仇娘今七情(あだむすめいまにしちじょう)

新林贋阿弥

役名および一幕目第一場 白木屋見世先の場

役名


一、女髪結、お新

一、侠客、花川戸助七

一、白木屋新造、花駒

一、白木屋若い者、才三郎

一、下剃、勝奴

一、家主、丹兵衛

一、丹兵衛女房、お熊

一、白木屋女郎、花琴

一、町娘、お菊

一、助七子分、山猫弥兵衛

一、引手茶屋番頭、善六

一、相長屋、伝兵衛

一、白木屋、若い者二人

一、町人

一、廓の客

一、駕籠舁き



一幕目第一場 白木屋見世先の場


本舞台三間の間、女郎屋。大格子、簾を掛ける。上の方、「白木屋」と染めたる大暖簾。下手、天水桶。見世の前に床几。すべて新吉原の大見世、白木屋の見世先、朝の体。こゝに店の若い者二人、箒にて掃除をしている。この様子、清搔にて幕開く。


○「世間の人は吉原を眠らぬ眠らぬ、とよく言うが、毎日のように働く俺らに言わせりゃ、吉原の夜は朝に来るのだ」

△「泊まった客も夜明け前には大方帰り、残った客は居続けだけ」

○「女郎は二度寝、小僧もごろ寝、」

△「それに比べて俺らのような若い衆は、」

○「夜は荒事が起きねえように見張っていて、」

△「朝になれば遊女と客を起こしてやり、」

○「休むことなくあくせく働くが、」

△「それでも溜まらぬ懐具合、」

○「苦界苦界とは言うけれど、」

△「なにも花魁だけの話にゃ限らねえなあ」


ト合方になり、暖簾より白木屋の若い者である才三郎、若い者の拵えにて、町人を連れて出てくる。


才三郎「○それでは胴兵衛どの」

○「おや、こりゃ桑名屋のご主人」

△「お姿が見えぬからには花琴太夫の元で居続けかと思いました」

町人「わしもそのつもりだったが、昨日の大酒がまだ残るゆえ、見兼ねた花琴花魁に却って案じられ、ついには追い出されてしまいました○アイタヽヽヽヽ。なので、お願いだから若い衆どの、そんな大声は出さんでくれい」

○「袖引くはずの花魁に早く帰れと言われるは、」

△「これは、とんだ逆さまごと」

○「それに、大声とは失礼な」

△「大声とは、」

二人「○このような声を言うのです」

町人「アイタヽヽヽヽ(トうずくまる)」

才三郎「あゝ、これお客様に対してなんと無体な○これ胴兵衛どの、こちらに袖の梅がございますから○いずれでもよいので、水をくださいませ」


ト若い者の一人、下手の天水桶より柄杓にて水を汲んできて、町人はこれを才三郎が差し出した袖の梅と一緒に飲む。


町人「あゝ、これでいくぶんか楽になったわえ。才三郎どの、助かりました」

才三郎「いえいえ、お客様に尽くしてこその廓の衆。頭が痛いと嘆く客に対して大声を上げる者は白木屋の奉公人を名乗れませぬ(ト二人を睨む)」

町人「頭が冴えてきたら、今度は嬶に叱られるのが怖くなってきた。わしゃもうお暇しましょう」

新悟「それなら、そこまでお見送りいたします」


ト両人、花道にかゝる。


町人「それでは才三どの」

才三郎「またのお越しをお待ちしております」


ト町人花道に入る。才三郎はこれを丁寧に見送ってから本舞台に戻る。


○「才三どん、最前は悪かった」

△「ほんの出来心。許してくれ、許してくれ」

才三郎「ハテ、朋輩衆なれば大事にはせぬけれど、あれが助六か曽我の五郎のような荒くれ者であったらば、いかなる騒ぎになったかもしれませぬ。向後、慎みくだされませ」

○「さすが白木屋一の忠義者、才三どの」

△「こりゃ、花駒どのも惚れますわいな」

才三郎「あゝ、これ○そのことは」

○「なにを隠すか、もう知れておるわいな」

才三郎「されど、ご主人様の耳に入れば」

△「俺らが知るのに、主が知らいでか」

才三郎「エ○いずれにせよ、花琴花魁のお呼びで、まもなく髪結の者が参るはず。おぬしらは奥へ行って、茶の用意でもしていやれ」

○「女髪結のお新なら、ぜひ会ってゆきたいが、」

△「花駒だけじゃなく、姉御までものにしようとは、」

○「針金のような見た目に反して、」

△「おめえは本当に業突く張りだなあ」

才三郎「えゝ、いゝ加減にせぬか」


ト才三郎が怒るので、両人は見世に入る。合方になり、


才三郎「○さりながら、あの者どもの話を聞くにつけ、花駒どのとのことはもう白木屋の主人に○日頃から廓の深みを目にするゆえ、我が戒めにしようとは思えども、時のはずみに触れ合うて、今や引くに引かれぬ深い仲○西も東も知れぬ子供の折から、ご奉公に参って、御恩になりし白木屋のご夫婦ゆえ、切るべき縁とは知りながら、世にいう恋は思案のほか。あゝ、まさしく苦界とはこのことか」


ト思入れ。合方になり、花道より勝奴、着流し、三尺帯、下駄掛け、下剃りの拵え、鬢盥を持って先に立ち、その後よりお新、好みの鬘、襷、前垂れ掛け、女髪結の拵えにて出て、よきところにて止まる。


勝奴「姉御、朝の廓というのはいつもなんだか妙な気がいたしますね」

お新「まるで夜を知っているような口ぶりだあねえ」

勝奴「そう言われちゃあ、返す言葉もございません」

お新「花魁を買いたいのなら、髪結如きじゃ何年かゝっても無理だから、早く別の奉公口を探すがいゝさ」

勝奴「そんな意味で言ったわけじゃねえでさ。どうぞ許してくださいませ」

お新「ほれ、無駄口を叩いてないでさっさと行くよ」


ト両人本舞台に来る。才三郎、気付いて、


才三郎「これはお新さんに勝さん、お待ち申しておりました」

勝奴「才三どの、その勝さんっていうのはやめてくれ。年も似たようなものなのだから、平の勝でいゝよ、勝で」

才三郎「いえいえ、似たような齢よわいとて、そちらが年嵩。こればっかりは譲れませぬ」

お新「お前さんの真面目ぶりを少しでも見習ってくれりゃ、こちらも肩の荷が降りるんだが」

勝奴「師匠に似たんじゃあございませんか」

お新「また無駄口を叩きやがる」

才三郎「何を申しますか。お新どのは廓の髪結の中で腕だけじゃなく、その人柄も随一でございますから」

お新「やけに口が回るねえ。太夫の受け売りかい」

才三郎「いえ、本心でございます」

勝奴「うちの師匠を知らねえから、そんなことが言えるのさ」

お新「懲りねえやつだ。それほどに口が回るのなら次の奉公先もすぐに見つからあ」

勝奴「へゝ、こりゃ失礼しやした○そんなら、おいらは一足先に行きまして、ちょいと用意をしていやすから」


ト勝奴は見世に入る。


お新「まったく調子のいゝやつだ。それなら少し待たせてもらうとするか」


ト床几に座る。


お新「ほれ、お前さんも座りなよ」

才三郎「いえ、立ったまゝで結構です○お新どのも先ほどのことは気になさらないでください。勝さんはあゝ見えて、しっかりとしたお人柄」

お新「あいつはあれがいつもだから気にしちゃいねえよ○時に、新さん、今日は花琴花魁だけでよいのかい」

才三郎「花魁からも主人からも、そう承っております」

お新「白木屋は祝儀をはずんでくれるから構わねえが、一人だけ結ってお帰りとはおいらもいゝ商売だなあ」

才三郎「それだけ腕がいゝのでございましょう」

お新「でも、それならついでに花魁の妹女郎の、あゝ名前はなんと言ったっけ○花凧であったか、花すごであったか、花六であったか」

才三郎「○花駒でございましょうか」

お新「おゝ、そうだそうだ、花駒だ。なんだい、才三さん、花駒さんとは親しいのかえ」

才三郎「いえ、とんでもございません」

お新「○それなら心配はあるめえ。そのほうが花駒どんにとっても幸いであろうよ」


ト才三郎思入れ。


才三郎「その心配と申しますはなんでございましょうか」

お新「いや、そりゃあ、その」


トお新、気まずい思入れにてそっぽを向く。才三郎はさらに心配する思入れ。


お新「えゝ、そんな顔をされちゃあなあ○それじゃあ才三さん、お前は旦那からあの件についてはなんにも聞かされてないってえのかい」

才三郎「ハア」

お新「ほら、あれだよ、あれ○花駒さんの身請けの件だよ」

才三郎「ヤ、なんと」


ト才三郎、驚いてお新の横にへたり込む。


お新「やはり聞いていなかったか。こりゃ、しくったなあ。白鼠の才三さんのことだから、てっきり旦那も言ってるものかと思うたが」

才三郎「いえ、全く聞き及んでおりません。それで身請けと申しますは」

お新「ハテ、言うのを迷ったが、才三さんにそんな顔をさせちゃあ申し訳ない○いや、お前も知っての通り、花駒さんは新造ながら大層な器量よしの気立てよし、いずれは次代の揚巻だか夕霧だともっぱらのご評判。忘八と仇名される人情なしが相場の廓の旦那なら、誰でもこりゃ打ち出の小槌と思いなさんだろう。しかし、こゝの旦那は一味違う。揚巻の旦那の曽我の五郎は祐経さんを討ったものの、トゞは富士の狩場で草の露、揚巻さんも心中立てたが水の泡、夕霧さんは伊左衛門の貧苦が祟って哀れや病死、なるほど言われてみれば名高え花魁の最後は非業の死と相場が決まってらあ。聞けば花駒さんは幼い頃に親に売られてきたそうじゃねえか。このまゝいきゃあ吉原一の太夫になるのは目が確かな旦那だからこそわかっているが、その先はいずれ心中か恨みを買って一刺しか、年季が明けたとして瘡っかきが関の山。それじゃあ、あまりに不憫だからということで、今のうちから裏でこっそりと身請け探し、つい先日、花川戸の助七という碌でもねえ侠客崩れがお相手と決まったそうよ」


ト才三郎、これをじっと聞いていて思入れ。


才三郎「そんなことになっているとは、さっぱり知らなんだ○そうと知りながら、花駒さん」

お新「あゝいや、しかしその肝心の花駒さんだがね、どうもその身請けに乗り気じゃないという話もあるのだよ」

才三郎「エ」

お新「侠客風情が気に入らねえのか、旦那に恩を返してえのか、はたまた○」


ト才三郎をじっと見る。


お新「まあ、どうで訳は知れねえが、なにも今日明日の話じゃああるまいし、所詮はたゞの奉公人であるお前さんが気にかけることでもあるめえよ」


ト才三郎思入れ。この以前、見世の暖簾口より勝奴が顔を出して様子を伺っており、お新に終わったかという思入れ、お新も応という思入れ。勝奴出てきて、


勝奴「あねさん、支度ができやした」

お新「おゝ、そうか。そうと決まったら、早速仕事に取りかゝらあ○まあ、今の話は聞かなかったふりをしてくださいよ」


トお新、才三郎の肩をポンと叩き、勝奴と一緒に見世に入る。才三郎、立ち上がって思入れ。合方になり、


才三郎「身分違いの恋とは知りながら、浮かれ烏のこの才三。いずれ塒に帰らなばと思えども、つい居続けで深みに嵌ったこの身の上。花駒どのも身請けを不承知と聞くからは、せめて情けが残っていると藁にも縋る思いはあるが、卵の四角となんとやら、こゝはきっぱり諦めたが互いの身のため○されど恋の病に薬はなし、これほどまでに身を焦がすなら、いっそ彼女を連れて○いや、そうしては旦那への義理が立たず、畜生にも劣るこの才三○あゝ、恋に忠義に身を裂かれ、こゝはほんに(才三郎、再び座り込むをト柝の頭)苦界じゃなあ」


ト合方になり、道具廻る

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