第4話 お仕事は幼い子供の教育係?
「なんですって? 学園をやめて働きたいですって?」
学園長室に響く声は、普段の落ち着いた威厳とは異なり、驚きに満ちていた。広い部屋の隅々まで届くその声を聞いて、プリムローズは小さく肩をすくめた。
彼女の前には、王立貴族学園のエリザベス・ルドマン学園長が立っている。エリザベスはルドマン侯爵家の当主であり、王家からこの学園を任されている教養高い女性である。領地経営においても隙のない手腕を発揮し、豊かな収穫と安定した統治を実現しており、その力量から学園の運営も安心して任されるほど、王家からの信頼は絶大だった。
その眼鏡越しの視線は、いつも穏やかな中にも確かな威厳を宿していたが、今は明らかに困惑していた。
「えぇ」
プリムローズは視線を落としながら答える。
「使用人たちに家財道具や金品を持ち逃げされてしまい、今では自由に使えるお金が1リラ(1リラ=1円)すらありません。そればかりか、爵位も伯父に譲らざるを得なくなるほど追い詰められました。学園長、どうか私に働き口を紹介していただけませんか? 私は自力でこの状況を切り抜け、生きていきたいのです」
学園長は重々しく溜息をつくと、深く椅子に座り直した。少し乱れたスカートの裾を整えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「プリムローズ様はどの授業でも実に優秀でした。卒業を待たずに学園をやめるなんて……とても残念なことです。お金のことなら、卒業してから少しずつ返済してくれれば良いのですよ。王立貴族学園を卒業しないなんてもったいないでしょう? あと半年で卒業ではありませんか?」
しかし、プリムローズは静かに首を横に振る。
「わずか
学園長は腕を組み、考え込むように天井を見上げた。長い沈黙が流れる。やがて彼女は、何かを決心したように顔を上げた。
「わかりました。ただし、とりあえずは退学ではなく休学扱いとしておきます。人生はなにが起こるかわかりませんからね。……ところで、プリムローズ。子供は好きかしら?」
突然の問いかけに、プリムローズは戸惑った。
実のところ、彼女は子供が苦手だった。一人っ子として育った彼女は幼い子供に接する機会がほとんどなく、たまに友人の妹や弟と触れ合う程度だった。その際も、理由もなく泣き叫ぶ姿に辟易した記憶が多い。
――なんて、落ち着きのない泣いてばかりの子たちなのかしら。私に妹や弟がいなくてほんとうに良かった。
そんなふうに思うことさえあったのだ。しかし、貴族の令嬢として振る舞うべき立場の彼女は、正直に答えるわけにはいかなかった。
「子供は……好きですわ」
プリムローズは少し考えてから答えた。
「私には妹や弟がいませんでしたが、とても残念に思っておりました」
つい心にもないことを言ってしまう。すると、学園長は満面の笑みを浮かべ、手を叩いて喜んだ。
「たった今、あなたのお仕事先が決まりましたよ。小さな男の子たちの教育係です! 私の甥っ子たちの面倒を見てちょうだい。私には年の離れた弟がいます。名前はアルバータス・ルドマン。双子の男の子の父親よ。ルドマン大商会の会長です」
プリムローズの目が驚きに見開かれる。
「ルドマン大商会……? 港や運河の整備、街道の管理などで莫大な富を築いた若き成功者のアルバータス・ルドマン様ですか? 確か、彼には五歳になる双子がいらっしゃると聞いています……経済新聞では、アルバータス様の名前が書かれていない日がありませんもの」
学園長は頷きながら微笑んだ。
「そう、最近の新聞はプライベートな家族構成まで書くんですよね。アルバータスの奥方は子供を生んですぐに亡くなりました。それ以来、弟は仕事人間になったわ。なにしろ、とても愛妻家でしたからね。甥っ子たちはその愛妻にそっくりなのよ。それを見るのが苦痛なのか、子供たちにはまるで関心がないのです。……とにかく、あの子たちは可哀想なのよ。それで、すっかり悪戯っ子に……でも、子供好きなら問題ないでしょう。期待していますよ」
――ん? なにか不穏な言葉を聞いた気がするけれど……ここは、聞かなかったことにしたほうが良さそうね。
プリムローズは心の中で首を傾げたが、すぐに学園長の朗らかな笑顔に気圧され、何も言えなくなる。
――幼い男の子たちの教育係なんて、私にできるのかしら? 女の子だったら、まだ遊び方とか接し方がわかる気がするけれど。男の子なんて想像もできないわ……
そう思いながらも、プリムローズはエリザベスの言葉に逆らえなかったし、やるしかないと思っていた。頼る人は誰もいないのだし、伯父夫妻よりはよほど学園長のほうが信頼できた。
「学園長、ありがとうございます。私、精一杯頑張ることを誓いますわ。アルバータス様に気に入られるといいのですが」
「あら、もうプリムローズは採用決定ですよ。弟は甥っ子を放っておいて仕事ばかりしているのよ。乳母も雇わないで好き勝手放題させています。教養の高い理想的な教育係を手配するつもりでしたが、プリムローズはうってつけですよ」
翌朝、プリムローズはかなりの不安を抱え、ルドマン大商会の若き会長が住む大きなお屋敷へと向かったのだった。そこには――
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