痴漢に遭遇した日。

 運悪く事故チューしてしまった廉とまどか(小森)。

 どちにも非はなく、本当に運が悪いとしか言いようがない。


 けれど、痴漢から助けて貰ったにもかかわらず、未だに御礼の一言もないうえ、あの日、見事にテクニカルヒットと言わんばかりのビンタを喰らった廉。


 キスしてしまった気まずさもあり腹立たしいけれど、一億歩譲って無かったことにしようと忘れることにした廉は、小森が直ぐ後ろの席だということも承知のうえで、あえて無視し続けていた。


 まともに会話したのは、あの日だけ。

 席が前後であっても、お互いに存在すら消し去る勢いの雰囲気を醸し出している。



 何があんなにも夢中にさせるのか。

 真剣な表情でピアノを弾き続ける小森に、廉は目を奪われる。


 よほどピアノが好きなのか。

 何かのコンクールにでも出る予定なのか。

 俺にはあんな風に何かに打ち込めるものが、何も無い。

 生まれてこのかた、夢中になったものが1つも無いのだ。


 数分見入っていた、その時。弾き間違えた小森の手が止まった。


 クラス委員として常にリーダーシップを取っている小森。

 ムードメーカーとでも言うのか、いつも明るく振る舞っていて、面倒くさいことを率先して行う。

 根が真面目なのか、馬鹿すぎるほどのお人好しなのか。


 あの日、痴漢に襲われて恐怖で怯えたあいつを初めて目にして、こいつも普通の女子高生なんだと思った。

 そしてたった今、苦手な旋律箇所に苦しみ、いつもの明るく元気な姿からは想像出来ないほど、焦る姿が廉の目に新鮮に映った。


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