学院の生徒たちが産んだ卵を食べさせようとしてくるんだが

安居院晃

第0話 プロローグ

 とある春の日、暖かな陽光が降り注ぐ午前九時。

 王立亜人女学院にある、個人研究室にて。


「おはようございます、ゼファル先生。本日も私の産み立て卵をお届けに参りました」


 僕がソファに腰掛け、朝のティータイムを楽しんでいる最中。

 ガチャ。と部屋の扉が開かれ、そこから学院指定の制服に身を包んだ一人の生徒が入室した。


 純白の長い髪と、海のように蒼い双眸を持つ少女だ。

 程よく育った整った肢体を持ち、浮かべた微笑は美しさを際立たせる。

 美貌だけでも人の目を惹くが……何よりも彼女を注目の的にするのは、背中に携えた大きな白い翼と、頭上で輝く光輪だ。


 天使族。

 世にも珍しい、世界に数十人しか確認されていない希少な種族の象徴。

 何度見ても美しい姿の少女に顔を向けた僕は「おはよう」と返し、次いで、彼女が手に持つバスケットを見た。

 シミ一つない白い卵が三つ入った中見を。


「今日は普段よりも沢山産んだんだね」


「はい。一度に三つも産卵するのは初めての経験でしたので、少し時間がかかってしまいました」


「そっか。ところでエフェナは、どうしてその卵を僕のところに持ってきたの?」


「それは勿論、愛しのゼファル先生に食べていただこうと思って」


「……生徒が産んだ卵を食べることは倫理的にアウトだと君に教えたのは、いつだっけ」


「昨日の十九時頃です」


「あの……もう一度聞くけど、今日はどうして僕のところに卵を持ってきたの?」


「もう一度言いますが、愛しのゼファル先生に食べていただこうと思い持って参りました♪」


 全く、この優秀な問題児は……。

 何度聞いても変わらない答えに僕はがっくりと肩を落とし、手にしていたティーカップをソーサーの上に置いて、天使の少女──エフェナに告げた。


「今すぐに回収箱へ廃棄してきなさい」


「そんな……私がお腹を痛めて一生懸命産んだ子供を捨てろと言うのですか!?」


「お腹を痛めて一生懸命産んだ子供を僕に食わせようとしている人が何を言っているんだ」


「私には聞こえるんです。この子たちが、ゼファル先生に食べてほしいと言っている声が」


「無精卵から声が聞こえるわけないだろ」


「聞こえます。今だって、ほら。『男ってのは、時には勢いが大事だぜ』って」


「そんな男らしい卵があってたまるか」


 とにかく駄目ったら駄目。

 僕が両腕を交差させて『×』を作ると、エフェナは不満そうに頬を膨らませ、ムスッとしながら言った。


「もう……本当に先生は強情ですね。いい加減、諦めてパクッといってしまえばいいのに」


「教師が生徒の産んだ卵を食べるわけにはいかないだろ。それに、仮に食べたら君は僕をどうするんだ?」


「それは勿論、私の想いを受け取ったとして、遠慮なくブチ犯します」


「乙女がそんな言葉を使うなよ。しかも高貴なる血筋の君は特に」


「わかりました。では、その代わりに卵を食べてください」


「嫌です」


 本当に隙あらば僕に卵を食べさせようとしてくるな、この子は……。

 けど、屈するわけにはいかない。ここで卵を食べようものなら僕の教員人生、そして研究者人生はここで終わることになってしまう。それだけは避けねば。

 

「とにかく、そのバスケットに入っている卵は持ち帰りなさい。僕は受け取らないから」


「わかりました。では、一緒に先生も持ち帰りますね」


「そんなサービスはない──こら、待て。腕を引っ張るな。服が伸びちゃうだろ!」


「つれないですね……ですが、断られた以上は仕方ありません」


 やれやれ、と首を左右に振り、エフェナはバスケットの蓋を閉じた。

 溜め息を吐きたいのは僕のほうなんだけど……珍しいな。

 普段なら、ここから数十分は駄々を捏ねて、僕に卵を食べるように訴えかけてくるのだけど……今日はやけに諦めが早い。


 駄々を捏ねても無駄だと学習したのかな。

 と、僕はエフェナを見つめながらそう考えたのだが……。


「では、今日は趣向を変えて……ゼファル先生が私の卵を食べたくなるように、プレゼンをさせていただきますね」


 微笑みと共に言って、エフェナはバスケットの中から卵を一つ取り出した。

 シミも汚れもない、とても綺麗な卵。大きさは一般的に流通している鶏卵よりも、一回りほど大きい。


 なるほど、そう来たか。

 駄々を捏ねても無駄だと学習した部分はあっていたけど、諦めたわけではないらしい。そりゃあそうか。少し考えればわかることだったよ。エフェナはとても強情で、諦めが悪い性格をしているのだから。


 僕は足を組み、ソファの肘掛けに頬杖を突く。


「……何を言われても食べる気にはならないと思うけど、一応聞こうか。生徒の発表には耳を傾けるのが、教師だからね」


「ありがとうございます。そういうところも大好きです」


「はいはい。但し、これ以上聞いても無駄だと思ったら止めるから」


「勿論です。それに、長々と話すつもりはありませんので、ご安心ください」


 表情や声音から推察するに、相当自信があるようだ。

 果たして、どんなプレゼンをしてくるのか。

 少しだけワクワクしながら僕が促すと、咳払いを一つ挟んだ後、エフェナは手にした卵を眼前に掲げ──少しだけ頬を赤く染めて、言った。


「この卵は今朝──ゼファル先生との情事を妄想しながら産み落としました」


「はい、アウト。発表中止!」


 乙女の胸の内に留めておかなければならない事情が曝け出されたため、僕は即座に中止を宣言し、頭を抱えた。


「そういうデリケートなことは胸の内に仕舞っておきなさいッ! というか、このプレゼンは僕に卵を食べさせるためのプレゼンだよねっ!? なんでこの内容で僕が卵を食べる気になると思ったのッ!?」


「乙女の秘密を知った代償として食べさせる魂胆だったんです。断ったら……辱めを受けたと学院中に言いふらしますよ、と」


「それはプレゼンじゃなくて脅迫って言うんだよ!」


「……ゼファル先生が悪いんですよ?」


 卵をバスケットの中に戻し、ムスッと可愛らしく頬を膨らませ、エフェナは再び不満そうに言った。


「私たち亜人種にとって、卵を渡すのは一世一代の愛の告白に等しいことです。それを無下に扱って……こうなったらもう、無理矢理先生の口に卵をねじ込むしかなくなってしまいますよ」


「恐ろしいことを言わないでくれ。君は本当にやりそうだ」


「やりませんよ。私は純愛が好きなので」


 次いで、エフェナは僕に問うた。


「ところでゼファル先生は、他の生徒から卵を貰うことはないんですか?」


「貰ってほしいと言われることは結構あるよ。受け取ったことはないけど」


「やっぱり、モテますね。先生は外見も内面も良いですから」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それだけじゃないよ」


 僕は人差し指を下に向けた。


「ここは女学院で、女の子しかいないだろう? 関わる異性が僕しかいないから、目につくのさ。まぁ、あとは……僕の種族のこともあるかな」


「あれ、明かしていましたっけ?」


「明かしてないよ。けど、亜人の本能って言うのかな? 何か特別なものを感じるんだろう」


「あぁ、確かに」


 納得顔で頷き、エフェナは自分のお腹に手を当てた。


「私も先生の傍にいると、子宮が疼き始めて……あ、産まれそう」


「ここで産むなよッ!!」


「冗談です」


 洒落にならない冗談を言って僕に冷や汗を掻かせたエフェナは笑い、言った。


「ゼファル先生は容姿も性格も種族も、全て亜人女子の癖に刺さるものを持っていますからね。うかうかしていたら、いつか誰かに取られてしまいそうで心配です」


「……少なくとも、君たちが生徒の内は、誰の好意も受け取るつもりはないけどね」


「では、卒業したら?」


「それはわからないな」


 想像してみる。

 今、学院で授業を受けている生徒たちが立派に成長し、大人の女性になった姿を。

 もしも、成長した彼女たちから好意を向けられたら……。


「もしかしたら……落ちてしまうかもね。君たちは今でも十分、魅力的な女性だから」


「……先生、その顔は反則です」


「え? どんな顔してた?」


「卵を産みたくなる顔です」


「どんな顔ッ!?」


 と、その時、始業十分前を告げる鐘が鳴り響いた。

 もうそんな時間か。

 腕に装着した時計で時刻を確認した僕は授業の準備をするために立ち上がり、エフェナに言う。


「君も教室に戻りなさい。授業、遅れるよ」


「はい。それでは先生、また後で」


 バスケットを持って立ち上がったエフェナは一礼した後、部屋から退室した。

 開け放たれた扉が閉じ、静まり返る室内。

 賑やかな朝だったな。

 なんて思いながら笑い、僕は授業で使う教材などが置かれている執務机に近付いた。


 僕も一限目から授業がある。

 開始まで残り十分ほど。少し早いけれど、教室に移動してしまおう。


 と、僕は教材に手を伸ばし、その場を離れようとし──気が付いた。


「……あれ?」


 執務机の端に置かれていた、実験用のビーカー。

 その中に──小さな青い卵が入っていることに。

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