第42話 誰がための怪異劇
昼間は賑わっていたであろう港も、今は杜天佑と走る男のふたりきりだ。
追われていると気づいていて、杜天佑をふりきるつもりだろう。並び立つ倉庫と倉庫のあいだに、男は素早く身をすべりこませた。
――見失うわけにはいかない!
杜天佑はさらに足を速め、男が入っていった狭間へと身を投げこんだ。
入った先には、もう夕日の明かりは届いていなかった。暗がりの奥に、探し人と思しき男の影が立っている。どうやら行き止まりらしい。男は肩で息をしながら、その場に立ち尽くしていた。
犯人を追いつめた高揚感に駆られ、杜天佑は怒鳴る。
「おまえが首吊り鬼だな!」
声を荒げた杜天佑は、男にむかって一歩一歩、間合いを詰めていく。
「わた、しが……ゴホッ!」
肩で息をしているせいもあり、うまく話せないのかもしれない。なかなか言葉が出てこない男は、ついには激しく咳きこみはじめた。
「ゴホッ! くび、吊り鬼……だ、と?」
咳をしながらも、男はなんとか言葉を絞りだす。
「とぼけるな!」
怒鳴りつけながら、杜天佑は、咳きこむ男へとさらに近づいた。接近したおかげで、男の顔がはっきりと見える。暗くて顔色まではわからないが、男は苦しげに眉をよせており、きっと青ざめているにちがいない。その顔は、やはり杜天佑にそっくりだった。ただ、杜天佑よりもほんの少し釣り目がちで、そのぶん勝ち気な印象をうけた。
杜天佑の顔が見えるのだから、男にも杜天佑の顔が見えただろう。男は杜天佑を凝視し、驚きで目を丸くした。何かを言いかけたが、「ゴホッ!」とまた咳がでて、言葉にならない。
なかなか会話が成立せず、走った疲れもあって杜天佑はいらだった。
――少し走っただけじゃないか。こんなに咳きこむなんて、体が弱すぎる!
そのとき、自分の考えに既視感を覚えた。直後、脳裏に一つの記憶がよみがえった。
『体の弱い人でね。走ったりすると、すぐ咳の発作を起こすらしい。だから彼が姿を消すたびに、まわりの者たちは大騒ぎするのだよ』
思いだしたのは、凶宅事件の現場にやってきた段志鴻が、探し人を語った言葉だ。
その記憶をきっかけに、直前に聞いた話までもが自然と脳裏に浮かびあがってくる。
『また、王太子殿下がいなくなったのですか?』
――探し人は、王太子殿下だった。つまり殿下は、少し走っただけで咳きこむ、病弱な結婚前の若い男……
「あなたは、王太子殿下なのですか?」
あり得ない――そう思いつつも、杜天佑は確かめずにはいられなかった。
問いを聞いた直後、男は目を鋭くし、一歩あとずさる。
男の反応を見て、杜天佑は自分の推測が正しいと直感した。
――王太子殿下とわたしは、瓜ふたつだ!
驚きのあまり、杜天佑は「ははっ!」と声をあげて笑った。それから首を何度もふり、「まさか、ほんとうに?」と誰にともなく疑問を口にする。ただ、どれほど信じがたくとも、それは自分の目で見た現実だ。時間はかかったが、杜天佑は自分と王太子が似ていると認めざるをえない。冷静になるべきだとの気持ちも沸き、彼は深呼吸して状況の整理を試みる。
――わたしによく似た人物がいる可能性は、最初からあった。その人物が実在し、それが王太子殿下だった。つまり、首吊り鬼事件の現場付近で目撃されていたのは、わたしによく似た王太子殿下だったわけだ。だけど……
考えを進めるうち、この推理には矛盾があると杜天佑は気づいた。困惑した彼は、あらためて王太子を見つめる。
王太子は話そうとするが、またも咳こんでいる。
――わたしと似た人物が首吊り鬼だと思っていた。でも、その人物が王太子殿下ならば、話は変わってくる。なぜなら、王太子殿下は迷信を取り締まろうとする急先鋒。もし彼が首吊り鬼なら、自分を捕まえる破迷司など創設しないだろう。仮に彼が首吊り鬼だとしても、こんなひ弱な体で数々の殺人を犯せるのか? 木乃伊取りが木乃伊になる未来しか見えない。使用人など部下を使えば殺人に成功するかもしれないが、王太子殿下は大王に次ぐ権力者だ。彼は『無礼打ちだ』と言いさえすれば、そもそも罪に問われない。そうなると、わざわざ首吊り鬼に見せかける必要すらない。
考えれば考えるほど、杜天佑には目の前で咳きこむ王太子が首吊り鬼事件の犯人とは思えなかった。そして、はたと気づき、言葉を漏らした。
「そうだ、無礼打ちだ」
――殺人現場の近くに王太子殿下がいたが、殿下が犯人とは考えにくい。では、犯人が本当に殺したかった相手が王太子殿下だったとしたら? 王太子殿下を無礼打ちにできるのは、大王だけ。無礼打ちが不可能な相手を手にかけるなら、怪異の仕業に見せかける理由にもなるのではないか? つまり……
「殿下に危害をくわえたい者なら、だれでも首吊り鬼であり得る?」
ぽつりと推論を口にした杜天佑の脳裏に、走りだす前に目にした雷嵐の険しい表情と言葉がよみがえる。
『王太子が都を歩きまわっていて、その都で、首つり鬼を模倣した殺人事件が相次いでいる』
――雷嵐もあのとき、わたしと同じ結論にたどり着いたのだ!
杜天佑が雷嵐の言葉の真意に気づいたのと、数人分の足音が近づいてきたのは、ほぼ同時だった。
「雷嵐?」
王太子と首吊り鬼の関係に気づいたのなら、雷嵐が追ってくるのも不思議ではない。期待をこめて、杜天佑は振り返った。しかし予想は外れる。目に飛びこんできたのは、見上げるほどの大男だった。
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