白欲
異性愛者の君とのはなし
友情とは何か、恋とは何か。
心の中で揺らめくこの境界線を、果たして誰が正確に描けるのだろうか。
それに加えて、恋愛対象だとか、対象年齢だとか。そんな言葉を投げかけられるたびに、定義なんてものは初めから存在しないのではないかと思えてくる。
でももし、「普通」に、「一般」に当てはまることができたなら。
これが普通であったなら、こんな思いを抱えずに済むのに。
「なに辛気臭い顔してんのー?らしくないね」
そう言って心配しているのか煽りたいのかわからない様子でこちらを見ているのは友人の竹塚だ。
「えーなになに、なんか悩みとかー?」
「まあそんな感じかな」
いつもの竹塚の調子に今日は何だかついていける気がしなくて、目も合わせず無愛想に答えた。
「もしかして…恋、とか?」
ニヤニヤするな、見せ物じゃないぞ。
「こりゃ図星ですな。相談に乗ってあげましょうか?」
その原因が誰にあるかなんて知らず、楽しそうに微笑んでいる。
「楽しそうだね」
「そりゃあ我らが夏木が珍しい表情をしていたのでね」
わざと瞬きの回数を増やしながら見つめてくる小豆がかった瞳のその奥には、ほんの少しだけ真剣味を帯びた色が浮かんでいた。それでも、竹塚らしく冗談めかした口調は崩れない。
「いや、あのさ…」
言わなければと思った。けれど、どんな言葉を選んでも、竹塚の前では全てが無力な気がした。
こちらの悩みと同調したかのように、教室に予鈴の音が響いた。
「あ…」
言葉にならない思いは喉の奥に沈み、虚しくも行き場を失ってしまった。
誰に触れられることもなく消えて行くその感覚は「傷つきたくない」と思う自分へのささやかな言い訳のようだった。
竹塚は読めない。
お調子者かと思いきや急に真面目なことを言い出したり、授業中に変顔をしてきたり。
アイス食べたいと言いながら自分のアイスを差し出してきたり。
所謂「変わり者」ってやつだろうか。
そんな竹塚を好きになってしまったのだ。
この恋心の行き着く先を知りたいと思ってしまった。
きっと君に向けるべきではない感情を抱いてしまった。
劣情にも似た歪な感情を友人に向けるべきでないと認識したとき、思考は罪悪感で染められていく。
痛みを伴うこの感情をどこへ向かわせれば良いのだろうか。
感情の行き先を考えている間に、少しずつ罪悪感が積もっていく気がした。
君にこの思いを向ける事は、間違いなのだから。
「なあー、明日学校サボらない?」
「え?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
急に何を言い出すんだこいつは。
「どうした、そんなタイプじゃないでしょ。」
「いやぁめんどくさいじゃん?気が乗らなくてさ、やっぱ暑いからかなぁ」
外はこれでもかと日差しが照りつけていて、もはや立っているだけでも体力を消耗してしまうほどであった。
「だって明日英語2時間だぞ?」
「それは英語嫌いなだけだろ」
そんな事を言いながら笑いあっていると夏の暑さも乗り切れる気がした。
「あっつ...冗談抜きで帰ってるだけで死にそうだよ...」
そう言いながら手をぱたぱたとさせているが、大した効果はなかったのかすぐにやめてしまった。
「何そんなに見てんのさ。気温だけじゃなくて視線まで熱いってか?」
「誰がそんな上手いこと言えと」
目で追っているつもりなんてなかったんだけどな。
「あ、そうだ」
ニヤリとした笑顔を浮かべながら竹塚は言った。
「明日、付き合ってほしいところがあるんだ」
「え、うん、いいけど。」
「付き合ってほしい」という単語に反応してしまったのがバレていないことを願うばかりだ。
翌日、2人は少しばかりの悪行をした。
待ち合わせは若者が多く集まる流行の街だった。
あまりこういう所に来ないせいか、妙に落ち着かない。
待ち合わせ場所の喫茶店で涼みながら呼び出し主である竹塚を待っているところだ。
今更気を使う必要なんてないだろうけれど、服装もこれでいいのかと何度も確認してしまう始末だ。
我ながら浮かれすぎではないか?
舞い上がっている自分にふと笑いが溢れた。
「何で一人で笑ってんの?」
突如背後に現れた声の主は「飲み物頼んでいい?アイスティーにしようかな…あ、でもせっかくこういう喫茶店来たんだし、メロンソーダかな?暑いしコーラでもいいな…」とこちらの返事は待たず、一人で会話を進めている。
「いやぁごめん、待たせた?」
「まあそこそこに」
こういう時は待ってないよとでも言うべきだっただろうか。と即座に脳内で一人反省会が行われる。
「本当だ、アイス頼んでる」
「あ…」
ただ待つのも少し退屈でアイスを頼んでいたのだが、もう溶け始めていた。
少し目を話した隙に人のアイスを食べようとしている竹塚を横目に、くだらないことで笑い合えるこんな日々が続けばいいと思った。
日が傾きかける頃になってもまだ暑さの中に飛び込む気にはなれなかった。
「よし、行こうか」
「え、どこに?」
こちらの問いかけには応答せず、竹塚はどんどん進んでいく。
「ちょっと?竹塚??」
するとくるっと華麗なターンを決めて挑戦的な目でこちらを見てくる。
「まあまあ付いてきなって。竹塚さんが楽しいところに連れて行ってあげるからさ。」
竹塚の言葉に少し戸惑いながらも、少し興味が湧いてきた。
普段から知らない世界を教えてくれる竹塚だから、きっと大丈夫。大船に乗ったつもりでついていく。
歩いていると、竹塚が突然立ち止まり、振り返った。
「あ、やべ」
その言葉に、だんだんと期待と不安が入り混じる。竹塚が何か企んでいるのはわかっていたけれど、どこに連れて行かれるのかは、全く予想がつかない。
竹塚はおもむろにスマホを取り出して「ごめんちょっとだけ待って」と言いながら素早く指を動かしている。
「じゃあ、行こうか。」
雑踏の中で竹塚を見失わないようについて行くと、しばらく歩いた先に、どこか懐かしい雰囲気が漂う花火大会の入り口が見えてきた。
「ここ、とうちゃーく!」
竹塚は満面の笑みで言うと、スムーズに受付を済ませて入場した。
驚きと同時に、竹塚の思惑通り、何だか少し胸が高鳴ってきた。思惑に嵌められているのは少し癪だが、ひとまず今は竹塚にテンションを合わせて全力で楽しむことにしよう。
竹塚の自由すぎるところに振り回されている自分がちょっとだけ面白かった。
「屋台すっげえ!ワクワクしてきた!!」
「金魚すくいなんて久しぶりに見た!!チョコバナナはじゃんけんで買ったら5本もらえるらしいよ、そんなに食えないっての!」
小さい子供のようにはしゃぐ竹塚にまるで保護者のような気持ちになる。
「いいこと思いついた!花火までまだ時間あるし、一旦自由行動にして再集合しない?夏木も好きに見て回りなよ」
朝からずっとついてきているだけのこちら側へ対する竹塚なりの優しい気遣いだろう。
「そうしよう、集合は…分かりやすいしここでいいか」
その言葉を合図に竹塚は雑踏の中に消えて行った。
色とりどりの屋台、いろんな匂い、賑やかな声、そのどれもが日常とはかけ離れていて、まるで白昼夢を見てるようだった。
こういう場所にはもう何年も来ていない。
人をかき分けながらゆっくりと祭りを一周すると、いい感じに時間が経過していた。
歩いたせいで渇いた喉を潤すためにラムネを二本買って集合場所に向かった。
「遅かったねー楽しめたみたいで何より」
そういう竹塚もとても楽しんでいたようで、両手一杯に色んな食べ物ー5本のチョコバナナもあった。
「ちょっと買いすぎたから食べるの手伝って」
仕方のないやつだ。
夜空に上がる花火が、空を一瞬で色とりどりに染め上げた。花火の轟音が胸まで響いてくる。
「すご…」
竹塚はただ無邪気に空を見上げている。その横顔をじっと見るわけにもいかず、視線を花火に戻す。どこまでも自由で、楽しそうだ。
花火が次々と打ち上がるたびに、心の中の思いが膨らんでいく。けれど、言葉にすることはできない。こんなにも近くにいるのに、まだそれを口にする勇気がなかった。
「ああ、これは…本当に綺麗だなあ」
そういうと竹塚は顔を少し上げ、笑った。そこには、花火を見ている無邪気な笑顔しかない。
大きな花火が空を切り裂き、見上げる空が一瞬だけ明るくなる。その瞬間、心も少しだけ浮かんだ気がした。気を抜くと、また竹塚の笑顔を見てしまう。
「…ほんと、すごいな。」
竹塚が何気なく言った言葉に、微笑む。それだけで十分だった。
今までもこれからもこうして一緒にいるだけで、何も言わず、このままでも良い気がした。
思いを言葉にする勇気も、このままでいる勇気もまだなかった。でも、まだ、この瞬間が続いてほしいと願いながら、ただ静かに隣にいる。
花火が最高潮に達し、空が、観客が、2人が、華やかな光で満たされる。
竹塚の横顔をもう一度だけ見つめた。その笑顔が、少しだけ遠くにある気がした。
花火が終わると魔法が解けたようにみんなが散っていく。
「いやあすごかったー!こんな花火見たの久しぶりだよ」
「うん、近くでこんな規模の花火大会やってるの知らなかった。」
「だろー?」
そう言って誇らしげな顔でグッドサインを向けている。
ふと先ほどから思っていた疑問を竹塚にぶつける。
「そういえばなんで今日は学校サボってまでわざわざこんなところに?」
「あー」
そう言ってニヤリと笑った。知っている。この顔をするときは突拍子もないことを言い出す前触れだ。
「なんとなく。強いて言うなら遊びたかったから?たまには悪くないっしょ」
「ま、一緒に怒られようよ」
悪びれる様子もなく言い切った竹塚の笑顔は花火に負けないくらい眩しかった。
「それで、何悩んでんの?」
場の空気が変わったように思えた。
「最近妙に色々考えてるっしょ。見てれば分かるんだぞ、意外と。余計なお世話かもしれないけど、もしよかったら、その一端でもいいから一緒に背負わせてよ。」
その目はまっすぐとこちらを見ていた。
その原因のほとんどは目の前にいる他ならないあなたなのだけれど。
なんてことは言えるわけもない。
でも、でも。
「ごめん急に変なこと言って、でももし何か悩んでるなら力になりたくて。」
目に見えない何かで苦しむよりも、目に見える形で傷ついた方が幾分か楽な気がした。
「いや、あのさ」
どうやって言おうか。心臓が一瞬だけ、いつもより速く跳ねた。
でも、このまま黙っているのも、きっと後悔する。
「ど、同性愛ってどう思う?」
まっすぐ素直に言えない。昔からずっと、臆病なままだ。
「同性愛?んー…そうだなあ…」
ゆっくりと深呼吸を一回。
「別に特別視はしてないな。同性しか好きにならない人たちから見たら、たまたま多くの人が異性しか好きにならなかったってだけで。アイスみたいなもんだよ、フレーバー違い。でもまあ、難しい問題だよなあ。」
一息に言い切ると、道中の自販機で買ったペットボトルの水を飲み干した。
「異性愛者も同性愛者も対象が違うだけで、きっと一緒だ。」
一呼吸置いてから、竹塚はふっと笑みを浮かべた。
「ま、そんなに頭良くないから、偉そうなこと言えないけどさ。」
その言葉が、心の奥でこっそり引いていた線をそっと消していくようだった。
自分で勝手に違うと決めつけていたのは、他でもない自分だったのかもしれない。
それでも、きっとこの想いを伝えることはない。
自分が枷になるようなことはしたくない。
竹塚が竹塚らしく生きられるように。
それが叶うのなら、この気持ちは一人抱えていても構わない。
ただ一つだけ願ってもいいのなら、それが許されるなら。
一番近くで、隣でもう少しだけ、一緒に笑っていてもいいだろうか。
きみは月みたいだ。太陽じゃない。
輝いているのに、どこか控えめで。遠いのに、いつだってそばにいるような気がする。
無理やりじゃなく、優しく照らして、手を引いて並走してくれる。
そんな心地よい明るさが好きなんだ。
なんて学生時代に言ったとき、きみは優しく笑っていたのを覚えているだろうか。
あの頃と比べて色々変わった。学生の時と違ってミスは許されないし、毎日一緒に帰る友人もいない。
朝起きて、仕事へ行って、帰ってきたら一日を洗い流すように少しの酒を飲んで、寝たらまた朝が来て仕事へ行く。
大人とは、子供が思うよりも寂しい生き物なのかもしれない。
大人になった今でも夏になるときみを思い出す。
「来年の夏、子供が生まれるんだ。久しぶりに飲まない?」というメッセージは、きみと過ごした鮮烈な三年間を思い出すのに十分だった。
賛成の意と暇な日を伝えてスマホを閉じた。
大人になったら痛みは消えると、忘れられると思っていた。
違った。時は忘却に効果を持たないらしい。
それでも構わない、それも君の要素の一つとして残ればいい。
色褪せることなく、静かに心に灯り続ける、一夏の思い出として。
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