五、まれびと①


 アメノ様は「捨ててしまいなさい」と言った。


「……捨てる、と申しますと?」

 村長様は頭をかいた。


 社殿につめかけた村人たちは、語り女の言葉を聞き漏らすまいと耳をそばだてている。


「だから、その男さ。可哀そうだけどね、下界に捨ててしまうのがいちばんだよ」

「そう申されましても……」

 村長様は言いよどむ。

「彼はまだ生きております。罪人なら、時には放逐の刑に処すこともあるでしょう。しかし、彼はまだ何もしておりません。ですから──」


「そうさ。その男は、まだ何もしていない」

 アメノ様は念を押すように言った。

「いまだに意識が戻らず、昏々と眠り続けているのだろう。ならば村長、あんたが胸を痛めることはないよ。彼はきっとね、もともと下界に落ちる運命だったのさ。ところが、たまたま一人の娘に拾われた。いっときだけ、この村に引っかかった。……あの男を捨てたとしても、村長、あんたの罪にはならんさ。彼の運命をもとの正しい道に戻してやるだけのこと」


 わたしは「違う!」と叫びたかった。

 苦しげに顔を歪めて眉をひくつかせる姿が、脳裏に焼き付いていた。

 たとえ眠っていても、彼は間違いなく生きている。


 だから、わたしは命がけで助けたのだ。


 アメノ様は立ち上がり、甲板に集まった村人に言った。

「みんなも先刻承知の通り、あたしらは村を移築しないといけない。樹液はもう一滴も採れないし、備蓄も決して余裕があるわけじゃない。ただ眠っているだけの男の面倒なんて見ていられないのさ。そうだろう?」


 反応はまちまちだった。

「そうだ、その通りだ」とうなずく人もいれば、「そうは言ってもなあ」と肩をすくめる人もいた。


 こらえ切れず、わたしは一歩前に出た。

「アメノ様!」

「おや、カガミかい。子供が口を挟むようなことではないよ」


「た、たしかに……わたしは子供かもしれない、です」

 緊張で喉がカラカラになる。

「でも……そ、それでも! 彼を助けたのはわたしです! だから、その……。彼をこれからどうするかは、わたしにも──」


「あんたに何ができるんだい、カガミ」

 低く、静かな声だった。

「あんたがあの男の面倒を見るのかい。昼夜を問わず付き添って、喉を詰まらせないように食べ物を流し込んで、床ずれしないように寝返りを打たせて、汗をふいてやるのかい」

「それは……や、やれるだけやってみます。わたしは──」

「だいたい、あの男の食い扶持をいったいどうやって稼ぐつもりだい。あんたの母上様は、亡くなった父上様のぶんまで働いてらっしゃるんだろう。カガミ、あんた一人でも母上様は大変な苦労をなさっているんだ。さらにもう一人分の苦労を上積みさせようとは、まったくあんたはいい娘さんだね」


 皮肉っぽく笑って、アメノ様は口を閉じた。

 わたしは何か言い返してやりたくて、だけど、怒りのあまり言葉が出てこなくて、ひたすら奥歯を噛み締めていた。


 わたしの肩に、お母さんがそっと手を置いた。

「いいのよ、カガミ。もう、そんなに意固地にならないで?」


 お母さんは悔しくないのだろうか?

 アメノ様から娘をバカにされて、死んだお父さんのことまでみんなの前で言いふらされて、どうして平気な顔をしていられるのだろう。


「あなたが優しい子に育ってくれて、お母さんは嬉しいわ。だからね、カガミ。そんな顔をしてはダメよ」


 お母さんの手を、わたしはふり払った。

「アメノ様は、ご覧になったんですか!」


「何をだい?」

「あの男の人です。アメノ様はもうあの人の姿を見たんですか」


 彼女は鼻から息を吐いた。

「いいや、見ていない」

 そして視線を上げて、格子戸の外に目を向けた。


 社殿のすぐ近くに、小さな箱家がぶら下がっている。

 彼は今、空き部屋になっていたあの箱家に寝かされている。

 村の女衆が交代で世話を焼いていた。


「見てしまったら情が移る。あんたのように彼をかばって、正しい判断が下せなくなる」


 村長様が口を開いた。

「アメノ様、あなたのおっしゃることはよく分かりました。彼の身を捨てたほうがいいというご意見も、大変ありがたく拝聴しました」

 頭を掻きながら村長様は続けた。

「しかし申し訳ありませんが、やはり私は気が進みませんなあ……。あなたとは違い、私はあの男を見てしまいました。布団に寝かせてやったのも私でございます。手を焼かされたのに、その苦労が無に帰すようで口惜しいというカガミの気持ちも分かるのです」


 そうかい、アメノ様はそっけなく答える。

「よし、それならウヅメに訊いてみようじゃないか」


 語り女の見習いになったばかりのウヅメは、アメノ様の後ろにちんまりと座っていた。

 急に声をかけられて、彼女は真っ青になる。

 頭がもげそうなほど激しく首をふって、「む、無理……」と言葉を詰まらせる。


「まったく情けないねえ」

 アメノ様は甘やかさない。

「あんたもこれからは語り女なんだ。あたしが風邪で伏せってるときは、あんたに代わりを務めてもらわないと困るんだよ。いいね?」


 今にも泣き出しそうな顔で、ウヅメは「はい」と言った。


「だったら、これしきのことで返答に窮しているようじゃダメだろう。ほら、あんたの意見を言ってごらん」


 わたしはまた文句を言ってやりたくなる。

 ウヅメを追いつめてどうするつもりだ。

 責めるようなことを言われるほど、あの子はうまく喋れなくなるのに……。


「わ、わたし――」


 ウヅメの口から、声が漏れた。

 集まった人たちは息を飲んで、次の一言を待つ。


「わたしは……は、早いと……思う。早すぎると思い、ます」


 彼を捨てるかどうか、判断を下すには早すぎる。

 ウヅメはそう言いたいのだろう。


「ふむ、一理あるね」とアメノ様。「時間が経つほど情が移って捨てづらくなる。だから、知らぬ間に答えを急いでいたかもしれないね」


 村長様がホッとしたような顔を浮かべた。

「そうですとも、アメノ様。村の移設に人手はいくらあっても足りません。彼が目を覚ましたら、ぜひ力を貸してもらおうじゃありませんか」


「役に立つ男であればいいがな」

 アメノ様は甲板の人々を見回した。

「いいかい、みんな。もしも目を覚ましたら、彼も村の一員だ。村のために働いてくれる限り、この村で面倒を見よう。けどね、近いうちに目を覚まさなければ──」


 わたしを見つめて、アメノ様は言った。

「やはり捨てるしかない。分かったね」

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