第十三章 イタル狂裂

 普蕭は当時を振り返ってこう言った。

「あのとき、僕はライトに照らされていて、イタルがよく見えていなかった。僕の耳にはイタルが二人いるように聴こえた。

 なぜならばイタルのシャウトとHarpが同時に聴こえる瞬間が何度もあったからだ」


 曲の終盤はリズムもテンポもひたすら速さを追い求めて滅茶苦茶になり、高層ビルディングの崩壊のように終わる。

 間髪を入れず、パーカッションの音が軽快に始まった。『修羅の戯』だ。寛太嘉がいつのまにかセッティングを終えて、様々な打楽器を並べていた。〆裂がファズを利かせたギターを絡めて飾る。叭羅蜜斗のベースはコンガのように軽快だった。普蕭はシンセサイザーで民族音楽的な管楽器の音を大蛇のようにうねらせる。


 イタルが叫ぶようなファルセットで哄笑した。ジャングルで頬を膨らませて鳴く原始的な猿に似ていた。

 そして嘲るように次のようなセリフを独白する、

「いったい、死んで逝くのに何をしようとしているのか。

 歌う者も死に、聴く者も死に、やがてすべての人類が滅びるのに。

 それは夢でも絵空事でもなく、会社や学校なんかよりよっぽど現実だ。

 夢見てんのはおまえら人間どもさ。ヒャハハヒャハ」

 そのセリフはだんだんリズムに重なっていく。

「女と寝るよりマシを知らナイ、生まれてきても意味はナイ、生まれない方がマシだったかもしれなくもなくなくもなくかも。ヒャハ、ヒャッ、ハーヒャハ、ヒャハハハハ!

 カーリー(कालीインドの戦いの女神。血と殺戮を愛する。黒き者とも呼ばれ、三つ目と四本の腕を持つ体は黒一色で、牙をむき出した口から長い舌を垂らし、髑髏の首飾りをし、切り取った手足を腰紐にぶら下げている)!」

 間奏、耳を劈(つんざ)く。

 〆裂のギターだ。緋髮のヴォーカリストは退き、ギタリストが前に出る。背を向けたイタルはドラムスの方に近附いた。普蕭の足下(トラックの荷台)から何かを取り出す。

 気が附いたのは早蕨だった。彼は真兮とともに公園東側(川側)の南端でミキサーやシンセサイザーに内蔵されたシーケンサーをいじっていた。ちなみにその隣で炎と哥舞伎がライティングのコントロール装置を操作している。大楽は西側の制御室で噴水を操作しつつ、警察が来ないか見張っていた。何もせずに傍にいた隆臥に早蕨が声をかける。

「隆臥くん、イタルさんは何をしているんですか」

「何だろう。小さなポリタンクみたいだけど」

 真兮もいぶかしがる。

「打ち合わせにはなかったが」

 哥舞伎が、

「イタルだからな。何かやるんだぜ、また」

 真兮も頷き、

「定めしそういうことなんだろうな。しかし一抹不安ではある」

「ああ、ほら」

 今度は隆臥が指差す。

 早蕨も、

「ほんとだ。撒いていますよ。あの中には、いったい・・・・・・・・」

『修羅の戯』が烈しくエンディングし、ライブの三曲目『雷(イ)霆(ンド)神(ラ)の金(ヴァ)剛(ジュ)杵(ラ )が眞神幼稚園庭に突き聳えた日に僕は解脱した、そして雨』という長いタイトルのサイケデリック・ヘビーメタル。

 〆裂の重くて速いリフで始まる。普蕭は三連符打ちっ放し。叭羅蜜斗が大振りに手を廻して弦を打ち、雷のような重低音を轟かせた。

 真兮が、

「まずいかもしれない」

「え?」

 早蕨は驚いた顔をする。哥舞伎が唸りながら、

「ぁう、嫌な予感が・・・」

 イタルは右手にポリタンク、左手にマイクを持ち、噴水の中に入った。タンクの中のものをさらに撒く。これで四つ目だ。叭羅蜜斗のベースがパンチングボールを殴るボクサーのようなリズムと触感とになる。ギターが加速する。イタルはHarp。普蕭が歌う。

「憂鬱な 雨の日 僕らは歩く 

 今日も仕方なく 歩くしかなく

 歩いて向かう Kindergarten(幼稚園) 

 現実を忘れたくって

 遠い古代へ 想いを馳せる たとえば 古代インドの

 異教の神が 舞う ヴェーダの時代

 空想は心の翼 誰にも奪えない自由・・・・」

 イタルは一つ目の水盤に上がる。

 隆臥もはっとした表情になり、

「そうか、もしや」

 早蕨は訝しがり、

「何なんですか? なぜです? 何が」

 真兮が言う、

「この楽曲は最後に、イタルが炎の電撃(金剛杵)を投げつけるインドラ神になって意味不明な言葉を吐くはずだ」

 哥舞伎が頷く、 

「つまりあの中身はガソリンだ」

 イタルはびしょ濡れになって二つ目に上がり、ジッポーの火を投じた。凄まじい炎が上がり、一番下の水槽が一瞬で炎釜に変じた。イタルの姿はまさに修羅に見えた。

「呪われろ、人間ども。

 増殖する地球の癌細胞、おのれの智慧がすべてと思い、この世を謳歌する愚劣者どもよ。欲望に囚われ、とり憑かれ、亡者の如く生命を喪った者どもよ。神の聖なる怒りの炎に触れて焼かれ焦がれよ。浄化されよ。不死鳥の如く。 

 ああ、宇宙は生命なり。我は天上天下なり。我は解脱せり。おぶぎゃぱりゃりゃさかばちゃらみたはがやらわぎゃちょぶぎゃ」

 城壁に立って王ギルガメッシュを呪詛したシュメールの女神イシュタルさながらであった。

 そのとき西側から大楽が叫ぶ。

「警察だ!」

 同時にサイレンの音が響く。音量が凄過ぎて近附くまで気がつかなかったのだ。普蕭も〆裂も叭羅蜜斗も演奏を中断し、イタルを見上げた。 

 炎の中、熱さを意にも留めず、傲然とした超越的態度で地上を睥睨する古代神の如くイタルは光と水と火の烱(あきらか)さを浴び、不動の姿で立つ。

 全員が拘束された。

 いや。




 イタルだけが捕まらなかった。警察は一晩中探したが、見つからない。彼は捜査の常識からはまったく想定外の場所にいた。これ以降、彼の行動はあたかも翼があるかのごとく捉え難いものとなっていく。

「きっと捕まらないと思う」 普蕭が力なくつぶやいた。「つまり彼はもう助からないんだ」             

 イタルは眞神の大御山へ向かっていた。


        

   

 平らかな水田に人家が墨痕のように点在し、繁った丘が寂莫たる眞神村。

いまは深夜で静寂そのものであった。

 普蕭の実家である旧家、青田の海に籠盛(こんもり)とした島のよう泛かぶ天平家本家の傍らをイタルは歩く。水田の尽きる処はフィヨルドの海岸線のように山林と田圃の境が入り組んでいる。そこでは丘の上、中段、又は丘と丘の狭間の渓谷に沿うように、いくつかの家が石垣を構えていた。それらが哥舞伎の実家、天之(あまの)家本家及び分家だ。イタルは眼も遣らず、渓谷沿いの細い道を行く。谷はすぐに深く狭くなり、道が尽きる。

 真奥には独峯たる眞神山があった。

 独虎白龍岳や龍背鬣峯などの山々を背に屹立し、廻りを眞神川が濠のように流れている。

 聖なるその山は漆黒の立方体であって、円錐形ではない。周囲もごつごつした岩ばかりで、岩壁にびっしり樹木が繁茂し、巨石や大巌が剥き出す。

 眞神山は実際は超弩級の巨巖で、樹木の生えた岩山の中、正立方体に抜きん出て、エンパイア・ステート・ビルディングthe Empire State Building(帝国州ビル)のように聳え立っていた。

 風が剥き出しの岩の松の横枝を靡かせ、鬱蒼と荒巖を覆い隠すそれらがざわめく。


 その眞神の御山の下層から中腹、楠や橅や欅や楢や辛夷や檜や槙や椎の雲霞に包まれ、いくつかの豪壮な家屋敷が岩棚に階層を成すよう数軒。


 それが彝之家本家だった。


 標高333m、直線直角平行垂直の正立方体で、自然石には到底見えない。頂上には神が降臨するとされる磐座と、縄文時代の祭祀の跡があり、神(カム)彝之眞斗(いのまと)が王都彝玖鷺(いくろ)を築いたと伝承されている。


 磐座もまた漆黒で、こちらは横長の立方体でありながらも、起伏亀裂のある自然石の姿をしていてで、直線的ではない。

 しかし、垂直ではなくともそれに近く、ロック・クライミングの装備がなくては登れるものではない。


 濠のような眞神川を渡る橋。その前には切妻平入の門がある。

 門の前に立ち、山上を見上げた。

「イタル!」

 人気のない夜陰でいきなり呼び掛けられる。彼はまったく動じず、声のした方を見た。少女がいる。

「絶対、今日だと思った。だから最後はここに来ると思った」

「おれはまだ燃え尽きていない」

「わかってる。

 わかってるよ!」

 まあやは激しく哭き出した。

「じゃ、おれは逝くぜ」

「もう会えないの」

 イタルは応えなかった。まあやは訴えた。

「また会いたいよ」

「そうだな」

「じゃ、どうしてっ・・・・・」

「まだ燃え尽きていない。

 さっき言った」

「そんな・・・イタル、あなたは・・・」

 まあやは憤りのような感情に襲われた。

「あなたには、何もかもがどうでもいいのね・・・自分のことも、家族のことも、友だちのことも。

 ただ燃え尽きたいだけ・・・・極限に逝きたいだけ、ただそれだけっ!

 それだけなのよっ」

 なじられても彼の表情は涼しげだった。微動すらしない。和(なご)やかとも言えるし、木像のようでもあった。

 まあやがかすれた、弱々しい微かな声で尋ねる。

「イタル。

 怖くないの」

 彼は無表情であった。

「ふ。

 なぜ? おれが世界史上で初めてじゃない。その逆だ。誰もが例外なくあたりまえに通過している。ただ、おれにとっては初めてだというだけだ」

「わかんない・・・・・イタルの言ってること、ぜんぜんわかんない」

「そうさ。エクスターゼさ。もう逝くぜ」

「待って! あたしも逝くわっ、じゃなきゃ、いまここで殺してくださいっ」

 皓々たる月であった。月光に照らされるイタルの顔面は冷厳そのものだった。昏(くら)い神殿の奥に聳える古代の神像のように。

 縋る洲(しま)もない。まあやはまるでテーセウスによってΝάξος(ナクソス)島に捨てられたアリアドネのようであった。赤いワンピースの下で皮膚は蒼白く、月光のように燦めいている。

「お願い、あなたがいないなんて考えられない・・・お願いよ、もしそれが叶わないなら・・・」

 彼女は面を挙げた。

 双眸は異常な火焔で爛々としている。クリムゾンの炎を眺め、イタルが恍惚とした表情を泛かべた。


 それあたかも狂躁秘祭(オルギア)の神、葡萄酒の神、ΔΙΟΝΥΣΟΣ(ディオニューソス)神のようであった。血塗れになって生(いけ)贄(にえ)を屠(ほふ)り裂く古代祭儀の神官のようでもあった。


 イタルが微笑み、緋色の髪を靡かせる。まあやの全身が白く燦めき輝く。

 草叢が囁くよう揺れ、玲瓏たる銀月が傾(かぶ)き、眠るよう深く息をして意識を失い仆れているまあやの頬に一筋の涙の跡があった。イタルは門をくぐる。


 橋があった。龍爪(りゅうそう)橋は中央に二重楼門がある珍しい橋だ。

 渡り終えると第一の岩棚に着く。石垣を切った櫓門があり、櫓門を通ると、石垣で囲われた四角いスペースに出た。彼はその左手の高麗門を通る。次に短い板橋があった。狭い岩棚に着く。


 鎮守の杜のように鬱蒼としていて清流が瀧のように岩を迸(はし)り流れ、眞神川へと落ちていた。

 穿たれた石段。古く狭く朽ち毀(こぼた)れ、苔生して、葛(つづら)折りに続く。 

 鬱蒼とした、縄文時代の城砦門がある暗くて狭い洞穴に上がる。そこまでが生活路であった。


 枝分かれして山頂へよじ登る荒岩道がある。於上不葺御門(うえふかずのみかど)、即ち鳥居があるのみであった。磐座のある山を仰ぎ見て崇め奉るかのようになっている。


 イタルが到達したのは夜明け前の、薄明の頃であった。

 東空がうっすらと蒼く、限りなく清らかで美しい。

 磐座の上に立つ。


 最後のポリタンクを背から降ろし、液体を被り、マッチを擦り、天空に向かって雄叫びを上げ、飛翔する炎となった。不死なる火の鳥のように。

 どうやってあの上まで登ることができたのか未だ誰にもわからない。























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