再会

「久しぶり」


 観念した僕は、改めてみらいちゃんに向き直る。僕は内気で大人しかった子供の頃に戻ったように言葉を失って、それだけ言うのがやっとだった。


 途端に彼女はひまわりのような笑顔を咲かせた。夏の日の陽気すら感じさせる大輪の笑顔。僕が好きだった笑顔だ。


「おー! やっぱりあやたなんだ! 久しぶり! なんでいんの?」

「さっきこっちに着いたんだよ。それで挨拶にと思って寄ったんだ」

「そっか! 帰ってくるとは聞いてたんだけど、いつまでたってもうちにも学校にも来ないし、お父さんに聞いても心配いらないって言うだけだしさー。あんた向こうで何やってたの?」

「それは追い追い話すよ」


 さっきまでの不機嫌そうな空気は一変。5年分の時間が巻き戻ったかのようにみらいちゃんは僕に語り掛けて来る。


 僕はそれが嬉しかったけど、浮かれる気持ちを抑えて答えた。


 僕は昔、彼女に淡い想いを抱いていた。でもそれは過去の事だから。


 僕はもう、みらいちゃんに手を引かれていたあの頃の僕ではない。どんなに居心地が良くても、あの頃には戻れない。戻るわけにはいかないのだ。


「先生にみらいちゃんがここにいるって聞いさ。荷物が多くて、出来れば洋介さんに迎えに来てもらいたくて、そしたら……なんか、邪魔しちゃったみたいでごめん」

「いいよいいよ。どうせ負けてたしさ。ちょっと待ってて、すぐお父さんに電話する!」


 そう言って、みらいちゃんはブレザーのポケットからスマホを取り出すと、電話をかけ始める。


 残された僕と女の子の目が合った。彼女はほのかに笑みを浮かべる。


 つい見とれてしまって、口を開けずにいると彼女の方から口を開いた。


「真崎撫子です。私も同じクラスだから、よろしくお願いします。麻生君」


 真崎撫子さん。まさか名前が撫子だなんて、奇跡のように名が体を表している。


 丁寧にお辞儀をする所作も美しい。さっきまで取っ組み合いをしていたというのに、濡羽色の髪には一切乱れた様子は無い。あと、かなり着痩せするタイプみたいだ。


 流石に靴下と上履きを履く暇はなかったようで、白く綺麗な素足を晒していた。


 しかし、何故なんだろう?


 一瞬、その名前に覚えがあるような気がしたのだ。


 でも、これだけの美人さんで、撫子なんて珍しい名前を忘れるだろうか?


「ど、どうも。麻生彩昂です。みらいちゃんとは幼馴染して」

「うん知ってる」


 知っている? みらいから聞いていたのだろうか?


 僕は妙な違和感を覚える。


 そういえば、彼女はこっちが名乗る前に僕を「麻生君」と呼んだ。


 彼女は、僕を知っていた? 同じクラスなら、流れ的に僕が麻生彩昂である事はわかりそうなものだ。そういえば、彼女は僕の顔を見た時、驚いた様子だった。普通なら、見知らぬ男子に警戒したり、不安そうな顔を見せるはずだ。


 もしかすると、みらいより先に、僕が誰かに気づいていたのか? でも、僕は彼女をに覚えがない。


 なんとももどかしい気持ちが湧いて出る。だけど、電話をしていた幼馴染み様が戻ってきた事で、僕は思考の中断を余儀なくされた。


「お父さんすぐに来るって!」

「洋介さんも忙しいだろうに悪いな」


 みらいちゃんの家は地元でも知られた老舗の温泉旅館だ。父親の洋介さんは他にもホテルや旅館を経営している会社の社長であり、実はみらいちゃんは、これでも結構なお嬢様だったりする。県立杜兎高校は、偏差値はやや高めではあるけど名門と呼ばれる程ではないし、部活動は盛んだけど強豪で知られるわけでもない。よくある地元の進学校だ。だから、九鬼先生からみらいちゃんとクラスメイトだと聞いて驚いた。てっきり、もっと良いところの学校に進学したと思っていたからだ。


「いいよ。どうせお父さん、この時間は町内会の人達と将棋指してるだけだしね」

「相変わらずみたいだね」


 地元愛が強く、過疎化に苦しむ温泉街を救うために尽力していたら、いつの間にか辣腕経営者になっていた。それが洋介さんだ。


 その気質はみらいちゃんもしっかりと受け継いでいる。押しが強くも、面倒見が良い。言うなれば綺麗なジャイアン。


 内気だった僕を引っ張ってくれる彼女に、昔の僕は惹かれたんだ。依存していたと言っても良い。


「それにしてもあやためっちゃ育ってる! 青白かった顔もめっちゃ日に焼けてるし! なこなこ! あのひ弱なあやたが進化して帰ってきた!」

「そうだね。落ち着いてみーちゃん。麻生君も困ってるよ?」


 真崎さんだって、初対面の僕の話題を振られても困るだろう。


「あやた背伸びたねー。今身長幾つ?」

「5フィートと8インチ」

「センチメーターで言え」

「えっと、172センチくらいかな」

「むぅ。170センチ超えてるなんて、あやたのくせに生意気だー!」


 まさにジャイアンである。


「いいなー。あたしも160センチ欲しいなー。まだ成長期だし、希望はあるよね?」


 背伸びしても届かない身長差にみらいちゃんが不満そうな顔をする。海外にいたから、小柄に見えるけれど、みらいちゃんの背丈は日本人としては平均的だ。


「昔は同じくらいだったのにー! このー!」


 背比べしようとして、みらいちゃんがぴょんぴょん跳ねる。幸せの果実もぽよんぽよん跳ねる。ぐいぐい来る態度と果実のサイズは十分に欧米サイズだ。


「みらいちゃんは何センチなの?」


 言うまでもないけど身長の事だ。言うまでもないけど。


「157センチ。もう高校生なんだからちゃん付けやめて。みらいでいいよ」

「でも、真崎さんはみーちゃんって」

「なこは別なの」


 撫子だからなこか。なるほど。わかりやすくて可愛い呼び方だ。


「わかったよみらい。これでいい?」

「う、うん」


 僕は海外にいたせいで呼び捨てに抵抗が無いけど、みらいの方はそうでもなかったらしい。


 僕が呼ぶと、みらいが照れたように視線を逸らす。


 やばい。可愛い。


 大体自分で言ったくせに照れるなよ。こっちまで恥ずかしくなる。


「じゃあ、僕の事は彩昂お兄ちゃんで」


 空気を変えようとして、軽いジョークを振る。


 みらいの誕生日は7月17日。僕は4月8日生まれで、もう16歳になっているから、学年は同じでもみらいよりひとつ年上だ。昔、僕に対してお姉さんぶってたみらいは、「3ヶ月しか違わないのに調子に乗んな!」と言って僕の誕生日にはいつも機嫌が悪かった。その事を思い出したのだ。


 案の定、みらいは目を吊り上げる。


「3ヶ月しか違わないのに調子に乗んな! あやたはあやただよ! あやたのくせにー!」


 だから、くせにとか言うなジャイアンめ。


「なこも笑うな」

「ご、ごめん。でも、ふたりの息がぴったりだたから。照れてるみーちゃん可愛い」


 このやり取りの間、真崎さんはずっと横を向いていた。どうやら笑いを堪えていたらしい。


 流石大和撫子。面と向かって笑い声を上げたりしないようだ。


「さすなこ」

「何それ?」

「流石は大和撫子の略」

「あほか」


 チョップされた。痛くは無い。くすぐったかった。


「あんまりなこの事を大和撫子って言うな。当人は言われすぎて今はもう麻痺してるみたいだけど、昔はすごく気にしてたし、本当のなこは、そこらの男なんて目じゃないくらい男らしいんだぞ。本性知ってるあたしからすれば大和撫子とかマジでウケるんだけど。日本男児の間違いじゃねって感じ」

「みーちゃん? もしかして喧嘩売ってる? いいよ? 買うよ?」


 一言多いみらいに、一瞬、真崎さんがグアナコを狙うピューマのように見えたのは気のせいだと思いたい。


「ごめんて。でもさ」


 みらいが真崎さんに何やら耳打ちをする。


「たぶんだけど、あやたの奴、なこの事に気づいてないよ?」

「あー、それは私も思ったかな」


 ふと、真崎さんから思わせぶりな視線を送られてどきりとする。


 美少女の流し目って、こんなにも破壊力が高いものなのか。


「な、なんだよ?」

「んとね。あやたも変わったけど、なこほどじゃなかったって思い出してさ」


 それってどういうことだろう?


 やっぱり、僕は過去に真崎さんと会っているのだろうか?


「麻生君。ちょっと耳を貸して貰っていい?」


 疑問に思っていると、真崎さんが顔を寄せて来る。良い匂いがして僕は緊張を表に出さないようにするので必死だ。


 真崎さんの言うままに僕は身を掲げると、彼女が耳元で囁く。


「あんまり情けないと、ボクがみらいのこと貰っちゃうぞ?」


 心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。


 フラッシュバックするあの日の記憶。


 その言葉は、かつてあいつに言われたのと同じ。


 僕はそれで心が折れて、父の元へ行く事を決めたんだ。


 ようやく合点がいった。真崎さんに対して引っ掛かりを覚えた理由が、ようやくわかって叫び出しそうになった。


 真崎……まさき……マサキ!


 お前、あのマサキか!?

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