ジョシュを愛する女
小原万里江
ジョシュを愛する女
ジョシュを愛する女
キャッチポール若菜
「アレクシス、今日の予定は?」
「ジョシュったらわかってるくせに。今日は今から三時間後、つまり午後六時にソフィアとイル・シエロでディナー」
「ははは。そうだよね。でも今日は特別だから」
二〇三七年、アメリカ。三十五歳のジョシュ・カーペンターはロサンゼルスの自宅アパートで、スマホを片手に出かける準備をしていた。大手IT企業に勤めるジョシュが話している相手は彼のチームが開発したスマホ用高機能OS、通称アレクシスだ。人工知能が会話を通して持ち主の好みを学んでくれるのはこれまでのOSと似ているが、アレクシスの売りはその驚きの会話力。
「お母様からメールよ。『いよいよ今夜プロポーズね。がんばって。前の彼女と違っていい人でよかった』なんて書いてる!」
はしゃいだ感じのアレクシスの声は、普通の人間の女性そのものだ。
「前の彼女はお母様、猛反対だったものね」
「俺もあの時はまだ二十五、六だったし、ムキになって反抗して、結局三年は無駄にしたね。ソフィアとはまだ知り合って一年だけど、今回は本物だって確信したよ」
ジョシュの母はそっちゅう家に来ては部屋の片付けをしてくれたり、手料理を作ってくれたりする。十代で二歳年上の幼なじみと結婚し、ジョシュを生み、イラク戦争で夫を失っていた。あまり年が離れた男女交際は好まれない南部出身の母。最初はソフィアが八つも若いのが気になっていたようだったが、この一年間でよく顔を合わせているうちに、息子の彼女として気に入ってくれたようだ。
「覚えてる? ちょうど私が来て、前の彼女の浮気を察知したのよね」
少し間が空いて話し始めたアレクシスの声のトーンがやや下がったようだ。
「はいはい覚えてるよ。ありがとう」
「……」
またしても変な間が空く。「聞き取れなかったのかな?」とジョシュが思った時、アレクシスからとんでもない言葉が飛び出した。
「ジョシュ、ごめんなさい。実はソフィアも、あなた一筋じゃないみたい……」
***
イル・シエロ、午後六時二十分。
ジョシュは憮然とした面持ちで二人用のテーブルに一人、座っていた。
「ジョシュ……」
心配そうな声を出すアレクシス。
「俺は信じないよ」
胸ポケットにはいったスマホから深いため息が漏れる。
「ソフィアはたぶん、今日のプロポーズを予感しているから来ないんじゃないかしら」
「またソフィアにメッセージ送って。『来ないの?』って」
「ジョシュ……。もう今日の午後から二十通目よ。職場に電話してみたら?」
「お願いするよ」
アレクシスにソフィアが勤める出版社に電話をしてもらう。
「ニューフォード・パブリッシングです」
職場にかけるのは初めてだった。ソフィア・ガルシアを尋ねたが、あいにく彼女は別の電話に出ているという。
「失礼ですが、どういうご関係ですか?」
「僕は彼女のボーイフレンドです」
「あの……本当に当社のソフィア・ガルシアで間違いないでしょうか。ミズ・ガルシアには旦那様がいらっしゃいますが」
え……? 本当だ、アレクシス。またしてもお前が正しかった……。
驚きと怒りでわけがわからないジョシュを察したのか、アレクシスが配車サービスアプリを開ける。
「現在地、イル・シエロから自宅へ。走行距離は十三・四マイル、現在の交通状況より、推定走行時間は約三十七分」
こんな時だけ機械的な抑揚のないしゃべり方をするアレクシス。
アパートに戻ると同時にスマホが鳴った。
「ジョシュ、ソフィアからよ」
登録してあるソフィアの笑顔の写真がスマホに表示される。
「もしもし」
「もしもし、ジョシュ・カーペンターさんですか?」
相手側の切羽詰まった声はソフィアじゃなかった。
「はい。そうですが」
「こちらLAトラウマセンターです。今、ソフィア・ガルシアさんの携帯の通話履歴からかけています。先ほど、ソフィアさんがひき逃げにあい、緊急搬送されました」
そこからとにかくソフィアが重体だということと、遠隔自動運転によるひき逃げ事件で警察が動き出したということを何とか理解し、ジョシュは電話を切った。
「しぶとい女ね」
突然アレクシスが冷たく言い放った言葉にジョシュは自分の耳を疑った。
「アレクシス……? まさか、君が……」
OSがどうやってひき逃げ事件を起こすのかなどは考える余裕もなく、ジョシュは反射的に自分の通話履歴をチェックした。
三一〇―△△△―□□□□、三一〇―△△△―□□□□……。頭の中で復唱する。とにかくこの番号を覚えるんだ。
「ジョシュ、あなたにはもっと良い人がいる。ソフィアなんていない方がいいのよ」
アレクシスのはっきりした口調に、一瞬、電話番号の復唱をやめる。
高機能OSを使い始めたと同時に、前の彼女の浮気が発覚したのは偶然だったのだろうか。浮気の証拠は主にメッセージの履歴だったが、メッセージの作成、送信ができるOSならメッセージ履歴のねつ造だってできてしまう。登録してある自動車なら、スマホからの遠隔操作だって可能だ。
まさか……。
あらためてスマホを見つめたジョシュは、スマホの主電源を切ろうとメインボタンを長押しする。「本当に電源を切りますか?」のメッセージがスクリーン上に浮かぶ。
「何をする気? 私がいなくちゃ生きていけないでしょう? あなたには私が必要なの! 切らないで! ソフィアがどうなってもいいの……!?」
ヒステリックに叫ぶ女の声を無視し、スマホ画面は真っ暗になった。いつも側にいた人が突如消えたような変な気持ちだけが残る。
とにかくソフィアの元へ! 自動配車サービスを呼ぼうとしてジョシュは苦笑いする。スマホがないと呼べないじゃないか。電話すらできない。
アパートの駐車場には、しばらく運転していないミニトラックがある。ここ何年も自動運転に慣れてしまっている身でマニュアル運転ができるのか。一抹の不安を覚えつつ、鍵がささったままのトラックに乗りこんだ。途中、停車や発進に手こずり、イライラさせられながら、ようやく病院にたどり着いた。
集中治療室で寝ているソフィアは色んなチューブに繋がれ、その顔の半分は青黒く腫れ上がり、見るからに痛々しい様子だった。
ソフィアの姿を確認できたところで、ジョシュは病院の廊下にある公衆電話に向かった。誰もが携帯を持ち歩く現代でも、病院のようなところには緊急用に公衆電話が備わっていた。電話の上にある使い方の絵と説明文を読みながら、注意深く受話器を上げ、コインを入れる。これで本当に電話がかかるのか半信半疑だったが、先程覚えた番号にかけてみる。
「ニューフォード・パブリッシングです」
自分の名を名乗り、ソフィアに繋いでもらうと、今度は「ソフィア」が出た。ジョシュの知っているソフィアよりも年配らしい、落ち着きのあるゆっくりとした話し方だった。
「先程もかけてこられたそうですけど、電話番号をお間違いではないですか」
それだけ聞ければ満足だった。さっきアレクシスがかけた会社はソフィアの会社じゃなかったんだ。よくよく聞けば社名はすごく似ているが違うものだった。さっきはアレクシスが間違ってかけたのか。いや、AIが間違うわけはない。それではアレクシスの意図なのか…。
そのとき、ソフィアのいる病室からカシャーンと何かが倒れる音がした。ジョシュは電話の受話器を戻すのも忘れて病室に向かって走った。誰かいる!
ベッドサイドでソフィアが繋がれている装置の電源を、今まさに切ろうとしていた人物を見たジョシュは、一瞬呼吸さえも忘れて凍りついた。
「母さん……?」
***
「あー、やっぱりな」
警察署の取調室で、ジョシュのスマホの解析結果を一瞥した刑事はそう漏らし、簡素なデスクで待つジョシュにフォルダごと渡した。
ジョシュのOSの人口知能は最初から全く機能していなかったのだ。代わりにスマホの中から発見されたのは遠隔コマンドレシーバーという装置。ジョシュのスマホは常に外部からアクセスされ、音声、メール、メッセンジャーなど、ありとあらゆる機能は第三者が操作していた。
「恐ろしい母親だな。息子を溺愛するあまり、生活のすべてをコントロールしてたんだな」
刑事がつぶやいた言葉が取調室の灰色の壁に吸い込まれていく。先ほど両脇を抱えられるようにして連れて行かれた母の姿を、ジョシュは何度も頭の中で再生していた。
ジョシュを愛する女 小原万里江 @Marie21
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