第44話 鬼ごっこの果てに

 談笑する中年男と楊烈を見るうち、杜天佑は過去に中年男に会ったと思いだした。ただ、面会の際に彼は頭を下げていて、中年男の顔を見る機会はなかった。そのため、気づくのが遅れたのだ。驚きのあまり、杜天佑は中年男の名を口走る。


「陳道仁」


 名を呼ばれた中年男は、笑いを堪えながら杜天佑に近づく。楊烈は一歩後ろにしりぞき、陳道仁に場所をゆずった。

 中書省の郎中であり、王太子妃候補の父でもある陳道仁が杜天佑の前に立つ。彼は「ええ、わたしです。王太子殿下」と、杜天佑にほほ笑みかけた。

 そのときだ。

 杜天佑の背後に座りこんでいた王太子が勢いよく顔をあげた。目を見開いた彼は「陳道仁だと?」とつぶやき、中年男を凝視した。

 このとき驚いたのは、もちろん王太子だけではない。陳道仁も、杜天佑と王太子の顔を交互に見て「これは!」と驚愕の声をあげた。


「まさか、王太子殿下に影武者がいたとは! いったい、どちらが凌靖宇殿下ですか?」


 陳道仁の言葉で、杜天佑は自分の考えが正しいと確信した。彼と陳道仁が直接顔を合わせるのは、ある意味でこれが初めて。凶宅事件で陳道仁に会ったとき、杜天佑は頭を下げたままで、陳道仁に顔を見せなかった。逆を言えば、陳道仁も杜天佑に顔を見せていないのだ。

 つまり、杜天佑の記憶にあるのは、陳道仁の声と体格だけ。陳道仁にいたっては、きっと杜天佑と出会ったとさえ思いだせないだろう。

 状況の推測がたった杜天佑は、にわかに陳道仁の背後に控える大男の楊烈が気になった。見るうちに、陳道仁との体格差に意識がむいて、凶宅事件の際に陳道仁に付きしたがっていた護衛が楊烈にちがいないと気づいた。

 そして、雷嵐がいなくとも、彼は答えにたどりつく。


 ――首吊り鬼事件の容疑者である大男は、陳道仁の部下だ。ならば、彼に指示をあたえているのは、陳大人にちがいない!


 真実を知った高揚感が全身を駆けめぐり、杜天佑は勢いのまま叫んだ。


「陳大人。あなたが首吊り鬼事件を起こしていたのですね!」


 ところが、杜天佑の言葉に陳道仁は微動だにしなかった。

 むしろ大きく反応したのは、王太子である凌靖宇だ。彼は「なん、だと?」と青ざめ、身を乗りだして叫ぶ。


「陳道仁、ほんとうなのか? 首吊り鬼事件の解決が、わたしにとってどれだけ重要か、おまえは知っているだろう!」


 問いただした直後、王太子は激しく咳きこんだ。

 咳きこむ王太子を見た陳道仁は、ひらめきを得たらしい。彼は王太子にむかって、淡々と話しかけた。


「ああ、奥にいらっしゃるのが王太子殿下なのですね。その影武者の言うとおりです。首吊り鬼は、わたしのくわだて。まあ、それも今日でおしまいです。あなたさまを捕らえてしまいましたから」


 陳道仁は、にたにたと笑って話した。王太子の前で罪を認める態度には思えない。まるで、捉人鬼ごっこで逃げた子を捕まえた鬼ほどに軽く、その軽さがよけいに気味悪い。

 陳道仁の恐ろしくも不気味な雰囲気を、王太子も感じ取ったようだ。彼は重々しい口ぶりで、陳道仁に詰問する。


「わたしを害そうなどと、ただですむと思っているのか?」


 しかし、陳道仁はにやにやと笑うだけで、答えなかった。

 代わって王太子に返答したのは、杜天佑だった。彼は「王太子殿下」と呼びかけて、口を開く。


「首吊り鬼の仕業とされる事件の現場付近で、殿下を目撃したとの証言が多数あります。殿下に危害を加えようとした現場に居合わせた者たちを、陳大人の部下が口封じのために殺害していたにちがいありません」


 杜天佑の主張に王太子は考えこむ様子をみせ、「言われてみれば」と眉をよせ、さらに言葉をつづけた。


「街で何度か暴漢に襲われかけた。今日も、だれかに追われている気配を感じ、ここまで逃げてきたのだ。だが……」


 言いよどみ、あらためて陳道仁に視線をむけた王太子は、問いを重ねる。


「陳道仁よ、陳道仁。なぜ、わたしの命を狙う必要がある? おまえの娘は、わたしの妃候補なのだぞ?」


 疑問を口にするうちに、気持ちが高ぶったのだろう。言い終えた王太子は、再び激しく咳きこんだ。

 すると、沈黙を守っていた陳道仁が、にやけた顔をゆがめて話しだす。


「王太子殿下。たしかに、わたしは娘を王太子妃にしたいとは思っております。ですが、あなたの妃にはさせたくないのです」


 答えを聞いた王太子は肩で息をしながら、「どういう意味だ?」と陳道仁を睨みつけた。

 ただ、一国の王太子に睨まれても、陳道仁に動揺の色は微塵もなかった。彼は淡々と言葉を重ねる。


「あなたの母である王后は、弱小派閥である白波島の出身。あなたには、ろくな後ろ盾がないからです」


 苦笑しながら言い、陳道仁は大きく首をふった。

 鬼の形相となった王太子は「おまえ!」と叫び、何度も彼を指さした。しかし、怒りに震える王太子の体は、激しい咳に襲われてしまう。彼は、非難の言葉を口にさえできない。

 またも咳きこむ王太子を見て、陳道仁は笑顔を消した。彼は、蔑みの目を王太子にむけ、さらに言葉を足す。


「それに、その咳の発作です。あなたは、あまりにも体が弱すぎる。嫁いだ娘が世継ぎを身ごもる前に、未亡人になりかねない」


 冷たく言い放った陳道仁だったが、嫌悪の表情を笑顔にかえると、「ですから」とやわらかな声で話をつづけた。


「凌靖宇殿下には、消えていただきたいのです。そして――

 緋波の血を引く、殿下の腹違いの弟君。凌翔宇殿下に、王太子の座に就いていただきます」

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