第13話 真綿の時間

親の都合

 白水飛鳥を拘束した佐野がいなくなり、自殺教唆について何とかしろと指示された茉莉は途方に暮れた。


「えーと……とりあえず、やるしかない! 瑛人君、だっけ? やるよ、配信!」


 自分がやらなければ他にやる人がいない、ということに茉莉は奮起する。


「はい……ええと、エリカさん、でしたっけ?」


 茉莉の例の偽名を瑛人がそのまま覚えていたので、壮一が訂正する。


「さっきのは忘れて。この人は鳴海先生だよ」

「そっか。じゃあ、ナルミ先生。よろしくお願いします」


 壮一と瑛人に改めて頭を下げられて、茉莉はどこかくすぐったい気分になった。


「じゃあ、ちょっと何喋るか考えるから待ってて!」


 茉莉は鞄から手帳を取り出すと、机に座って何やら考え始めた。その間に瑛人は改めて、壮一に向き直った。


「さっきはごめんな。でも、お前がここから出て行けたことが俺は嬉しかったんだ。瞳さんも俺も、お前に会う資格がなかったから……」

「どういうことだ?」


 瑛人は小さく「救済師の儀」と呟いた。


「俺は瞳さんに元気になってほしかった。知らなかったとはいえ、俺は呑気に瞳さんを送り出してしまった。でも自分が送り出される立場になって、ものすごく残酷なことをしたんだって思った。だからもう、俺はお前に近づかないようにしようって思って……」

「待ってくれよ、なんだよ残酷なことって」

「とぼけてるわけじゃないよな? 救済師の儀って、宗源先生に抱かれることだぞ」


 瑛人にきっぱりと言い切られ、壮一は困惑した顔をする。配信の内容を考えていた茉莉も、ただならぬ話の内容に二人の方を向いた。


「いや、待ってくれよ。それならどうして、俺たちの母親はみんな救済師の儀を喜んだよ? 俺の母親は、首を長くして儀式の日を待ってたんだぞ?」


 壮一も壮一なりに儀式そのものに疑問を感じていた。しかし亜紀があまりにも儀式を受けることを喜ばしく思っていたので、その可能性を排除していた。


「俺たちの母親もみんな抱かれているからだよ、宗源先生に。本気であれがいいことだって思ってるんだ」


 壮一は亜紀が「儀式に立ち会っている」と言っていたことを思い出し、吐き気がこみ上げてきた。


「俺だってめちゃくちゃ嫌だったけど、逃げられなくて。それどころか俺の母さんにも、お前のお母さんにもみんなに取り囲まれて、よかったね、先生に気に入られてよかったね、よかったねって……」


 瑛人の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「だから、お前がここから出て行けて、俺と同じ思いをしなくていいって、もうそれだけでよかったのに、どうして戻ってきたんだって、悔しくて……ごめん。俺がもっとはっきり言えていれば、島村マナブだってこんなことに使われなくて済んだのに、本当にごめん」


 泣き崩れる瑛人を、思わず茉莉は抱きしめた。


「ごめんよ、壮一。俺がお前のこと、一番傷つけてた。一生懸命描いた絵だったのに、俺のせいで、こんな目に合わせちまってさ」


 泣きながら、瑛人は壮一に対してずっと詫びの言葉を口にし続けた。


「大丈夫、あなたは悪くない。悪くないの。悪いのはあなたを利用しようとした人たち。大丈夫、絶対大丈夫だからね」


 子供のように泣きじゃくる瑛人を前に、茉莉の心は大きく揺さぶられる。


「今が悪くても、絶対良くなるから。悪い大人も多いけど、いい大人もたくさんいるの。私は絶対いい大人になるから、諦めないで」


 茉莉は天使の家で育ってきた壮一と瑛人、そしてこの場にはいない瞳のことも思い浮かべる。壮一の話しぶりでは、子供を積極的に虐めるようなことはなかったと聞いている。しかし、茉莉にはこの一見優しい空間が牢獄のように感じた。


 親はよかれと思って子供に様々なことをする。天使の家に預けられた子供たちも、親とすれば幸せになってほしいと願われたに違いない。しかし、彼女たちが望んだ幸せは子供たちにとって不幸なことであった。子供たちは自由なようで、親の見せる世界の中でしか生きられない。


 ――どうすれば、皆が自由に幸せに暮らせるのだろう。


 ふと茉莉は、自身が受け持っている美奈子を思い出した。彼女は島村マナブに母子共々心酔していた。


「もしかして、白水飛鳥に感化された人も誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれないね」


 茉莉の何気ないひとことに、壮一が反応する。


「そうかもしれないですね……俺の場合は最初から誰が運営しているんだ疑っていたのであまり感じなかったんですけど、みんな自分の気持ちを勝手に島村マナブに重ねちゃったんだと思います。俺も、その気持ちはよくわかります」


 佐野はシキの能力のせいで、あれほど熱狂的に盛り上がったに違いないと断じていた。しかし、茉莉にはそれ以外にも要因があったのではないかと思い直す。


「……わかったよ、何を言えばいいのか」


 茉莉は手帳に言葉を連ねていく。伝えるべきことと、茉莉の正直な思い。きれい事と罵られても、時にはきれい事を言わなければやっていられないこともある。これはそういう仕事なのだと、茉莉は覚悟を決める。


 その間に瑛人は動画配信用の新しいアカウントを用意し、あちこちの掲示板やSNSに「島村マナブの新アカウント、本日正午から重大発表!」と誘導の書き込みを行った。いくつものサービスやアカウントを使いこなし、瑛人は同時に配信の準備も進めていく。


「あとはどれだけ食いついてくれるかなんだけど……」

「すごいな、いつの間にこれだけのこと出来るようになったんだ?」


 壮一の知っている瑛人は、スマホのアプリでキャラメイクするのが精一杯であった。


「独学だよ。あの人は配信で喋るだけ。俺はいていないようなもの」


 瑛人は寄せられる反応を次々チェックして回っていた。


「何が『誰も自分の話を聞いてくれない』だ。自分では何もしないくせに、俺のこと手足の延長くらいにこき使いやがって。多分あいつ、俺の名前も最後まで覚えなかったぞ」


 瑛人は数ヶ月白水飛鳥と配信を行っていたはずだったが、佐野が白水飛鳥に暴行を加えて連れ去っても何も言わなかった。壮一はそんな瑛人を少し不気味に感じていたが、二人の間に信頼関係が構築されていなかったのだろうと悲しい気持ちになった。


「なあ、またキャラ描いてくれないか? 今度はかわいい女の子で。俺もちょっとやってみたくなった、Vtuber」


 作業をしながら、瑛人は壮一に声をかけた。その声は壮一がよく知っている瑛人の声だった。


「……うん。受験、終わってからでいいか?」

「いつだっていいよ」


 壮一は画面の中で揺れる島村マナブを改めて見つめる。実は島村マナブが何者かによって動かされていることを知ってから、きちんと彼を見ていなかった。


「……ごめんね。俺の都合で生み出して、俺の都合で葬り去ることになって」


 壮一は画面の向こうで笑っているキャラクターに詫びた。この配信を最後に、もう島村マナブのアイコンは二度と使用しないことは決めていた。


「準備は出来た?」


 瑛人のばらまいた配信告知に多くの視聴者が集まってきているようだった。既にコメント欄には冷やかしの他に、何らかのスパムアカウントもやってきていた。


「それじゃあ、いくよ」


 正午になった。マイクの前に座って、茉莉は大きく深呼吸をした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る