第22話 飲みすぎじゃない? WOW WOW

 十分ほどの移動を終えて、僕たちが到着したのは三階建てのバーだ。

 大通りから外れた路地にあるというのに、週末ということもあってか、店は満席。店外にまで喧騒が聞こえてくるほど賑わっていた。


 珍しい。こんなに沢山お客さんがいることは滅多にないんだけど。

 満席の店内を見て少し驚くシェルファ先生と共に三階の窓際席に通され、僕たちは料理と酒をそれぞれ注文。


 店内の雰囲気、僕とシェルファ先生の性格。

 それらを考えると、僕たちは大きな声を出すこともなく、落ち着いた静かな雰囲気で飲み進めることになるんだろうな。

 上品に酒と料理を楽しみ、会話に花を咲かせることになる。


 そんな予想をしながら、先に運ばれて来たカクテルで満たされたグラスを掲げ、僕たちは互いにそれを合わせ鳴らした。

 ……それが、今から約一時間前のこと。

 予想が大きく外れることを、この時の僕は知らなかった。


「お酒っていうのはね、社会で働く者たちの活力であり命そのものなんだよ。私は全身の血液をお酒に変えたい。輸血じゃなくて、輸酒を経験したいの」


「何を訳のわからないことを言っているんですか、シェルファ先生」


 意味のわからないことを言いながらグラスに入ったワインをグイっと喉に通したシェルファ先生に細めた目を向ける。彼女の眼前には、空になったグラスが幾つも置かれていた。


「訳のわからないことも言いたくなるのが、社会人の辛いところなんだよ」


「……流石にペースが速すぎるんじゃ?」


「え~? まだまだ全然だよ。七杯目だし」


「一時間で七杯は相当凄いですよ。ちゃんと水も飲んで、料理も食べてください」


「心配性だなぁ、ゼファル君は!」


 僕の忠告を聞いているのか、いないのか。シェルファ先生は楽しそうに笑い、皿に盛りつけられていた蛸の揚げ物を口に運んだ。


「こう見えて私、お酒すっごく強いから大丈夫だよ。飲みすぎて吐いたことない。五回しか」


「あるじゃないですか。しかも割と多い」


「五回なんて吐いたうちに入らないよ」


「そんなわけないでしょ」


 呆れながら、僕はウイスキーの入ったグラスを口元で傾ける。

 一瞬舌が痺れるような感覚が生まれ、その後、潮風にも似た香りと味を感じた。


「強いお酒飲むね」


「僕は沢山飲めないので。丁度良く酔いたい時は、度数40くらいの酒を二杯くらい飲むんです。甘いカクテルと違って、飲みすぎることもないし」


「そういうことね。てっきり、格好つけてるのかと思った」


「そんなわけないでしょ」


「そうだね。別に格好つけなくても、君は格好いいし」


「……どうも」


 酒が入っているからだろうか? いつもよりも、そういう誉め言葉が照れ臭く感じる。


「あ、照れた? ちょっと顔赤くなったよ? 可愛い~」


「シェルファ先生は酒が入ると面倒くさくなるタイプなんですね」


「かもしれない。けど、これはあくまでもゼファル君を信頼しているからだよ?」


「こんなところで信頼を持ち出されたくないなぁ」


 信頼なら、もっと別のところで。

 話を変えよう。

 と、僕はテーブルに並べられた料理の数々を見て、シェルファ先生に問うた。


「それにしても、海産系の料理ばかりですね。この店は、こういう系統のものが有名なんですか?」


「そういうわけじゃないよ。ただ、私の好みを注文しただけ」


「珍しいですね。竜種の亜人は遺伝子的に、肉類を好むものなのに」


「遺伝子だけで全てが決まるわけじゃない。結局、好みは人それぞれだよ……あ、すみません! 私もウイスキー! あとグラス下げてください!」


 シェルファ先生は近くを通りかかった女性店員に声をかけた。

 ここで度数の高い酒に行くのか……。


「今日はどれだけ飲むつもりですか? まだ一時間を過ぎたくらいだし、まだまだ店にはいるんですよね?」


「勿論。あと三時間くらいはいるかな~」


「となると、単純計算でも二十杯はいきそうですね……普段からそんなに飲むんですか?」


「いや? 普段も飲むときはあるけど、それでも十杯くらいでやめるかな」


「え、じゃあ今日はなんで?」


「それはね……」


 ニヤッと笑い、シェルファ先生は嬉しそうに言った。


「産卵期が昨日で終わったからです!」


「あんまり大きな声で言わないでほしいです」


「別にいいでしょ~? 皆お酒入っているんだから、誰も気にしないって」


 言って、シェルファ先生は手にしていたフォークの先端を噛んだ。


「産卵期はお酒は勿論駄目だし、運動も食事も制限されるから、すっごくイライラするの。しかも、今回はいつもより長かったし……抑圧からようやく解放されたから、今日は羽目を外すって決めてるんだよ。頑張った自分へのご褒美でもある」


「だ、大丈夫なんですか? 産卵期の前後って、酒は控えたほうがいいんじゃ……」


「もうこれ以上我慢するなんて絶対に無理だよ。それに……」


 カラン。

 運ばれて来たウイスキー入りのグラス、その内側で回る丸い氷を鳴らし、シェルファ先生はトロンとした目で僕を見て、言った。


「折角ゼファル君と一緒に飲めるんだから、身体のことなんて気にしたくない」


「……」


 僕はフイ、と顔を背けた。

 色気がヤバイ。普段は小動物のような可愛さがあるのだが、今日は大人としての色気に磨きがかかっている。酒が回っていることで紅潮した肌や、緩い雰囲気など、なんかもう……エロイ。

 気を抜くと、僕までその気になってしまいそうだ。


 僕は深呼吸をし、心を落ち着ける。

 大丈夫。家を出る時、エイザの講習を受け、忠告を受けたのだ。雰囲気に流されてはいけない。自分を見失わず、この場を乗り切れ。


 自分自身に言い聞かせた僕は、手に持っていたフォークの先端で魚のフライを突き刺し、それを自分の口に運ぶ。が、口を開けた瞬間、ガシっと僕の手首が捕まれ……食べようとしたそれは、シェルファ先生の口内へと消えていった。


「シェルファ先生。横取りは駄目ですよ」


「フフ、何か美味しそうだったから、つい」


「全く……」


「お詫びにはい、私も……あ~ん」


「……」


 差し出された魚のフライ。

 僕は一瞬躊躇ったが、これくらいならいいか、と大口を開けてそれを食べた。

 咀嚼する僕を見つめ、シェルファ先生が一言。


「間接キス、だね」


「そんなことを気にする年齢は過ぎましたよ」


「えー、つまんな~い! もっと顔を赤くして照れてくれたほうが面白かったのに」


「十代じゃないんです。そこまで初心じゃないですよ」


「でも二十歳とかでしょ? もう少し子供っぽくてもいいと思うなぁ」


「教師が子供っぽかったら駄目でしょう。生徒の手本にならないと」


「真面目だね」


 シェルファ先生は僕を眺めたまま続けた。


「若々しくて格好良くて、頭も良くて、精神も成熟していて、おまけに性格まで良いときた。そりゃあ、学院の生徒たちが憧れるわけだよ。自覚ある? ゼファル君、色々な生徒たちに狙われてるの」


「まぁ、はい。毎日のように卵を食べさせようとしてくる子もいるくらいですから」


「あぁ、エフェナさんね。あの子くらいストレートに自分の卵を食べさせようとしてくる子は珍しいよ。大変だね」


「まだ強引な手段に出ないだけマシですよ。僕の力じゃ、生徒たちに襲われたらどうにもならない」


「そんなことにはならないから、安心していいよ?」


「? どういうことです?」


 問うと、シェルファ先生は理由を語った。


「生徒たちはお互いに牽制し合ってるの。仮にもし、誰か一人が強引な手段に出ようとしたら、その他の子たちが全力でそれを阻止する。君は生徒たちに狙われているけど、同時に、生徒たちに護られてもいるの」


「そ、そうなんですね……」


「だから安心しなさいな。勿論、私たち教員も目を光らせているから」


 グッと親指を立てて見せたシェルファ先生に、僕は引き攣った笑みを返した。

 護ってもらえることはありがたい。だけど、本来は教師が生徒を護るべきだ。

 庇護する対象である女子生徒たちに護られている自分が、何だか情けなく思えた。


 せめて、身体は鍛えようかな。

 その後も酔ったシェルファ先生の無駄に長い無意味な話を聞き流しながら、僕は頭の片隅で考えるのだった。

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