第六章『いずれ灯りを凌ぐ(Witch of Truth)』

 当時の六川灯理は、今のように社交的な性格ではなく、常に周囲の人間の顔色を伺うような子供だったという。

 今の六川を知る人間からすれば信じがたく、それは長い付き合いである真弥でさえ知らないことだろう。

 そのせいか、六川の周りには自分たちは友人であるという甘い言葉で六川を都合のいい道具のように扱う子供が一定数いた。

 六川に宿題を押し付けたり、荷物を持たせようとしたりといった具合だ。

 しかしまた一人に戻ることが怖かった六川は、嫌々ながらもそれらの頼みを断らなかった。

 だが全員が全員、そういう人間だったわけではない。

 『媚びなくちゃいけないような相手は友人ではない』

 そう言ったのは学校の教師でも、大好きな両親でもなく、普段あまり話すことのないクラスメイトの石見凌子いしみりょうこだった。

 まだ小学生だった六川の心にその言葉はスッと入ってきて、今まで友人だと思っていた人間はあくまでもただの隣人であり、友人ではないのだということを知った。

 そして同時に、友達になるなら凌子のように言ってくれるような人物がいいと思った。

 そう思ってからの六川の行動は早かった。

「わたしと友達になってよ!」

「いいよ」

 凌子は二つ返事で六川の頼みを承諾し、気のあった二人はそれからすぐに打ち解けていった。

 しかし凌子はかなり変わった子供で、雲の形や石、虫といった不思議なものを嬉々として観察しようとする。

「りょうちゃんは、どうしていつも空とか虫を見てるの?」

 グラウンドの一角で蟻の群れを眺めながら、凌子は答えた。

「あかりっちはさ、どうして蟻がこんな風に綺麗な列を組めるのか、考えたことある?」

「え? 考えたことないけど……」

「蜘蛛は親から教わらなくても綺麗な網が作れるし、植物は誰に言われなくても時期になれば花を咲かせるっしょ? それはどうして?」

「う〜! りょうちゃんの話してること、むずかしくてよくわかんないよ!」

 六川は不機嫌そうに頬を膨らませる。

「でも仕組みが分からなくても風は吹くし、重力は働くじゃん?」

 風はともかく、重力に関しては六川にとって初めて聞く言葉だった。

「知らないよぉ……それがわかるようになったらどうなるの?」

 凌子は顔を上げて蟻の列から目を離すと、六川の方に顔を向けてにっと口の端を吊り上げながらこう答えた。

「――魔法が使えるようになる」

 それが、六川が初めて魔術というものの存在を知った瞬間だった。



 二人の間で共通の話題ができたことが嬉しかった六川は、夢中で魔術にのめり込んだ。

 他の人は知らないのに自分だけは知っているという特別感と、自分にだけはそれを話してくれたことがとても嬉しかった。

「りょうちゃん! 今日はどんな魔法を教えてくれるの?」

「だから魔法と魔術は別物だって……まぁいっか、今日は解析の魔術にするつもり」

 今までの火花を散らせたり、手のひらから水を発射するような魔術と比べて、効果が分かりにくい上に地味そうな魔術に六川は不満を漏らす。

「えぇ〜、もっと派手で面白い魔法がいいよ。そうだ! りょうちゃんの石人形を動かすやつ教えてよ!」

「《未完成なるものゴーレム》を動かすのはまだあかりっちには早いかな。それに、解析の魔術は面白いよ?」

「どんなふうに?」

「解析の魔術が使えるようになると、自分だけのオリジナル図鑑が作れるようになりま〜す!」

「なにそれ面白そう!」

 先ほどまでの不満そうな顔が嘘のように、六川は目を輝かせる。

「解析の魔術は他人の魔術にも使えるから、これさえあれば今度からわたしの授業を聞かなくても良くなるよ」

「それは嬉しいような、少し寂しいような……」

 苦笑を浮かべながら、六川は凌子から渡された羊皮紙に目を通す。

 そこには英語の他に、見たこともないような文字が書かれている。

 俗に魔法陣と呼ばれるその図形を描いていく途中で、凌子はその手を止めた。

「どうしたの? やっぱり難しかった?」

「そうじゃない。ただ、どうして誰もこんなに便利な術式を使わないんだろうなって」

 魔術師の目的とはこの世界の法則を全て解き明かすことにあり、かつてはその研究の第一人者こそが魔術師と呼ばれていた。

 今でこそ魔術を使える人間の事を指して魔術師と呼ぶが、そもそもこんな簡単な魔術を組み合わせる発想が先人達になかったとも思えない。

「でも、もしこれが成功したら……わたし達、歴史上でもっとも偉大な魔術師になれるかもしれない。すごいよあかりっち! ほんと天才〜♪」

「ほんとう⁉︎ やった、はじめてりょうちゃんに褒められた~!」

 できるだけ魔法の再現率を落とさず、かといって特殊な設備や場所や日時を用いないために儀式を簡略化したかった凌子は、魔法陣を使った大規模な術式を構築することにした。

 それに最も都合が良かったのは、無人な上にある程度の広さを兼ね備えている場所――真夜中の学校の校庭だった。

「これでよし、あかりっち! もう魔力流してもいいよ!」

 グラウンド全体を使った魔法陣を描き終えた凌子は、魔法陣の中央にいる六川に合図を送る。

「うん、任せて!」

 術式は複雑だが、魔力の消費は微々たるものであるため、魔術師としては平均的な六川の魔力量でも問題なく起動することができる。

 しかし凌子には、やはりこの術式を使う魔術師がいないことが気掛かりだった。

 六川が魔力を流し始めると、凌子がグラウンド全体を使って描いた、巨大な魔法陣が淡い青色の光を放ち始める。

 しかしすぐに凌子は、何か様子がおかしいことに気がついた。

 まだ術式の起動も終わっていない内から、明らかに凌子が想定していた以上の魔力を消費しているからだ。

「何かおかしい、あかりっち! 魔力流すの一旦ストップ!」

 魔術師が魔術の行使に失敗した際に一番恐れている最悪の事態は、反動リバウンドと呼ばれる現象である。

 魔術が失敗する理由の大半は、術式が誤っているか、行使する魔術に対して術者の魔力量が足りていないかのどちらかである。

 術式が誤っていて起動しない場合はあまり問題にならない。

 むしろ問題は、魔術の行使に必要な魔力量が足りなかった場合だ。

 魔術とは本来、魔法を使うのに必要な工程を魔力という対価を払うことで短縮する技術である。

 生物であるなら生きているだけで魔力が生成されるが、人間であるなら魔力を生成する能力に個人差はほとんどない、といっていい。

 魔力量といえば基本的に、魔術師が体内に留めておける魔力の貯蔵量を指す。

 だがもし仮に自身の中に貯蔵している魔力が尽きた場合、不足している分の魔力は術者の意思に関係なく肉体の一部を無作為に魔力に変換して、魔術を行使するための代価とする。

 これが魔術師のいう、反動リバウンドと呼ばれる現象である。

「やってるけど……これ、無理やり魔力持ってかれてて、すごい……苦しい」

 六川が苦しそうに息を切らしながら、その場にうずくまる。

 短時間でこの様子なら、これ以上魔力消費を行えば反動リバウンドによって六川は肉体そのものが魔力に変換されてしまう。

 誰よりも焦っていたのは、こんな状況になることを全く想定していなかった凌子自身だった。

「なんで、術式は完璧なはずなのに!」

 自分で口にして凌子はハッとした。

 完璧な術式、そんなものが存在していること自体が最初からおかしかったのだ。

 自働書記と解析の魔術。

 それ自体はなんの変哲もない普通の魔術である。

 だがそれを組み合わせた時――のみ起こる事故。

 誰も使っていないのは、それが使えないからに他ならない。

 どんなものでも解析して保存できるということは、疑似的な全知全能に近い。

 もっとも近い概念を無理やり当てはめるのなら、生命の樹セフィロトの中で知恵と理解の象徴である《独創的な知恵コクマ―》と《理解の試練ビナー》だろう。

 だがそんなものを成立させるには、一体どれだけの魔力を費やせば可能になるのだろうか――

「準魔法級術式……! わたしの馬鹿、こんな初歩的なこともっと早く気づけたのに!」

 準魔法級術式とは、その名の通り魔法そのものに限りなく近い、人間に使うことが不可能な術式のことを指す。

 凌子は急いで六川のいる魔法陣の中心に駆け寄って、魔法陣に自分の魔力を流し始める。

「無茶だよりょうちゃん! 他人が起動した術式に無理やり割り込むなんて!」

 六川のいう通り、後から術式に介入するなど電気を流している最中の回路を弄るような行為であり、普段の凌子ならば絶対にそんな危険な事はしない。

 何よりそんなことをしても六川が助かる保証は何一つなく、最悪共倒れである。

「こうなったのは、ぜんぶ確認を怠った私の責任……だから!」

 凌子は魔術師の家系というだけあって、六川の倍近い魔力貯蔵量を誇っているが、それでもこの魔術を成立させるには程遠い。

 魔法陣がより一層光を放ち、もっと寄越せと謂わんばかりに二人の魔力を根こそぎ奪っていく。

 そのせいで先に魔力が尽きたのは、自分の意思で術式に魔力を流し込んでいる凌子の方だった。

「ウッ……アァッ⁉」

 既に貯蔵している魔力が尽きた状態で無理やり魔力を引き出されることは、術者に対して酷い苦痛を伴う。

 それに耐えられず、凌子はその場で膝をついて四つん這いになった。

「りょうちゃん、もういいよ! 後から介入してるだけってことは、術式への魔力供給をカットしても問題ないんでしょ⁉」

 ここで魔力供給を止めれば、少なくとも凌子だけは助かるだろう。

 だが凌子が魔力供給を止めてしまえば、六川は確実に反動リバウンドでその全てを魔力に変換され、この世から消えることになる。

「馬鹿っ! そんなこと出来るわけないじゃん!」

 凌子は全身の血液が沸騰するような感覚に耐えながら、喉から声を絞り出す。

「あかりっちに会うまで……一生誰にも理解されなくていいって、本気で思ってた! 周りの誰も、魔術があるなんてこと信じてくれなかったからっ!」

 幼い頃から魔術というものに触れていた凌子にとって、魔術というのは存在することが当たり前のものだった。

 だが現代において魔術とは空想の産物であり、そんなものがあるなどと言えば周囲からどんな目で見られるかは語るまでもない。

「けどそうじゃなかった! わたし、本当は――」

 歯を食いしばって顔を上げ、凌子は魔法陣の中心に立つ六川を見据えながら叫んだ。

「本当は――対等に魔術の話をしてくれるような、わたしのことを心から信じてくれる友達が欲しかったッ!」

 それが、凌子が六川に魔術を教えた本当の理由だった。

「もし、そんな友達を見捨てたら……もし、魔術で大切な友達を失ったら……きっとわたしは、もう二度と今までみたいに魔術と向き合えなくなるッ!」

「りょうちゃん……」

 六川の魔力も尽き、魔力供給が途切れると、突然魔法陣が不気味に赤く輝きだした。

「なにこれ⁉ やだっ! りょうちゃん!」

 六川の右腕が、まるで泡のような青白い光に包まれている。

 だがすぐに凌子はそれが包まれているのではなく、六川の腕そのものが光に変わっていっていることに気がついた。

「あかりっち! 待ってて、今行くから!」

 苦しくて今にも吐きそうなのを堪え、六川の傍に近づこうと足を踏み出した瞬間、ガクッと視界が下がって凌子は地面に倒れ伏した。

 何が起こったのか分からなかった凌子は状況を確認すべく自分の足を見て、自分のその判断をすぐに後悔した。

 何故なら、あるべきはずの自分の両足がすでになくなってしまっていたからだ。

「あっ、うそ。わたしの足……」

 凌子の呼吸が浅くなる。

 膝から下の感覚が全くなく、切断面からは行き場をなくして地面に血液が広がっていく。

 このままでは本当に失血死してしまう。

 朦朧とする意識の中でそう強く実感した凌子は、自分の体から流れ出た血液を魔力に変換して、患部を軽く手で押さえて傷口を塞ぐことを試みる。

 手を当てて患部の症状を緩和させる民間療法の一種手当ての応用である。

 血溜まりはすぐに淡い光になって、魔力に変換されていく。

 足を完全に元に戻すことはできないが、本来なら痛みを多少軽減する程度の効果しかない魔術で止血できるのなら、十分過ぎるほどの効果である。

 凌子の両足と六川の右手、それだけの贄を払ったことでようやく魔術が完成したのか、魔法陣の放つ光は徐々に弱まっていく。

 傷口を塞ぎ、止血を終えた凌子は虚ろな目で六川のいる魔法陣の中心を見据える。

 そこに立っている六川は呆然と立ち尽くしてはいるが、体の方は傷一つ付いていなかった。

 しばらくしてハッとしたように我に帰った六川は、慌てて凌子の元に駆け寄った。

「りょうちゃん大丈夫⁉︎」

「かなり満身創痍かも」

 本気八割、冗談二割でそう言ったが、不思議なことに先ほど魔力に変換されたはずの六川の右腕が残っていて良かったと思う一方で、凌子はなぜ右腕が残っているのか不思議に思った。

「――ねぇりょうちゃん、あの光の向こう側には何があるのかな?」

 六川はどこか遠くを見つめるような目をしながら、凌子にそう聞いた。

「光って、なんの光?」

「分からない。星の光よりももっと強くて……でも太陽よりもずっと遠い光」

 光という言葉はあまりにも抽象的すぎて、六川が何のことを話しているのか、凌子には全く分からなかった。

「王冠のさらに向こう側から、キラキラした一筋の光が差し込んでくるんだ。とっても綺麗なんだよ?」

「それって……まさか、《無限光アイン・ソフ・オウル》のことを言ってるの?」

 王冠と光という言葉で連想できるのは、凌子にはそれくらいしかなかった。

 《無限光アイン・ソフ・オウル

 人間では絶対に辿り着けない不可知の世界。

 魔法そのものに最も近い、魔術師の目指す一種の到達点。

 六川は術式を通して《生命の樹セフィロト》の向こう――《王冠ケテル》の先にある《無限光アイン・ソフ・オウル》を垣間見たのだ。

 六川は心配するように凌子の手を両手で握りながら、優しい声で答える。

「うん、そう。けど……ようやくりょうちゃんが何を目指してるかわたしにも分かったよ。魔術師達は、あの光の向こう側に何があるのかを知るために研究を続けてるんだね」

 今のたった一瞬で、どうしてそこまで理解できるのか分からなくて凌子は困惑した

 何故なら六川に魔術師の目的や《無限光アイン・ソフ・オウル》についての説明を、凌子は一度もしたことがなかったからだ。

「……実はね、わたしも反動リバウンドの影響を受けてるんだ」

 六川はそう言って凌子の手を離すと、自分の右腕を左手で撫でた。

「このままだとりょうちゃんが死んじゃうと思ったから、無理やり術式を中断したんだ。そのせいで、右腕に中途半端に魔術が残っちゃった」

「それって、どういう……」

 どうしてそんな無茶なことをしたのか、一体どんな影響があるのかといった様々な疑問と困惑がその短い言葉には含まれていた。

 凌子の問いに対して、六川は寂しそうにも悲しそうにも見える顔をしながら答えた。

「右腕がね、触れたものを自動的に解析して保存し続けるんだよ……」

 凌子はその言葉を聞いて愕然とした。

 解析の魔術で得られる情報は、人間が五感で得られる情報よりもずっと多い。

 そんなものを常時感じ続けて、普通の人間が正気でいられるはずがない。

「わたしは大丈夫だよ。むしろ、りょうちゃんが無事でよかった」

 まるで凌子の自責の念を感じ取ったかのように、優しく微笑みながら六川が言った。

 先ほど右手で触れた時に凌子の記憶を視た六川には、全て分かってしまうのだろう。

 だがそれが凌子には辛かった。

 何故なら六川が凌子の全てを理解しているのに対して、凌子には六川の全てを理解することができないからだ。

 これからも変わらずに六川と接することはできるかもしれない。

 だがその関係は対等と言えるだろうか?

 少なくとも今この瞬間から、六川灯理は石見凌子にとって、大切な友人ではあっても対等な友人ではなくなっていた。


                ※ ※ ※


 あれから五年近くの歳月が経った。

 現在の凌子は六川と作った準魔法級術式のせいで、監視機構パノプティコン大聖堂カテドラルから追われる身となっていた。

 あの後すぐにこの街を離れたため、凌子は六川がどうなったのかは知らない。

 というより、それどころではなかったというのが実情だ。

 凌子の家は魔術を研究していたという理由だけで、大聖堂カテドラルによって家族もろとも焼き払われることになった。

 どちらの組織に見つかっても、放浪者ノーマッドは監禁か死の二択を迫られる。

 例外的に監視機構パノプティコンでは研究に協力することを条件に、ある程度の自由が約束されることもあるそうだが、それでも四六時中監視されることになるのは変わりがない。

 それを知っていながら六川を置き去りにしてしまったことを、凌子は深く後悔していた。

 あんな能力があっては人と同じように過ごすことも、何より組織に見つからずに過ごせるとも思えない。

 だが六川を連れ出す時間も、それを考える時間もその時の凌子には残されていなかった。

 凌子が薔薇園ローゼンハイヴに所属したのは、自分の身を守るためなのはもちろん、この街に置き去りにしてしまった六川を探すためでもあった。

 中央街の五月駅で東西線に乗り換え、西側の方の終点から徒歩三十分の山の中に、その屋敷は存在している。

 壁面の一部をツタに覆われていたり、木造であることも相まって、見る者にオシャレな別荘というよりも魔女の隠れ家というような印象を与える。

 それが薔薇園ローゼンハイヴの五月市における唯一の拠点であった。

 その玄関から見て、左側にある応接間のいちばん奥の席に凌子は座っていた。

 部屋の中は洋室となっており、壁は白い漆喰で塗られ、床はフローリング加工が施されている。

 そんな部屋の中央に置いてある円卓には、年齢や性別もバラバラの奇妙な一団が座っていた。

「すみません、遅くなりました」

 軽く頭を下げながら、銀髪の少女のような少年が入室してきて、一番扉に近い椅子に腰掛ける。

 彼、袴田成仁は薔薇園ローゼンハイヴ五月市支部における、唯一の呪術師である。

 その才能は折り紙付きで、たった数ヵ月で《同害報復術レクス・タリオニス》と呼ばれる自作の呪詛返しのまじないを開発している。

 もっとも呪術が専門ではない凌子から見ても成仁の術式はとても完成度が高いものとは言えない、ハッキリ言ってだ。

 だが成仁は資料を基に術式を再現しただけの凌子や六川と違って、一から術式を構築している。

 初めて術式を構築する者が、たった数ヶ月で魔術理論を理解して術式を構築するなど、誰にでもできることではない。

 それを可能にしたのは、才能以上に自分の全てを賭けて奇跡を望んだ執念だろう。

「思ったより、ふわぁ〜。遅かったっスね?」

 成仁の隣に座る眠そうにあくびをした、黄金色のローブを着た男は金城拓也かねしろたくや

 普段は大学生として生活しているが、金銭面の問題から複数のバイトを掛け持ちしている

 魔道具の専門家で、凌子よりも前から薔薇園ローゼンハイヴに所属していたらしい。

 彼の着ている黄金色のローブも、《黄衣の王ハスタァ・ローブ》と呼ばれる他者からの印象を希薄にする術式が付与された魔術礼装である。

「これでも学校が終わってからできる限り最短で来たんです。そういう金城かねしろセンパイこそ、バイト明けの割にはずいぶん着くのが早かったんじゃないですか?」

「午前中にバイト入れたらこの時間に間に合わなかったんで、その分昨日の夜にシフト入れたんスよ。ただまぁ、正直夜勤明けなんでスゲェ眠いっス」

 こんな感じでいつも飄々としていて何を考えているかは分からないが、成仁を筆頭に多くのメンバーをスカウトしたのも彼である。

 金城は人を見る目というか、物の価値を見繕うのが異常なほど上手い。

 本人曰く、魔術を学ぶようになったのは金になると思ったからだという。

 魔術師の家系である凌子からすれば、あまり褒められた理由だとは思えない。

 だが金を得るという目的のためだけに魔道具を研究し、それを普及させるために薔薇園ローゼンハイヴに入り、こうして戦う覚悟まで決めた彼を馬鹿にはできない。

「たくや〜ん、まだ寝ないでよ?」

「さすがに寝ないっスよ……」

 相変わらず眠そうな声で返事をする金城に苦笑してから、凌子は自然な笑顔を浮かべて宣言する。

「さて! 全員揃ったことだし、そろそろ監視機構パノプティコンの第六研究所攻略戦の作戦説明を始めたいと思います! ハイ拍手!」

 石見凌子は、薔薇園ローゼンハイヴ五月支部の実質的なリーダーである。

 彼女がリーダーに選ばれた理由は、単純にこのメンバーの中で唯一、実戦の経験があるからであった。

「おい石見。俺の記憶が正しければ、今回の目的は第六研究所の攻略じゃなくて、そこに収容されている放浪者ノーマッドの解放が目的だったはずだが?」

 ホワイトボードの横に立つ、華奢なフレームの眼鏡をかけた川岸亘かわぎしわたるという背の高い青年が、頭を抱えながらそう聞いた。

 彼は触れた物体を一時的に聖遺物に変える、《機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ》という純魔法級術式がその肉体に生まれつき備わっている。

 かつてはそのために周りから疎まれたり蔑まれたり、挙句に偶像として祭り上げられたこともあったそうだ。

「それはそうだけどさ、攻略作戦って言った方がカッコイイじゃん?」

「却下。誰か他に代案があるやつはいるか?」

 あっさり却下されて不満そうに唇を尖らせる凌子を他所に、川岸は学校の教師のように慣れた言い方で代案を募る。

 やや前髪の長い目つきの鋭い少年、剣崎守けんざきまもるが手を挙げる。

「よし剣崎、なんか案出してみろ」

「かつて奴隷たちを解放し、体制に反旗を翻した不屈の英雄の名にあやかって、スパルタクス作戦というのはどうだ?」

 そのネーミングセンスから分かる通り、剣崎は重度の中二病患者である。

 その片鱗は、四元素の風属性を応用して遠距離まで斬撃や衝撃を伝搬させる《飛刃フライング・エッジ》と呼ばれる術式の名前でも分かる通りだ。

「あの……それなら、ロビンフッド作戦の方が可愛くていい、と……思います」

 自信がなさそうにおずおずと手を挙げながら子供の様に背の低い音羽陽歌おとばねはるかが提案する。

 彼女は《詩鳥セイレーン》と人間のハーフであり、人間と怪異の血が拒絶反応を起こしたせいで同年代の子供たちよりも免疫力が低く、体力もない。

 実年齢と比べて精神年齢や体格も幼い。

 なにより《詩鳥セイレーン》の歌は人の脳に直接作用して一時的に昏睡状態に陥らせるので、歌うことが好きなのに、自由に歌うことができないという体質に悩まされている。

 ここまで説明してきた通り、リーダーである凌子を筆頭に、ここにいるのは俗世に上手く馴染めなかった者の集まりである。

 薔薇園ローゼンハイヴの活動理念は放浪者ノーマッドや怪異と、それ以外の存在が共存できる社会を実現することにある。

 しかし放浪者ノーマッドの危険性は今までの魔術や能力の説明を聞いてもらえれば、説明するまでもない。

 二十一世紀の半ばになっても、人類は未だ魔術や怪異、超能力といった存在の脅威に晒されているのだ。

 そんな現状では、放浪者ノーマッドと共存できる社会など夢のまた夢である。

 そのため現在の薔薇園ローゼンハイヴの目下最大の目標は、より多くの放浪者ノーマッドを保護することにある。

 川岸は頷くと、ホワイトボードに書いてあった第六研究所攻略戦という文字を消して、ロビンフッド作戦と書き込んだ。

「よし、ならロビンフッド作戦で決まりだな」

「異議あり! なぜ多数決もなく音羽の意見を採用した⁉」

 思いっきり机を叩きながら、剣崎が立ち上がる。

「まあまあ、落ち着いてよまもるっち。スパルタクス作戦はまた別の時に使うから、ね?」

 ふんっと鼻を鳴らしながら、剣崎は再び椅子に座った。

「それじゃあ作戦の内容を教えるね。まずチーム分けなんだけど、私とたくやん、なるちゃんとわたるん、まもるっちとはるにゃんにしようと思う」

「そのチーム分けの根拠は? 戦闘力で考えるなら、俺は一人でも問題なく戦えるはずだ」

 剣崎が不満そうな顔で口をはさんだ。

「戦闘力って……もしかして戦うんですか? 私は捕まった放浪者ノーマッドの人たちを助ける作戦だって聞いてたんですけど……」

 陽歌が不安そうに身を縮こまらせる。

「なんだ音羽、怖いのか?」

「そりゃ怖いよ……だって戦ったら人が傷つくんだよ? そういうやり方は、よくないよ……」

「必要な犠牲だ、何かを変えるときには痛みが付きまとうものだろ?」

 当然といった様子で剣崎が陽歌のことを問い詰める。

「因みに、守くんのいう必要な犠牲には例えばどんなものがあるんスか?」

 にやにやとした笑みを浮かべながら、今度は金城が逆に剣崎に質問した。

「え? あ~えっと……成長痛?」

「ほら陽歌ちゃんも見ての通り、守くんは馬鹿なんで、あまり真に受けなくていいっスよ~」

 ケラケラと笑いながら、金城が陽歌を励ます。

「なんだと⁉ 俺が愚かだとでも言うのか!」

 興奮した様子で椅子を蹴倒さん勢いで剣崎が立ち上がる。

「わたしも別にまもるっちの戦闘力は疑ってないよ? けど今回の作戦は死人を出さずに放浪者ノーマッドを開放することが目的だから、そのためにはチーム分けが必須なんだよ」

 凌子に説得され、剣崎は渋々と自分の席に再び座った。

「私とたくやんは《未完成なるものゴーレム》と魔道具を使った攪乱と陽動。なるちゃんとわたるんは《同害報復術レクス・タリオニス》と《機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ》を使って救出した放浪者ノーマッドの護衛や治療。まもるっちには……はるちゃんを通信室まで護衛してもらいたいの」

「通信室を占拠するのは、増援を呼ばせないためですか?」

 訝しむような顔で、成仁が質問した。

「もちろんそれもあるけど……はるちゃんの《詩鳥の歌セイレーンのうた》を収容施設以外の全てに館内放送すれば、無血で完全に第六研究所を無力化できる」

 静寂が部屋を満たすと、凌子は太ももから先のない自分の足を撫でながらこう続けた。

「――わたしは、いつか魔術が人を救うようになる日が来ると信じてる。もしそれが魔術じゃなかったとしても、その知識は絶対に無駄になんてならない。自分たちと違う存在をすべて排除しようとするような世界に先はないよ、だから今は一つでも多くの可能性を残しておきたい。そのために、みんなの力をわたしに貸してほしい!」

 かつて多くの魔術師たちがそうだったように、真理を求め可能性を広げることこそ、魔術師の本懐である。

 なにより凌子には、真理そこを目指す理由がある。

 あの時、六川がどんな光を見たのかを知るまでは……たとえ足がなくても凌子は立ち止まるわけにはいかなかった。

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