たわいもない小話

すごろくひろ

第1話 カフェで嗜むのは何者か?

 今から十年くらい前の話だと思う。家だと集中できないという理由で、喫茶店やカフェで仕事や打ち合わせ、受験や宿題などの勉強をするといった民が、この頃から増えたような気がする。

 そもそも喫茶店やらカフェというのは、コーヒーやら軽食やらを嗜みながら、現実からちょっとだけ隔離して、ゆったりした時間を楽しむべき場所なのである。そういった邪道は許されるはずがない。この雰囲気の中に現実を想起させるものを持ち込むのは許されない。と思っていたのだが……。

 なぜ、今そのような話をしているかというと、同僚の和田くんとこれから喫茶店で、打ち合わせなのである。たまには気分を変えてということで、行きつけの喫茶店を選んだらしい。

「関さん、お疲れ様です」

「それじゃ、始めますか」


 *


「それでは、これで以上だな」

「今日は早いですね、三十分で終わりましたよ。」

「ほう」

 ふと手許の腕時計を見ると、確かに時間は三十分しか経っていなかった。これは驚いた。いつもであれば、一、二時間は下らないというのに。

「たまにはこういうのもいいでしょう」

 和田くんはそう言って席を立ち、コーヒーをお代わりしに行った。やれやれと思いながら、私はふと辺りを見渡した。空席がちらほら目立つ様子ではあるが、コーヒーやパフェを嗜む者もいれば、アイスコーヒーをちまちま啜りながらひたすらパソコンに向かって作業している者もいる。昔は、ジャズのBGMが流れる中で、ゆったりとカウンター席でコーヒーを嗜んでいたものだが……。

「たまにはいいでしょ。こういうのも」

 同僚がコーヒーを持って戻ってきた。それも二杯。

「二杯も飲むつもりか? 」

「もう一杯は、関さんの分ですよ」

 和田くんが貰ってきてしまったので、ありがたくコーヒーは頂戴することにした。

「あまり喫茶店では、迷惑をかけるようなことはしたくないのだがな」

「最近は流行っているらしいですよ。『リモートワーク』ってやつ」

 そういって、和田くんはノートパソコンを取り出してメールを送った。

「会社に戻ってやればいいだろうに」

「今できることは早いうちに済ませておきたくてですね。すみません、今資料送りましたんで」

そう言って和田くんは用を済ませて、ノートパソコンをすぐにしまった。

「和田くんは、日頃からこの喫茶店でこんな風にしているんかい?」

「ちょっとした作業はここでやったりしますね」

私は少し訝しんだ。その表情が伝わってしまったのか、和田くんは慌てながら続けてこう言った。

「もちろん会社のことはしないですよ。情報漏洩は怖いですからね。あくまで趣味での話です」

そうか。と私は返すことしかできなかった。

「コーヒー飲むことは多いですけど、ちょっとした雑音……といったら失礼ですかね。でもそのお陰で集中できるというか」

「そういうもんかね……」

私は次の約束の時間があったので、この話を切り上げることにした。そして私は和田くんと一緒に職場へ戻ったのだった。



 週末になり、私は家の近くにある喫茶店を訪ねた。古い友人がここで経営しているのだ。いつもなら、彼の淹れたコーヒーを嗜んでジャズに聴き入るのだが……。今回は、どうしても間に合わない原稿があって、ノートパソコンを持ってきたのだ。

「いらっしゃい」

「いつもの頼むよ」

私は彼にコーヒーを注文した後、ノートパソコンを開いた。今回の原稿は「『消えゆく喫茶店』と『生まれるカフェチェーン』」というテーマだ。いつもなら自宅や職場で原稿を書いては、頭を抱えて筆が進まない状態が繰り返されるのだが、今回は違った。なぜか筆が進んでいた。

「はい、いつもの」

彼がコーヒーを持ってきた。私は例を言って、コーヒーを一口啜る。いつもより少し苦いような気がした。ふと画面に目を向けると、いつもよりも倍以上のスピードで書き上げていた。完成まであと一息のところだった。

「関さん珍しいね、パソコンなんか持ってきちゃって」

マスターが不思議そうに声をかけた。

「同僚が最近、カフェとかでこういったのやってるみたいでね。迷惑かけるし気は引けるのだが……、間に合わなくてな……」

「まあ、人がいないよりかはいいさ」

そう言って、彼はカウンターに戻って行った。私は彼に申し訳ないと思いながらも、引き続き編集作業を行う。今度は彼のコーヒーを少しずつ口にしながら。

 一杯飲み終えたと同時に、原稿も仕上げることができた。肩の力が抜け、パソコンの画面左下を見ると、なんと来店時間より一時間ほど経っていたことに気づいた。私は驚いた。いつもは半日以上かかるこの作業が、場所が変わるだけでこんなに効率が変わっていくことに。しかし、たった一杯のためだけに一時間も居座ってしまったことに恥ずかしさも覚えたのも事実だった。

「おかわりいるかい?」

私はゆっくり頷き、マスターのお言葉に甘えて、コーヒーをもう一杯もらうことにした。

「でも寂しいねえ。若い人たちも来てくれて飲んでくれるのは嬉しいが、私とお客さんとの関わりがなくなっちゃうなあと思って」

「すまんな。次は持ってこないから」

マスターは首を横に振ってこう続けた。

「いいさ。世の中が変わっていく中で、ここが廃れずにいるのが嬉しいもんさ。意外とそういう人でもコーヒー美味しいって言ってくれるし、リピーターもついてるしね」



「ごちそうさま」

「またいらしてくださいね」

マスターの言葉を背に、私は喫茶店を出て行った。


 その後、私の原稿は修正点がほとんどなく、そのまま掲載されることとなった。またこの記事が好評を呼んでいるという。いつもと違う場所、しかも喫茶店で作業する効果は偉大だったことに気づかされた。しかし、それを思い入れの場所でやってしまったのは少しばかり反省した。

 しばらくはこの件がやはり恥ずかしくて友人の店には行けなかったが、この度、取材旅行の土産を妻を経由して頼まれてしまったため、彼の店に行くときはまた、ただコーヒーとジャズを嗜む客として伺おうと思った次第だった。

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