沈む空、浮かぶ月
犬蓼
第1章 参月綾音のこと
伝奇。
現実には起こりえなさそうなこと。
数奇とは違う、起こりえない現実。
…その恋は数奇にして伝奇的だったと、今ならば言える。
僕と彼女、参月綾音とのこと。
沈む空、浮かぶ月
第1章「参月綾音のこと」
参月綾音(みつきあやね)は一言で言うなら変人である。
いや、こんな言い方をしてしまうと些か語弊があるかもしれないので若干訂正すると、参月綾音はド変人である。
変人。
一風変わった人や変わり者のことだが、彼女のそれは一風どころか三風くらいはズレていたと言っても過言ではない。
「何かすごくさっきから失礼なこと考えられているような気がするんだけれど、空さん?」
山瀬空(やませそら)、僕の名前である。
そんなことないよと、僕は首を振る。
「そう?この変人みたいな目で見ているような気がして…」
めちゃくちゃ勘が鋭い。
「ま、違うんならいいけれど」
参月はスカートを翻すと颯爽と歩いていく。…まだ今日の目的地も告げていないが、もうまるで分っているかのようにその足取りに迷いはない。
僕こと山瀬空が、こんな参月綾音と行動を共にしているのには理由がある。
俄かには信じがたい話だが、彼女は人の死期を見られる人間なのである。
死期。
「死にそうな人間は炎みたいなものが小さく見える、なんていう小説にでもありそうな命の灯が見えるの。私だってそうね、最初は冗談なんじゃないかと思ったものだけれど、皆に同じように見えるのだからもうそういうものなのだと信じるしかないでしょう?」
…と、言う事らしい。
「ちなみに空さん、あなた大分炎小さいけれど、死にそうなのかしら?」
ただし、炎の大きさで命の寡多を推察するのみで詳細まではわからないらしいけれど。
死にそうならこんなところにいないよ、とだけ返しておく。
「それもそうね」
町外れの廃病院。
僕たちはその前に立っていた。時刻は深夜一時。
持ってきた懐中電灯の明かりがなんとも頼りない。
「それで、今日の目的はどんなもの?」
目的地に着いてから聞いてくるのも妙な話ではあるが、そもそも目的地について説明もしていないのに勝手に歩き出して勝手に到着したのは彼女の方なのだ。目的などこちらの方こそ説明してほしいくらいだ。
勘…もとい直感が鋭い。
一々説明しなくてもおおよそ察してくれて、そのどれも九割九分当たっている。これも参月綾音の変わっているところ。まるで心を読んでいるかのように。
「…大方、この病院、出る…ってところかしら」
噂に過ぎないが、そう言う事である。
廃病院…元は山村病院と言って小さな個人病院だったが、数年前に院長が倒れて亡くなり、以降は取り壊されることもせずただ佇んでいる。
今回そんな廃病院にわざわざこんな深夜に足を運んだのは、参月綾音の『変わってるところ』を確認するために他ならない。
曰く、彼女は幽霊と話せるらしい。
「疑っているようで悪いけれど、きっと普通に話せるわよ」
それは…試してみないとわからない、多分。
錆びた門扉を押し開けると低く軋んだ。
僕が参月綾音を試しているのは、今に始まった話ではない。
彼女は最初からクラスで浮いていた。
艶めき流れる黒髪、整った顔立ち、モデルかと思うくらいスタイルもいい。皆にこぞって注目されていたけれど、その注目は一日ともたず奇異の視線に変わった。
容姿の端麗さを上回るほどの、異端さ。
口を開けば命の灯がどうだの霊がどうだの、…無理もない話である。
当然僕にも彼女は魅力的に映った、が、表面的なところではない。
その歪さに、惹かれた。
今までに検証してきたところでは、
命の寡多が見える。
霊が見える。
直感が鋭すぎる。
…と言ったところ。
もう十分風変りではあるが、こんなものでもない気がする。
…そして、これはいわば僕自身の風変りな所と言っていいのかもしれないけれど、僕は参月綾音の言う事を何一つ信用していなかった。
否、信じられるわけもなかった。当然のように僕にはそのようなもの何も見えないのだから。
見えないものは信じない。僕の信条である。
だから、どう足掻いても参月綾音が例え霊と対話していようとも僕にはそれは演技としか映らないのだが、…確認せずにはいられずにいた。
それは、他のクラスメイト達と同様、参月綾音が嘘吐きで虚言吐きの変わり種と思うことを良しとしたくない、どこかで彼女の言う事を信じて証明したい僕がいたからなのだ。
「…二階ね、二階に行きましょう」
完全に不法侵入になるが、病院の入り口は鍵が掛かってなかった。…鍵が掛かっていないことなんてあるか?と思いつつも、一人でつかつか歩いていく参月を追いかけるのに気が向いてそれどころではない。
頼りなさげな懐中電灯の明かりが足元を照らす。
埃が深く積もっている。明かりに舞っていた。
「霊?今の所見掛けないわね」
…いるのならば早めに教えて欲しいね。
「えぇ、いいわよ。でも、さっき入り口で二階から見下ろしてきてた霊以外は今の所見ていないもの」
………もういたんだ。
病院に足を踏み入れる前に、既に二階から見下ろしていたという事か。
「病院に入る前だったしね。…あ、嫌だった?」
いや別に。
ここでとやかく言っても始まらない。取り敢えず僕は全神経を集中させて、彼女の挙動を追っていくしかないのだから。
埃の深い廊下を進んでいく。階段に差し掛かったところで、彼女は急に足を止めた。
「待って、そこに一人いる」
僕は目を凝らすが…彼女の指差す階段には月明かりが差し込むだけで誰も…霊らしきものは何も見えなかった。
「こんばんは。あなたは…そう、患者さん?」
参月はそう言いながらゆっくり階段に向かっていく。
「…そう、病気で。残念だけどここの院長先生ももう倒れて亡くなってしまったの。私たちは彼に会いに来たのだけれど」
会話…?している。僕には何も見えない。
参月さん、その人の名前は?
「えぇ、いいわよ。…ごめんなさい、名前教えて貰ってもいい?
…うん、ユアサハジメって言うのね、ありがとう」
確認の取りようはないけど名前はわかった。
もし本当に実在してここに入院していたとしても彼女の身内の名前を出した可能性もあるし、やはりこれだけでは信用もできない。
「通してくれるって。行きましょう」
僕がこの病院を選ぶにあたって、既にできる範囲の下調べはしていた。
山村病院。
院長、山村敏和(やまむらとしかず)。生涯未婚、独り身。享年五十歳。
死因は心臓麻痺。亡くなったのは二階の院長室。
僕が調べられたのはこの程度だった。未婚だったことだって院長を知る母から教えて貰ったくらいだ。
人付き合いが多い人ではなかったようだ。
「…あの人ね」
二階に上がって廊下の突き当り、院長室の前を指差し参月が言った。
「白衣着てるし分かりやすいわ。何聞くの?」
…じゃあまず名前から。
「はーい、こんばんは。はじめまして、だけど私たちあなたに会いに来たの。名前教えて貰ってもいい?」
参月が院長室の方へ歩いていく。
「…うん、院長先生で合ってるわね。名前は…ヤマムラトシカズ」
…合ってる。でも、これくらいはこの病院にかかったことがあればわかる話だ。
じゃあ結婚はしてたのか?
「結婚はしていたの?…そうなの、独身?寂しいわね」
……合ってる。でもこれだって二択の話。
死因は?
「何で亡くなったか覚えてる?………うん、そうよね。
わかんないけど何も心当たりないから心臓麻痺かその辺じゃないかって」
…亡くなった立場から言えばそうか。でも具体的な病名が出ていないから判断しにくいところだった。
亡くなったのはどこ?
「それ、さっきついでに教えてくれたんだけど、最後に意識が消えたのが自分の机に向かってる時だったって」
…合ってるな。
じゃあ最後に、享年は?
「今何歳?…うん、五十歳だって」
…なるほど。一度整理してみよう。
確認できる内容が曖昧なものが多かったからアレだけれど、ほぼほぼ真実に即したことを言い当てられている。
ごめん、追加でもう一つだけいい?
「えぇ、まだ彼もそこにいるから」
これは母から聞いた本当に本人しかわからないようなこと。
行き付けのバーで一番好きだったカクテルは?
…僕の母の勤め先である、バーの常連だった、山村敏和。
参月は改めて問い掛ける。
この返答次第では、僕は否応なしに『参月が霊と話せる』と言う事実を信じなければならなくなるわけだけれど…それをどこか喜んでいる自分もいた。
「…ソルティードッグ」
やがて、参月が言った。
大当たりだ。
参月綾音は風変りである。
どこまで変わっているのかは正直底が見えないけれど、僕が彼女をずっと信用しないのも同じく底が見えないくらい深く続いている。
「それで、あなたはこれで満足できた?」
満足と言うなら、そうだね。
「私からしたら単にお喋りしに行っただけなのだけれど」
病院からの帰り道、月明かりに照らされた道を歩く。
僕の足取りは重かった。
「嬉しくなさそうね。私が『変わってる』ってわかったでしょう?」
確かに、『変わっている』確証は取れたけれど、『変わっていない』裏打ちは取れなくなったわけで…僕は嬉しいような嬉しくないような奇妙な気持ちだった。
心のどこかでは、全部が全部彼女のブラフで、実はいたって普通の少女なのだと信じたい僕もいる。
だって僕は参月綾音のことを…。
「っと、私こっちだから。じゃあね、空さん。
また明日学校で」
参月の足取りは僕と違って軽やかだった。参月の背を見送ってから僕もゆっくりと帰路に就く。
夜空に星は高く、月が天上で冷たく輝いていた。
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