辰斬り嵐兵衛

加藤 航

序 辰斬り嵐兵衛

 春。月を雲が覆い隠した夜だ。

 皇都こうとから南にいくらか離れた里山の竜神社。今、その境内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 半ば崩れかかった大きな社殿を取り囲むのは十数名の竜術士たちだ。皆一様に固唾を飲んで社殿を見つめている。篝火に照らされる表情は険しい。しかし、誰一人として踏み込もうとする者はいなかった。


 焚かれた火の音だけが響く境内に、突如として草履の足音が紛れ込んだ。竜術士たちは背後の石段を振り返る。やがて、石段を登り切った一人の男が境内へと足を踏み入れてきた。

 男が手に持った提灯の光に照らされ、その容姿が明らかになる。

 ほつれ糸の目立つえんじ色の甚平を身にまとい、髪は赤く染められていた。ただし、その染め方は非常に雑なものであり黒い箇所が多分に紛れている。さらに好き放題に跳ねた毛先が田んぼに紛れたヒエのように飛び出していた。

 無精な印象の多い出で立ちながら、その腕と脚は引き締まっており、極めて鍛え上げられていることが一目で分かる。

 しかし、何よりも目立つのは男が背負っている得物だ。

 男はかなりの長身だったが、それに匹敵するほどの大鉈である。それを地に擦らないよう頑丈な革紐で斜めに縛り背負っていた。分厚く、それでいて鋭い凶器が篝火の明かりを受けて鈍く光っている。


 赤毛の男はゆったりとした足取りで竜術士の一人に近寄ると、その顔を見下ろしながら話しかけた。

「よお、何してんだ? 入らねえのか?」

「お前も竜術士か?」

「まあな。で、入らねえの?」

「今は、応援を待っているところだ。報告では大型の物の怪が紛れ込んだとのことだったが、どうやらここの竜神様が屍竜しりゅう化してしまったみたいでな。となれば、この人数では心許ない」

「へえ、そりゃ良かった」

「は?」

 唖然とする竜術士を無視して、男はそのまま社殿へと歩みを進める。

「ちょっと待て! 聞こえなかったのか? 応援を待つんだ!」

「はあ? 折角強い獲物がいるんだぞ。大人数でタコ殴りにして何が面白いんだよ。俺が一人で倒してくるから邪魔すんな。後から来る奴らにもそう言っとけ」

「お、面白い? あんた何を――」

 信じがたいことを言い残してさっさと進んでゆく赤毛の男。竜術士が非難の声を上げようとするが、それを横で見ていた別の竜術士がそれを遮った。

「待て。あの大鉈に、粗暴な出で立ち。聞いたことがある。多分あいつは嵐兵衛らんべえだ」

「それって、有名な辰斬たつきりの……?」

「ああ。上の指示は全然聞かず、強敵がいると聞けばふらっと現れて好き勝手に暴れ、終わればさっさと消える。ただし、滅茶苦茶強いとは聞いてる。恐らく応援はもういらないだろう」

「初めて見たぞ」

「俺もだ。強い相手以外には興味がねえって聞くからな」

 単身で敵の潜む社殿へ向かう嵐兵衛を、二人の竜術士は黙って見送った。


     *


 破損した扉をくぐり抜けて、暗い社殿へと足を踏み入れる。広い社殿は荒れ果てていた。竜術士たちが言っていた先客が暴れた後なのだろう。

「ったく、何が嵐兵衛だ。勝手に変な渾名つけやがって。俺の名前は陣太だっての」

 嵐兵衛と呼ばれた男、大倉陣太おおくらじんたは背後をチラリと見ながら独りごちる。陣太が竜術士になってから好き勝手に仕事をしてきたのは言われたとおりだ。今ではいつの間にか付けられた渾名の方が有名で、陣太の名前を正確に呼ぶ者は非常に少ない。

「まあ、どうでもいいか」

 とにかく強い敵と戦えるならそれでいい。陣太の興味はそれだけだった。

 提灯を手に暗がりの中へ歩みを進めると、前方に巨大な狸が現れた。外の竜術士が言っていた物の怪とはこいつのことだろうか。ただし、その大狸は既に息絶えているようだった。大きく開いた口からは舌が力なく垂れて、虚しく唾液を滴らせていた。

 大狸の横っ腹には巨大な穴が空いており、へし折られた骨と破られた内臓が晒されている。凄まじい一撃で仕留められたようだ。この大狸も決して弱い物の怪ではなかっただろう。これを成したのはかなりの大物だ。

 その傷には見逃せない特徴が一つあった。傷を付けられて間もないはずなのに、既に目に見えて分かるほどの強い腐敗が見られることだ。

「屍竜がやった傷だな。こいつは楽しみだ」

 大狸の死骸から強敵の気配を感じて、陣太はほくそ笑む。

「た、たすけて……」

 足下から微かな声が聞こえ、陣太は提灯を下げる。息絶えた大狸の陰に隠れるようにして、一人の少年が陣太を見上げていた。十四か十五ほどだろうか。

 陣太は少年を見下ろして声をかける。

「何してんだこんなとこで」

「物の怪が出たって聞いて、肝試しをしに遊びに来たんだ。そしたら巻き込まれちゃって。僕だけはぐれて……」

 大きな都の近くで強い物の怪が出ることは珍しい。この少年も興味本位で遊びに来たと思われた。物の怪に触れる機会が少ない子供は恐れ知らずで、危ない目に自ら首を突っ込むことも多い。

「そうか。んじゃ、次は俺が遊ぶ番だからよ。お前はさっさと帰りな」

「う、うん。ありがとう」

 少年が社殿から出て行くのを見送ってから、陣太は背の大鉈に手を掛けた。

「さて、これで存分に暴れられるな」

 陣太は心を昂ぶらせ、大鉈に込められている竜気を励起する。刃が熱を持ち、緑に輝き始める。すると、呼応するかのように社殿が微かに揺れ始めた。崩れた社殿の最奥から禍々しい死の気配が滲み出てくるのを感じる。屍竜だ。

 陣太は提灯を放り捨てる。


「来やがれ!」

 

 陣太が叫び、大鉈を両手に構える。同時に夜の静寂を吹き飛ばす咆哮が響いた。瓦礫を吹き飛ばして敵がその姿を現わす。

 風が吹く。上空の分厚い雲が流されて明るい月が地上を照らすと、その姿が鮮明に浮かび上がった。


 分厚い鱗と鋭い鉤爪。鞭のようにしなる髭。硬く長大な角。そして、河のようにしなやかで長い体。社殿を突き破って力強く空へ昇る姿は、国民全ての信仰の対象であり国土の守護たる竜神だ。しかし、この竜神はもはや民を守りはしないだろう。

 竜の全身には禍々しく黒いモヤがまとわりついていた。それは体をくねらせ空を泳ぐ度に尾を引いてゆく。さらに、かつては美しかったであろう鱗も艶を失い、全身は腐敗の気配が見られる。神性と理知を秘めていたはずの瞳は濁りきり、いまは鈍く凶暴な赤い光を放つばかりだ。


 これは屍竜。死の穢れに侵された竜神の成れの果て。屍竜には理性も誇りも無い。ただ、有り余る莫大な神力を破壊と殺戮へ向けるだけの存在だ。

「すぐ楽にしてやる」

 月を背景に、屍竜が急降下をし始めた。腐敗した顎を大きく開き、陣太を食らわんと迫り来る。

 陣太はそれを迎え撃つように跳躍。そして頭部とのすれ違いざま、下段に構えた大鉈を振り上げながら竜気を解放した。

 荒々しい鉈の大ぶりとは裏腹に、美しい翠の輝きが夜空に閃く。竜気が風の刃を巻き起こし、屍竜の体を引き裂いた。苦痛に満ちた咆哮が木霊し、境内にいた竜術士たちを震え上がらせる。

 屍竜はまだ力尽きていない。屍竜を見下ろしながら、陣太は空中で大きく鉈を振りかぶった。今度は屍竜が下で陣太を待ち受ける。先程の一撃で髭は断たれ、頭部は傷だらけだった。

 屍竜は陣太を見上げ、再び空へと昇り来る。一方の陣太は落下の勢いを乗せたまま鉈を振り下ろす。

 両者が空中で激しく激突した。硬い角と鋭い大鉈が切り結び、地表に届くほどの衝撃が広がってゆく。呆然と戦いを見ていた地上の竜術士たちが慄いて小さく悲鳴を漏らす。

「終わりだ!」

 陣太の大鉈が競り勝った。輝く風を纏った刃が角を打ち砕き、とうとう屍竜の頭部を斬り砕いた。

 断末魔の吠え声を残し、屍竜の体が崩れてゆく。黒い塵となった屍竜は月の光を受けながら空気に溶け、やがて完全に消滅した。


 屍竜の最期を見届けた陣太は、大鉈を背負い直して歩き出した。境内では待機していた竜術士たちが畏れとも驚きともつかない表情で後ずさり、陣太の進む道を空ける。

 それら全てに構わず陣太が石段へ差し掛かると、遅れてやってきた応援部隊が最下段から陣太を見上げていた。

「おう、遅かったな。もう遊び終わっちまった」

 困惑して見上げてくる竜術士たちを見下ろしながら、陣太は満足げに笑った。

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