第2章 与麻乃実のこと


 第2章「与麻乃実のこと」


 目を開けると、相変わらずそこは見慣れた白い天井だった。

 わたしは気だるげな体を起こすと枕元の時計を見る。

 …随分眠っていたようだ、時刻は午後十時を示していた。

 「………だる」

 わたし、与 麻乃実(あたえ まのみ)は入院患者である。入院理由は医者からも親からも説明されていないけれど、退院の目処が立たないようなものであるのは空気感から察した。

 恐らく、重篤な病気。怪我。

 …しかし妙なことにどういう経緯で自分が入院することになったのかはいまいちよく思い出せない。急に倒れたとか、事故に遭ったとか、そういった経緯にしてももう少し何か憶えていてもいいものだけど、完全に記憶から抜け落ちている。

 覚えている最後のことは、目が覚めたらこの病室にいて、何もすることないし体もだるいから二度寝したことくらい。

 「………」

 わたしは改めて病室を見渡す。

 なんてことない普通の病院の個室だ。白い壁と天井、ベッドに椅子。

 枕元から点滴のチューブが伸びている。

 至って標準的な病室。

 続いて自分の体を確認する。入院するに値する痛みや怪我などがあってもおかしくない。

 手、足、腹部、背中、胸の順に確認するがどこにも異常はない。痛みもない。少し怖いけど頭部、顔…よかった、異常なさそうである。

 「…よかった」

 自分の頭を撫でて確認しつつ小さく呟いた。


 …しかし、静かである。

 静かだし、誰も来ない。

 病室には何一つ物音がない、完全なる無音。点滴の液が滴る音でも聞こえてきそうなくらいに聞くことに意識を集中してみても何も聞こえない。

 そんな、無音。

 「あー…」

 何となく声を出してみたり…すぐに無音に飲み込まれた。

 最初にこの病室で目を覚ました時には、枕元に両親がいた。…もとい、わたしが眠くてそのまま二度寝してしまったので何も話してはいないのだけど、すぐに退院できなさそうな空気感を放っていたのでそれだけ覚えている。

 しかし、病院ならもう少し何か音がするものではないだろうか。

 廊下を行きかう音だったり、器具の立てる音だったり。

 そもそも誰も病室に来ないなんてことがあるだろうか。

 点滴の薬液はまだまだ残量多そうだけど…わたしは何となく気になったのでナースコールを押してみた。

 点滅し、恐らくナースステーションに連絡が行っただろう。

 ここでまた急に眠気が来た。…凄まじく暴力的な眠気で意識があっという間に刈り取られそうだ。

 「…なにこれ」

 わた



 目が覚めると、またしても変わらぬ天井だった。

 だろうとは思っていたけど。

 周囲を見渡す…うん、何も変わっていない。変わらず無音。

 鈍感なわたしでも流石にこの状況を妙に感じてきた。

 誰も来ない、ひたすら無音の病室。

 急に来る強い眠気の繰り返し。

 たまたま、本当にたまたま誰かの来たタイミングでわたしが寝てることだってあるだろうけど、それにしても両親以降誰の顔も見ていない。

 …そんなことが、あるだろうか。

 わたしはベッドから身を起こすと、点滴に注意しながらベッドを降りた。

 特に意味もなく病室を歩き待ってみる。

 窓から見る外は暗い。時計を見上げると午前零時を差していた。

 煌々と明かりが灯る蛍光灯、真っ白な壁、床。

 意味もなくスクワットしてみたが…すぐに疲れが来て止めた。

 …なるほど、眠気とか疲労感は感じられるようだ。軽く腕をつねってみると痛みが走った。これも正常。

 ここでわたしはもしやと閃いた。

 人に感染させるような病気とかの可能性は?

 それならば人が来なかったり急激に眠気に襲われるのも何となくわかる。

 「あー!」

 …自分の声も普通に聞こえる。聞こえるけど、なんとなく遠くで鳴っているような妙な感覚がした。

 ここでま


 

 訂正しよう。

 ただ事ではない何かが起きている。

 状況を簡潔にまとめると、わたしはこの病室に閉じ込められていて、どこかに行こうにも意識が途切れてしまう。…先ほどは病室の扉を開けて外に行こうとしただけだった。

 もう三回は繰り返しただろう、起きてすぐ身を起こして病室の出入り口に走るけれど、その都度意識が刈り取られていく。

 わたしはこの病室に、閉じ込められている。

 その事実を認めざるを得ない。

 「なんなのこれ…どうすればいいの?」

 外を見やると、もう空が白み始めていた。時刻は午前五時。

 しかし、きっと朝になっても状況は何も変わらないのだろう、漠然とそんな感覚があった。

 「…助けてよ…!」

 小さく吐いた弱音もすぐさま病室の沈黙に飲まれて消えていく。


 「お困りのようね」


 そんな時だった。

 彼女は、病室の扉を開け放って現れた。

 艶めく黒髪、整った表情、モデルのような体形。

 学生服が全く似合っていないおねぇさんが、そこに立っていた。

 「…誰、ですか?」

 わたしは流れそうになっていた涙を必死で引っ込めた。

 「私の名前は参月綾音。親しい人はあやねんなんて呼ぶけれど、あなたは初めましてだから参月さんとでも呼んでね。

 あなたのお名前は?」

 「わたしは、与麻乃実です」

 「なるほどマノミちゃん。

 あなた、もうどこまでわかってる?」

 どういうことだろうか。あぁ、今起こっているこの病室の謎についてだろう…どうしてこのおねぇさん、ミツキさんがそこら辺を把握しているのかはわからないけれど、…彼女の雰囲気には安心感があった。

 そうでなくても久し振りに人と話した気がする。

 わたしは事の経緯をすべて説明した。彼女がなにか解決してくれるかもしれない、そんな一縷の望みにかけて。

 必死に話していたものだからすっかり忘れていた。

 「だからわた



 目が覚めると…、ミツキおねぇさんが覗き込んでいた。

 美人は美人だけど挙動がちょっと怖い。

 「なるほどね、状況は理解したわ」

 彼女はそう言うと、

 「ねぇ、驚かないで聞いて欲しいんだけれど、まず何よりの大前提で聞いておいて欲しい話があるのね」

 「はい…なんですか」

 それは。

 ある意味、一番大事だけど、一番聞きたくなかったこと。

 「マノミちゃん、あなた死んでいるの」

 言葉が出なかった。彼女は続ける。

 「死んで、死んだこの病室を離れられなくなってる。要するに地縛霊になりかけてるってところね。

 でもあなた自身がそもそも自分が死んでいるってことを認識していないから意識が途切れたりしてるってわけ」

 「…死んでる…って」

 ようやくそれだけ絞り出した。

 「そう、死んでるの。そもそももうこの病院自体が数年前に廃院になってしまっているしね。…最近妙な事起こりがちだなって思ってたけれど、消えていた意識が急にまた復活するなんてこともあるみたいね。

 死んだ時にあなたの意識は確かにそのまま消えたけれど、ここしばらく続く異常事態でひょんなことから戻ってきてしまった…ってところかしら」

 「待って、待ってくださいよ!」

 何?と彼女は特に気にした風もなく言った。

 「記憶も感覚もあるのに死んでるだなんていわれたって意味わかんないですよ!」

 「記憶って、ずっと昔のことまで思い出せるの?

 精々死ぬ前とか直前くらいまでじゃない?感覚もあるっていうけれど、それはあなたが体験してきた痛みとかを想像で補填しているに過ぎないの」

 そんなの…そんなの詭弁だ。

 だけど、思い当たる節が多すぎて言い返せない。

 「ねぇ、マノミちゃん。よかったら私と来ない?」

 「はぁ…」

 情報がジェットコースターのようでついていけない。

 「実はね、友人に幽霊を友達にして連れて来いって言われててね。お友達を探しているところだったのよ。あなたならぴったりだわ」

 ここまででよくわかったことがある。

 わたしが死んでいる…死んでいるのならば、そのわたしにこうしていたって普通に接してくる彼女は異常だ。

 変人だ。

 だけど、今この状況では、その変人しか私を救い上げてくれる人はいなさそうだ。

 ミツキアヤネ。

 朝日に彼女の髪が艶めいた。

 「よろしくね、マノミちゃん」

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