第四章 I 've Got Blues
その数日後、普蕭がBSのコンペにエントリーして帰って来た。普蕭のスタジオに4人が集まる。普蕭は家の敷地内にあった離れを、簡易な録音スタジオに改造してもらっていた。
「来週の木曜日だ」
「オレたち以外は誰がいる?」
叭羅蜜斗がすかさず訊く。
「RZD(リザド)だ」
叭羅蜜斗が顔を顰め、〆裂がおかしそうに笑った。
イタルが尋ねる。
「何なんだ」
「天之翳廊(あまのかげろう)のバンドさ。
若造だぜ」
「若造?」
「いや、僕らとタメだ。
叭羅蜜斗が言いたいのは、イキがってるだけでチャライ野郎だってことさ。しかしそうではないと僕は思う。
ダークなイメージだけど。
そう言えば、ほとんど笑ったのを見たことがない。同じ学校だよ。君も知っているだろう。サイケな変わった音楽をやる。ナルシシストなところが鼻につくが、意外に面白いバンドだ」
「へー、それが〆裂が笑った理由か?
いったい、何があるんだ」
叭羅蜜斗が肩をすくめた。
「大したことじゃない。
奴はクズさ。だからクズ野郎って言ってやったんだ」
「おまえはほんとに暇なヤローだな。
で、どこで、いつ言ったんだ?」
「奴がステージにいるときさ。
おまえ、知らねーのか。去年、文化祭で講堂のステージにオレが上がって奴に唾を吐いたのさ」
「おまえ、マジでクズだな。
ふ」
普蕭が訊く、
「イタル、君はほんとに知らなかったのか?」
「あたりまえだろ?
おれが文化祭の日に学校にいたと思うのか?」
普蕭は手を振った。
「わかったよ。
さ、練習しよう。BSで演奏する曲を決めるんだ」
意外なことに数日後、イタルのギター演奏はいくらかましになった。
しかし時折何かが脳裏に閃くようで、正常でないギターの使い方を唐突にし、凄絶な音を乱入させることが頻繁にあった。イタルはその奇怪な破壊音を造るために様々な小道具を使う。ボトルネックなんかはまともな方(いや、まともなボトルネック奏法で使うならまったくもって普通なのだが)で、フォークやナイフ、BLUES HARPや普蕭のバイオリンの弓などで弦を叩き引っ掻き切り裂き弾き摩擦し凄まじい音を入れてくる。ただそれが妙に決まっているときがあった。段々誰も文句は言わなくなってくる。
叭羅蜜斗などは不貞腐れているが、普蕭はむしろ喜んでいるようだった。〆裂は何が起ころうとも動じず、ただ面白がった。
「オリジナルが欲しいな」
叭羅蜜斗がそう呟いた翌日、イタルは一つのlyricを持って来た。
「アイブ・ガット・ブルースってんだ。
おれは歌ってハープを吹く。
ギターは任せたぜ、〆裂」
「おい、で、曲は?」
叭羅蜜斗が訊くと、イタルは、
「これから俺が歌う」
「コードぐらい振ってないのかよ」
「黙って聴いて適当に合わせろ」
「わかった。テキトーに弾くから、歌えよ、イタル」
〆裂がピックで強く5、6弦をはじきながら言う。オープンDに調弦してあるギターがぶうんと唸る。後に〆裂は6弦を張らなくなるが、この当時はまだ1から6まですべての弦を張っていた。
「いくぜ」
イタルが叫ぶ。それが左の歌だ。
I’ve got Blues. You’ve got me. You’ve really got me, baby, yeah.
I’ve got Blues.
I got in a madman. Since then you’ve drive me crazy.
You’ve really broken down me. I’ve got the blues.
I break down everything. But I don't know this meaning. Yes, I never understand it. I gradually lose reality.
I’ve got so cool. Reality is only reality.
Everyone knows it, yeah. And anyone never knows.
I’ve got Blues.
普蕭は最初、シンバル類を使わずに追従し、〆裂はミュート気味にE、A,G,Eのコードでリフを作り、機械的なノリでそれを繰り返す。叭羅蜜斗は嫌そうにおもむろにベースを肩にかけ、〆裂の運指を見ながら4弦のみを使ってルート音を爪弾く。
歌の合間に狂おしいBLUES HARPが入った。身から振り絞るようにイタルの吹くHarpの迸る金切り声はまるで空間を切り裂き破るような感じだった。
〆裂はイタルのヴォーカルと絡めるようにアドリブでブルージーなフレーズを弾く。
普蕭がハイハットを叩く。皆がだんだん狂おしい気持ちになってきた。叭羅蜜斗はピックを使ってベースの3,4弦をはじく。スネアドラムが烈しく連打され、ブレイク。〆裂のギターソロが始まる。タメてヴィブラートを利かせ、ミュートを多用した短いフレージング。
7、8回演奏するうちにシカゴ・ブルースのような形になってきた。たとえばマディ・ウォーターズMuddy Waters(1915. 4.4 – 1983.4.30)が紫煙の燻る黒人のクラブで吼えた『Mannish Boy』みたい感じだ。
「よし。このぐらいにしよう。あまりやると慣れてくる」
「それが練習ってもんだろうが。慣れなきゃ本番でとちるぜ」
叭羅蜜斗が反駁する。
「ふ。
おまえほどパンク・ロッカーらしくない奴もいないな。
律義なこと言ってんじゃねえよ。
これ以上やるとうまくなっちまうんだ。緊張がなくなる。ヴィヴィッドじゃなくなる。形式に堕落する。スリリングじゃなくなる。
だめだ。そんなもんライブじゃねえぜ」
「おい、きいた風な口きくなよ、
ステージに上がったこともねーくせに」
「だがイタルの言うことも間違っちゃいないぞ。叭羅蜜斗、おまえだってそう言われりゃそうかもなって、いま思ってんだろ。
最後の言葉の語尾が少し下がってたぜ」
〆裂が嗤う。
「いずれにせよ、休憩しよう」
普蕭がスティックを置いてそう言った。
ブラウン・シュガーは薙久簑町の神中洲の雑居ビル地下にある。
6月、既に明るく、鴉が数匹、飲食街の出した生ごみの袋を裂いて喰い漁り撒き散らし腐臭が鼻を刺す。神中洲は繁華街で午前4時のいま、クラブのお姉さん方はとっくに退勤し、怪しげな外国人が帰宅して行く頃合いであった。
イタルはBSを見上げながら路上にしゃがんでいた。
それは受け入れられないものを受け入れられないまま自己破壊への志向からなそうとする行為であった。「メジャーになりたくない」だからこのステージに立つ。自己否定の覚悟をBSを睨むことで成し遂げようとしていた。Harpをポケットから出す。ちょっと息を吹き入れる。リードは暖まっていて悪くない感じだった。Bluesを吹いてみる。鴉が応えて「あー」と禍々しく鳴いた。イタルは「ふっ」と鼻先で嘲るように笑う。
『 I’ve Got Blues 』を大声で歌った。
道行く人が顔を顰めて一瞥し、通り過ぎる。イタルはそれを見て喜悦する。
「誰もがおれを否定する。
おれは損なわれる。おれは無意味な屑だ。軽薄で莫迦でチャラい。最高だ。おれは自己保身や少しでも損にならないように躍起になる連中とは真逆だ。理不尽な名誉毀損や正当な権利が損なわれることにムキになる愚劣者とは大違いだ。給食費を払っているから食べるときは戴きますって言わせないでとか抗議する母親みたいな権利意識の偏った莫迦とは正反対だ。損すること利益が損なわれることこそ最高だ。世のすべての価値におれは叛らう。社会の基盤を根底から崩す。人の世の価値を根底から崩す。なぜか? むろん意味などない。意味なんかあってたまるか。意味がなきゃいけないって、みみっちいぜ。くだらねー人生だ。小せぇ。賤民根性。どこまで貪るのか。嗤わせる、莫迦ども。犬死にこそ最高。無意味無駄な徒労の人生がデフォだぜ。
ふ。
別に理由なんかない。あってたまるか、ってな」
唾棄する。
学校へ行った。
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