第4話 幻想の音色

「ちょっ、これ、落ちるっ!」


 殴り飛ばしたはいいが、着地のことまで考えていなかった。

 そもそも好きで飛んだ訳じゃないのだ。

 着地の手段なんて、俺にある筈もない。


 リビアは駆けつけてくれているが、どう見ても距離が遠く、間に合う気がしない。

 こうなったら、受け身だ。

 受け身を取れば死なないとか、漫画か何かで見た気がする。


 特に柔道を習った訳でもないが、見様見真似で着地の瞬間、体を転がす様に……なんて上手くいく筈もない。

 普通に落ちた俺は、足や背中、全身の骨が折れる痛みを味わう羽目になる。


 数秒遅れてやって来たリビアが、手足が変な方向に曲がっている俺を見て、心配の声をかけた。


「大丈……夫……?」

「大丈夫そうに見えるか?」

「見えない……けど、なんで返事できるのよ?キモいわね」

「キモいって……お前なあ……」


 なんて軽口を叩いていると、またしてもあの粒子が何処かから溢れ出る。

 粒子は折れた手足に纏わりつくと、浸透する様に消え、手足が元通りになっていた。


 その光景に、俺もリビアも、絶句した。

 


 あの痛みは尋常じゃなかった。

 確実に骨は折れてないとおかしい。

 というか、生きているのがおかしい。

 だというのに俺は骨折どころか無傷の状態になっている。


 いや、無傷は語弊がある。


 血は出ていたのだ。

 ちゃんと怪我して、痛みもあって、血も流れていた。

 でも、あの粒子が全てを治したのだ。


 さっきの体の異変もそうだ。

 四肢を切り刻まれ、首を刎ねられた。


 それでも今、俺はこうして五体満足で生きている。

 これはもしかしてもしかすると——俺、覚醒したかもしれない。


 電子魔法の覚醒。

 まさかチップも埋めてないのに、俺に力が目醒めるなんて……


「再生系の電子魔法か……ふっ、このタイミングで目醒めるなんてな」

「悪いけど……それ、たぶん古代遺物アーティファクトの力よ」


古代遺物アーティファクト』、リビアと血濡れの男がずっと言っている単語だ。

 そういえば、これが何のことなのかまだ説明して貰っていなかった。


古代遺物アーティファクトって何だ?いい加減、説明してくれ」

「そうね。簡単にいえば魔法の力が宿った古代兵器ってとこかしら。物によっては、それ一つで国を滅ぼせるわ」


 国を滅ぼせるって言われても……今ひとつピンとこない。

 なんだか、夢物語すぎて現実味がないのだ。


「あたしは魔術結社グリムに所属する《いにしえの魔法使い》。さっき使ってた魔法は、あんたたちの電子の魔法とは似て非なるものよ」


 魔術結社に古の魔法使い。

 またまた知らない単語が飛び出して来る。リビアの説明は、さほど頭のよくない俺の理解の範疇を超えていた。


「……わかってないって顔してるわね」


 御名答。というより、いきなり「はいそうですか」などと理解できる奴、この世にいないと思う。


「詳しい説明は後。重要な情報だけ説明するわ。あいつは元グリムの一員、通称青髭と呼ばれた男。最強格の古代遺物アーティファクト王の剣エクスカリバー》を狙ってる」


王の剣エクスカリバー》、その名前は誰もが知っている。

 アーサー王が使っていたという、この世で一番有名な剣の名前だ。


「あんたが取り込んだ鞘は《王の剣エクスカリバーの鞘》。宿る魔法は《再生》。鞘が体の中にある限り、あんたは死なないわ……たぶん」


 再生……再生ねえ。

 四肢を治したのも、折れた怪我を治したのも、全て鞘の力という訳だ。


「前例がないから再生魔法のレベルがわからない。とりあえず必要以上に怪我しないこと。わかったら逃げて」

「りょーかい……ん?逃げるって、何から」

「あんた、まさか一発殴っただけでやっつけたなんて思ってないでしょうね。青髭が起きて来る前に逃げろっていってんの」


 その言葉と、ほぼ同時だった。

“ドドドド”と大量の水が迫る音。

 次第に周囲のビルが膨張し、窓から血が漏れ出た。


 何棟にも並ぶ高層ビルが、青髭の力によって赤い血のビルへと変貌する。

 侵食されたビルの屋上には青髭が立ち、鋭い視線で俺たちを睨んでいた。


 ——あいつ、いつの間にあんな所に。


「ちまちまとやるのはもうやめだ。傷が治るのなら、血の海で溺れて死ね」


 突然、轟音と共に巨大な扉が姿を表す。

 扉は古びた鉄製で、錆びた金具が不気味に光を反射し、周囲の空気が一瞬凍りつくような緊張感が漂う。


 扉の隙間から何かが解き放たれるかのように、真っ赤な血の海が溢れ出た。

 血は、生物のように波打ちながら、屋上のコンクリートを覆い尽くしていく。

 鮮やかな赤色は、ネオンの光を受けて不気味に輝き、周囲の景色と対照的な異様な光景を作り出していた。


 血の海は次第に流れ出し、屋上の縁を越えて、下の街へと流れ出す。

 まるで悪夢の中の光景のように、血の流れは何かの儀式のように、見る者の心に深い不安を植え付ける。


 瞬間、風が吹き抜け、血の海からは微かな呻き声が聞こえる錯覚に襲われた。

 まるで扉の向こうに潜む何かが、こちらを見つめているかのような恐怖が、街全体を包み込んでいく。

 俺はその異様な光景から目を逸らすことができず、恐怖と好奇心が交錯する中、運命の瞬間をただ見守るしかなかった。


「【開けてはいけない金の鍵の部屋ブラウハーア


 金の鍵が差し込まれ、扉は遂に全開する。

 “ギィィィ”と耳障りな音を立て、緩やかに開いた扉の奥には、人間の女性らしき死体が夥しい数、磔にされていた。

 その眼から、口から、身体から、全身から血が流れ落ち、街を侵食するこれらは彼女たちから流れたものだと、直感で感じ取る。


 まるで、災害。

 それは津波のように、波打つ血の海が勢いを増し、まるで津波のごとく電子の街を破壊し始めた。

 人間にはどうしようもない絶対の力。

 それが今、目の前にあった。


「なあ、何処に逃げればいい?」

「さあ。地の果てまで走ってみたら?ま、追いつかれるでしょうけど」


 走っても逃げ切れる気がしない。

 このまま波に呑まれるしかないのか?


 その時だ。


「お二人とも、暴れないで下さいね」


 凛とした女性の声が聞こえた。

 次に瞬間、体は何かに持ち上げられ、視界はジェットコースターに乗っているように、目まぐるしく景色が変わる。


「ひとまず距離を稼ぎます。後はリビア先輩、任せますよ」

「さくら!?あんた生きてたの」

「勝手に殺さないで下さい。私、先輩より席次上ですからね」

「グリムの席次は強さ順じゃあないでしょ。全く、少しは先輩を敬いなさい!」


 リビアを先輩と呼んだ。

 あまりの速度に顔も見れないが、どうやら味方が来たようだ。


「この波をどうにかしてくれたら考えます」

「だから……なんで後輩のあんたが条件出す側になってんのよっ!」


 離れていた俺にも届くくらい、大きく息を吸う音が聞こえた。

 リビアが何かやる気だ。


「いくわよ——【動物たちの音楽隊ディー・ブレーマー・シュタットムジカンテン】」


 聞こえて来たのは、美しい音色。

 リビアが鳴らしているのはブブゼラ一つ。だというのに、まるで大人数の音楽隊の合唱を聞いている様な、様々な楽器の音色が響き渡る。


 目を閉じれば、音色が爽やかな情景を映し出す。

 まるで自然豊かな森の中にいる様な、そんなイメージが見えた。

 そしてそのイメージは、現実になる。


「…………マジかよ」


 絶句。


 その一言しか、出て来ない。


 血で津波を出したあいつも大概だが、リビアは音で森を作り上げた。

 津波は多数の木々に阻まれ、勢いが死ぬ。俺たちの元に届いた時には、ただの潮の満ち引き程度の勢いになっていた。


「はぁ、はぁ……これ、喉にくるから使いたくなかったのよね」


 息も絶え絶えで、肩で呼吸をしている。

 相当体に負担がかかる魔法のみたいだ。


「おー、流石はリビア先輩ですね。褒めてあげます」

「だから、上から目線で、喋るなっての。ったく、後はしっかりやりなさいよ」

「大丈夫です。もう行ってますよ。私の可愛い狼さんが」


“ドサッ”と何かが落ちる音が聞こえた。


 目を向けると、そこには二本足で立つ藍色の体毛をした人狼が二匹。

 そしてその人狼の足元に、気を失った血濡れ男が倒れていた。


「はい。これにて一件落着です」


 後から助けに来てくれた少女の一言で、俺の初めての戦いは幕を閉じた。

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