第3話 陽キャの幼馴染に数学を教えた
三限は数学だった。
発展問題を協力して解くという名目で、教師が四人班を作るように指示した。
蓮にとっては奇跡的に居心地の悪くないメンバーだった。
大翔の標的になりたくないからだろうが、クラスの男子はほぼ全員が蓮から距離を取っていた。
それだけならまだいいが、中には
女子も似たようなものだ。
大翔に気に入られたい者はまず好意的な態度を取らないし、そうでなくても華やかさもない一人の男子のために、クラスの中心である陽キャグループの意向に逆らおうとする物好きなど普通はいないのだ。
その例外の二人が、心愛と凛々華だった。
ふんわりとした銀髪のショートボブと澄んだ深海のような青色の瞳が特徴の心愛は、髪型にあった柔らかい雰囲気をまとっている少女だ。
小柄ながらもクラスで一、二を争う抜群のプロポーションと優しげな微笑で男子の注目の的になっている彼女は、あまりクラスの空気などを気にするタイプではないようで、大翔一派が近くにいても普通に話しかけてくる。
先程も大翔にぶちまけられて回収できていなかったらしいペンを「これ黒鉄君の? 落ちてたよ〜」と渡してくれた。
朝に弱いらしい彼女は、大翔一派から丁寧な「ご挨拶」を受けている最中に登校してきた試しがない。
凛々華は心愛と違って話しかけてはこないが、彼女はそれが平常運転だ。
蓮に対する態度と他の人に対するそれが変わっていないという点では、心愛と同じ属性に分類できるだろう。
毎朝図書室で勉強しているため、大翔たちにしつこく絡まれている蓮を見るのは初めてだったはずだ。
英一だけは唯一その場にいながら無関心を装っていたが、特に思うところはなかった。
彼を含めた見てみぬふりをする大多数のクラスメイトが、いわゆる「普通」の人間であることはわかっていたからだ。
英一の提案で、まずは各自で取り組むことになった。
蓮は問題をざっと斜め読みした。
(……なるほど)
解き方はすぐに浮かんできた。
英一と心愛は頭を悩ませているようだが、凛々華は蓮と同じようにペンを走らせていた。
蓮が解き終わってすぐ、凛々華もペンを置いた。
「黒鉄君も終わったのかしら?」
「ん? おう」
蓮は驚いたように目を瞬かせてからうなずいた。
凛々華は一瞬だけ視線を逸らしてから、手を差し出してきた。
「見せてもらえるかしら? それがおそらくこのグループワークの
(なるほど。そういうことか)
蓮は一人納得した。
凛々華が自分から話しかけてきたのには驚いたが、真面目な彼女らしい動機だった。
「いいぞ。じゃあ柊のも見せてくれ」
「えぇ」
お互いの掲げた高さが同じだったらしく、二人のノートが頭突きをした。
凛々華は一瞬だけおかしそうに頬を緩めたが、すぐにわざとらしく咳払いをしてしかめっ面になった。
耳元に微かな赤みが差し、紫色の瞳がわずかに泳いでいる。
やはり、普段のキャラが彼女のそのままの素ではないのだろう。
無事に交換を済ませて凛々華のノートに目を走らせる。
予想通り達筆だったが、思ったよりも丸みを帯びた女の子らしい文字だった。
ただ、解答は彼女らしい教科書の教えに沿った綺麗にまとまったものだった。
そのまま解説に載せても問題ないだろう。
(ん?)
ふと視線を感じて顔を上げると、アメジストの瞳が蓮を見ていた。
「っ——」
目が合った瞬間、凛々華のまつげが小さく揺れ、すぐに蓮のノートに視線を落とした。
唇をキツく結び、不機嫌そうな表情を浮かべている。
(えっ、俺まさかニヤニヤしてなかったよな?)
女の子のノートを見て興奮するような特殊な性癖は持ち合わせていないはずだが、と蓮は疑心暗鬼になった。
だが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「黒鉄君はずいぶん奇抜な解き方をするのね」
そう言いながらノートを差し出してくる凛々華の表情は、いつも通りの冷淡なものだった。
綺麗に切り揃えられた爪先が、ある箇所を指す。
「ここはどういう考えで解いたのかしら?」
「あぁ、これは——」
蓮は言葉を切った。凛々華とはちょうど斜めに座っているため、英一と心愛の邪魔になってしまうのではないかと思ったのだ。
心愛もそれに気づいたようで、蓮と凛々華を交互に見比べてから納得したようにうなずき、すくっと立ち上がった。
「黒鉄君。席変わるよ〜」
「あぁ、サンキュー」
蓮はお礼を言いつつ、突然目の前に出現した二つのお山から目を逸らし、そのまま凛々華に目を向けた。
「けど、柊はいいのか?」
「何がかしら?」
「俺が隣に座って」
「……それの何が問題だというの? 別に普通のことだと思うのだけれど」
凛々華がスッと瞳を細めて眉を寄せた。わずかに苛立ちがにじんでいるように見えた。
「そうだな。変なこと言ってすまない。初音も迷惑かけるな」
「ううん、全然。二人ともすぐに解けててすごいね〜」
心愛の邪気のない言葉で、ピリつきかけていた空気が和らいだ。
凛々華が目を伏せて小さく息を吐いた。その意味はわからないが、蓮のやるべきことは変わらないだろう。
「えっと、ここの部分だよな?」
「えぇ。まずはね」
部分的な肯定が返ってくる。どうやらいくつか気になる点があるらしい。
「わかった。まず、これは——」
説明を始めると、凛々華は余白にメモを取り始めた。
驚きに目を見開いたり、興味深げに小さくうなずいたりと、普段は見られない彼女の表情が次々と現れた。
口元はわずかに弧を描いており、蓮のペン先を追いかける眼差しも心なしか輝いているように見える。
自分とは全く違う考えに興味を抱いているようだ。
(勉強が好きなんだろうな)
意外と表情が豊かなことには驚いたが、同時に微笑ましく感じられた。
「っ——」
不意に強烈な視線を感じた。嫌な予感がした。
目線だけで確認をすると、案の定というべきか眩いほどの金髪が目に入った。大翔の瞳には、嫉妬と怒りが入り交じった感情が宿っていた。
(嫌なところを見られたな……)
蓮は思わず眉をひそめた。
「——チッ」
「えっ?」
かすかな破裂音が聞こえた気がして、その音がした方向——凛々華を振り向いた。
「どうしたのかしら? 説明を続けてほしいのだけれど」
「えっ? あ、あぁ、悪い」
凛々華の表情は相変わらず涼しげなものだ。
舌打ちが聞こえた気がしたが、蓮の気のせいだろう。
彼女に気を取られているうちに、大翔からのプレッシャーは消えていた。
だが、そちらまで錯覚かと思うほど蓮は呑気ではなかった。
「で、ここは——」
面倒事にならなければいいなと思いつつ、蓮は説明を再開した。
「——とまあこんな感じだけど、どうだ?」
凛々華はメモを読み直し、うなずいた。
「えぇ。理解できたわ——あなたがひねくれた性格だということは」
「そっちかよ」
蓮が思わずツッコむと、彼女の頬が少しだけほころび、口元はほんのりと優しい曲線を描いた。
「っ——」
これまでの冷たい印象とはかけ離れた柔らかい微笑に、蓮は思わず息を呑んだ。
チラチラと盗み見ていたらしい英一も、呆然と固まってみるみる顔を赤くさせていた。
それを引き起こした張本人である凛々華は、何事もなかったかのように涼しげな表情でペンを走らせ始めた。
どうやらメモの清書をしているらしい。
自分の解法にそれだけの価値を感じてくれたのか、と蓮は少しだけ嬉しくなった。
数学が終わっても、蓮のテンションは緩やかに上昇を続けた。
大翔が蓮を気にしたそぶりを見せていなかったからだ。
しかし、それも凛々華が席を立つまでだった。
彼女が教室を出ていくのと同時に、大翔は肩をいからせて威圧するように大股で歩いてきた。
(……柊がいなくなるのを見計らっていたのか)
蓮の気分は急降下した。口元が引きつった。
遊園地のジェットコースターだってもうちょっと穏やかだろ、と現実逃避気味に天を仰いだ。
次の更新予定
2024年12月19日 12:01
私と仲間にならない? ——そう声をかけてきたのは、非モテ陰キャだと馬鹿にしてくる陽キャの幼馴染でした 桜 偉村 @71100117
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