窓辺の果実

太野伊吹

晦冥のアンコール

死にたがりと衝動のはなし


 「余命はあと一日」そう告げられた。

 死とは唐突にして気まぐれなもの。準備する暇すら与えてくれない。

 抵抗する気はないし、できないのだが、そこには意思も何も関係ないのです。

 理解し難いでしょうが、これは逃れられない現実であり、変わらない事実でもあるのです。


 人は抗えぬ死を前にして何を思うのでしょう。

 後悔、感謝、恐怖、それぞれが抱く感情は異なるのでしょう。

 これまでの人生後悔のないように生きようと務めてまいりました。

 しかし、われわれが思うより人生は理不尽で、人は強欲で、思い通りにはいかないのだと知りました。

 ですが思うのです、後悔があっても人はそれなりに幸せに生きることができればそれでよいのではないかと思うのです。

 自ら心を閉ざさなければ、人生は何とか楽しめるのではないかと。


 正直者が馬鹿を見るのではない。

 ただ、その行動が誰の目にも止まらないだけなのです。

 時に誰かがその価値を拾い、注目する必要があるのです。

 その時まで純真に生きた人間が報われない事は到底許されない。

 では、純真とは何でしょうか。

 人を疑わぬ心か、はたまた自分自身を信ずる力か。


 生きるとは一体、何なのか。

 私たちはこの問いを避けるために日常に忙殺されているようにさえ思える。

 しかし、今日という日は何かが違う気がする。空の色も、街の喧騒も、すべてが不意に、どこか遠くにあるように感じるのだ。

 だから、私を襲う孤独とは正々堂々向き合わねばならない。

 孤独とは、人を脆くする。

 その脆さがあるからこそ、人は死を選ぶ瞬間にも自分を正当化できるのだ。


 小さな幸せの積み重ねこそが人生で、それを感じ取ることこそが生きる力なのだと今になって気がつきました。

 大きな幸せはいずれ崩れ去り、願うものは長く続きはしない。

 欲したものは手に入らない。

 思い通りにならないのが人生なのです。


 人はいつでも死ねるが、生きることは今しかできない。

 生きるとは一度きりである。

 生きることは不確かなもので、死だけが明確な事実となる。

 だとすると死の存在は人生においての僥倖となり得るのではないでしょうか。


 今までただ流され碌な決断もせず、誰のためとも言えない道を辿って来ました。

 だからこそ、自分が下した死という決断がどんなものなのかが気になって仕方ないのです。

 死とは一体、何なのか。

 思うに死は恐れるべきではなく、生きているからこそ死の存在は怖く感じるのです。

 生きているから怖いのです。

 では生きていなければどうなるのか、答えは、否、死ぬことに理由も意味もあってはならない。


 ここにいる君も、私と似ているのかい?


 なんとも言えない高揚と煩慮に襲われていた。

 今ここで踏みとどまるのは簡単だ。

 ただそれは自分自身を裏切ることにもなるし、何より面白くない。


 空が遠くなる、いや近くなっているのか。

 わからない。どうする事も出来ない。

 不可抗力、そんな言葉がお似合いだろう。

 知りたかった。試したかった。

 だから空を掴んでみたけれど、手は空を切っただけだった。

 

 終わりは、思ったより退屈だった。


 私は落ちる。いつか再び目を覚ますその日のために。


 この衝動がすべて無意味であるとしても、私が生きた理由は、きっと

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