼こうとしただけだから」
「はい。すみません。そうだ、連休には義妹がこっちに来る予定なので、是非会って頂けますか?」
「勿論だ。楽しみにしているよ」
ごめんなさい。
洋介さんがほんの一瞬寂しそうな目をした事に気が付いて、僕は心の中で謝った。
洋介さんは駅前へとバンを走らせる。駅前にあるバス会社で定期券を買う為だ。駅の駐車場にバンを止めて、僕は洋介さんと駅前のロータリーを歩く。
「たった5年なのに、結構変わりましたね」
「まあ、新幹線の効果は大きいからな。駅の中も変わっていたろう?」
「ええ、降りる駅を間違えたかと思いましたよ」
「私も出張から帰った時にはそう思ったよ」
僕が海外にいた5年の間に、杜兎市は新幹線の停車駅になった。僕も着いた時は驚いた。新幹線用にホームが増築されて、駅の中が記憶と全く違うものになっていたからだ。
駅前にしてもバスの発着ロータリーがかなり拡張されている。
とはいえ、駅前が発展しているのかと言うとそうでもなく、シャッターの下りた店舗が目立った。まあ、観光客は温泉や海の幸豊かな隣町に向かうだろうから仕方が無い。
定期券の購入を済ませると、洋介さんは電話をしている所だった。
団体客の予約について話している中で、洋介さんが口にした旅館の名前が引っかかった。
「ごめんごめん。待たせたね」
「いえ、『ゆゆぎ』も今は洋介さんのところが経営してるんですか?」
『ゆゆぎ』は『來畝』程ではないが、温泉街でも屈指の老舗旅館だ。確か年配のご夫婦が経営しいて、昔、「ライバル旅館にスパイに行くぞ」と言い出したみらいに付き合い、見事に捕まって、お菓子を貰って帰った事がある。
「ああ、最近うちが買い取ったんだ。そう言えば、昔、みらいと一緒に忍び込んだ事があったな」
「めちゃくちゃ怒られたのを覚えてますよ」
その時謝りに来た洋介さんに、「旅館の仕事に興味を持つ子供がいて羨ましい」「『來畝』さんの将来は安泰」と、ご夫婦がどこか寂しそうに笑っていたのが気になって、記憶に残っていた。
「随分ご活躍されているみたいで」
「まあ、確かに会社の売り上げは順調なんだけどね」
『ゆゆぎ』は温泉街の中でも結構大きい旅館だった。いったい幾らで買い取ったのか聞くのも怖い。新幹線効果もあって、洋介さんの会社はさぞ儲かっているのだろう。
けれど、洋介さんはというと浮かない表情をしている。その表情があの時のご夫婦の顔にどこか似ているような気がした。
「後継者がいなくて経営が続けられなくなったみたいでね。海外や大手も買収に名乗りを挙げていたんだけど、是非うちにって事で、かなり安く買い取らせて貰ったよ。昔からうちとも切磋琢磨してきた方達だったから、なんとも寂しい話さ。若者達はどんどん都会に出て行ってしまうし、経営者と従業員の高齢化が深刻でね。新幹線が来るようになって確かに利益は上がっているけど、トラブルも多くなったし、対応するこっちは年寄りばかりで、もうほんとてんてこ舞いさ」
洋介さんの視線の先にあったのは、シャッターの閉まった店舗だ。
そういえば、あそこには本屋があって、昔よく通っていた。
いつから閉まってるんだろう?
いつもカウンターに座っていたお爺ちゃんは?
「あの本屋も、何年か前にご店主が亡くなって、後継ぎもいなくて結局そのままね」
僕は返す言葉も無い。
洋介さんは本当にこの町が、温泉街が好きなんだろう。僕は今の状況が儲かってウハウハなんだろうと安直に考えていた事を恥じた。
若者の地元離れについて僕は何も言え無い。僕がこの町で暮らすのは、高校に通う3年間だけだ。大学はどこに行くにせよ、町を出て部屋を借りることになる。そして卒業後はシシメルに帰る。
「なんか、すみません。何も期待に応えられなくて」
「いいんだよ。僕は君が立派になってくれて嬉しいんだ」
洋介さんの言葉に、僕は胸が痛んだ。
小さい頃から良くしてもらっているのに、僕は洋介さんの期待には応えられない。それが思った以上に辛かった。
その後は大きな本屋で筆記用具やノートを買い、郊外の家電量販店へ行ってスマホを買った。洋介さんに保護者になってもらって無事契約を済ませる。
あとは今日のねぐらと食料だ。
「祖母の家って今どうなってます?」
「ああ、教室のある離れは生徒達で掃除しているけど、母屋は麻生先生が施設に入居されてからそのままだな。君も学校があるし、しばらくはうちに泊まっていきなさい」
「いえ、それは申し訳ないですよ!?」
「家の方は、休みに入ってから片付ければいいだろう。うちのも君に会いたがってるし、私も向こうの話をじっくり聞きたいんだよ」
まあ、仮にも保護者を引き受けてくれてる人から、話を聞かせろと言われては断れない。それに、サインを貰わないといけない書類もあるから、どのみち宮津家には寄らなければならなかった。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」
「うん。そうこなくっちゃな! 今夜は歓迎会だ! 色々聞かせてもらうからな? ははははは!」
こうして僕は数日の間、みらいの家で厄介になる事になった。
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