第29話 破迷司の新たな事件
杜天佑が「そうです」とうなずくと、雷嵐は話をつづけた。
「お前との結婚が未練だったのなら、江若雪の望みは叶った。だから、本来なら成仏するはずだ。なのに、彼女は今も幽霊のまま。どうしても彼女を輪廻に還したいなら、彼女がこの世にどんな未練を残しているのかを突き止めなければならない」
「江若雪の未練……」
口にだしてみたが、江若雪の未練が何なのか、まったく思いつかない。彼女を救いたいと啖呵をきったわりに、杜天佑は途方に暮れてしまう。
ぶつけ合う意見もなくなり、書庫の中に重苦しい沈黙が流れた――そのときだった。
どんどん、と表門を叩く場違いに景気のいい音が響いた。
趙六の「はい、お待ちください」との声と、小走りする足音も聞こえる。ほどなくして、趙六が客を連れて「天佑兄さん、お客さまです」と杜天佑のもとにやって来た。
普段の趙六なら、客を屋敷へ通すべきかどうか、家主である杜天佑に伺いを立てる場面だ。しかし、彼はそうしなかった。
泥棒を追い払った実績のある江若雪も、その客を気にも留めず屋敷内を徘徊しつづけている。奇妙な状況と言えるかもしれない。だが、杜天佑はすんなりと受け入れた。
「杜天佑。また首吊り鬼が現れたぞ!」
焦っているらしい。趙六が伴ってきた客、段志鴻が落ち着かない様子で声をあげた。
客は、この屋敷の主人である杜天佑の上司だった。家長は杜天佑とは言え、多少の横暴は許すしかない。しかも非力な人物でもあるので、大した脅威にもならない。問題は、また新たな首吊り鬼事件が起きたとの、彼の情報のほうだ。
首吊り鬼事件と聞いて浮き足だち、杜天佑は「いつですか?」と前のめりになる。
「わたしたちが凶宅にいた頃だ」と段志鴻。
――何日も前じゃないか。どうして、今ごろ?
杜天佑が疑問に感じるなか、上司は語りつづける。
「被害者は首を吊ってはいたが、ほかにも致命傷になりかねない外傷が多かったらしい。首吊り鬼事件を模倣しただけかもと、今ごろになって捕吏たちが報告してきたんだ」
捕吏の態度を苦々しく思ってだろう。不機嫌に眉をひそめた段志鴻は「しかも現場は、きみたちが食事をしていた酒楼の近所だ」と言い、言葉を締めくくった。
『昨日の夕方、わたしが働いている店の前でだよ』
上司の話を聞くうちに、凶宅事件の帰り道で温子平が言った言葉が脳裏をよぎる。
途端に思い当たり、杜天佑は「まさか、わたしを見たとの目撃証言が今度も?」と疑問の声をあげた。
予想どおりだった。
段志鴻は「ああ」とうなずくと、「だがな、今回の件に関しては、きみを疑っていないぞ!」と強く主張し、話しつづける。
「何せ、その時間、わたしはきみと凶宅で会っていた。陳家の使用人たちも、お前の無実を証明してくれるだろう。捕吏の考えどおり、おそらく模倣犯だ」
犯人扱いされず、杜天佑は胸をなでおろす。
ただ、いるはずのない場所で今回も杜天佑を見たとの証言があった。そこだけは、引っかかってしまう。すっきりしない気分だったが、最優先すべきは破迷司の仕事だ。
杜天佑は「そうですね」と短く同意し、「それで、その新たな首吊り鬼事件を調査しに行けばいいのでしょうか?」と上司に指示を仰いだ。
すると、段志鴻はますます不機嫌な表情になり、「いや。その事件は捕吏が調査を続行するそうだ。あとで調査資料をよこすとさ」と、彼にしては低い声で言う。
事件の報告も数日遅れ、事件調査もさせてもらえない。新設の部署で人数も少ない破迷司は、明らかに捕吏たちに軽視されている。
――王太子直属の機関なのに、閑職だなんて。
王太子勢力の勢いのなさを感じずにはいられなかった。
杜天佑が切なく思っていると、上司は「頼みたいのは、別の事件だ」と言い、新たな仕事の話をきりだした。
「じつは、わたしは書画が人一倍好きでね」
――書画? 仕事の話だよな?
段志鴻が急に趣味の話をしはじめたのを、杜天佑は不思議に思った。しかし、彼は上司だ。杜天佑は、大人しく話に耳を傾けつづけた。
段志鴻が持ちこんだ事件のあらましは、以下のとおりだった。
凶宅事件を解決して段家の屋敷に帰ると、段志鴻のもとに知人から手紙が届いた。その知人は、彼が書画好きと知っていて、「面白い絵を手に入れたので見に来ないか?」と誘ってきた。同じ趣味を持つ仲間との交流は、書画を鑑賞する楽しみにならぶ貴重な時間だ。段志鴻は悩みもせずに誘いを承諾し、その日のうちに知人宅を訪れた。そして、一幅の絵を目にする。知人いわく、近ごろ
「方清舟の絵!」
段志鴻の話のなかに絵師の名を聞き、杜天佑と趙六は思わず声をあげた。
「知っているのか?」と雷嵐。
興奮冷めやらぬ杜天佑は、「もちろんですよ!」と勢いよく返事をし、説明する。
「絵に命が宿ると評判の絵師なのです」
趙六も、こくこくとうなずく。
「生き生きとした、生命感あふれる絵を描くのか?」
雷嵐がさらに質問すると、それに答えたのは段志鴻だった。杜天佑や趙六とは対照的に、彼は「いいや」と落ち着きはらって首をふり、話をつづける。
「描かれた生き物に命が宿り、うごきだすそうだ」
絵に命が宿ると聞いた途端、雷嵐はうんざりした顔で天を仰いだ。しかめ面をした彼は、「それはつまり……」と口にしながら、鬼求代の説明のために手にしていた聊斎志異をぱらぱらとめくる。そして、ある個所で手を止めると、杜天佑たちの目前に掲げて質問した。
「壁に描かれた美人と、こんなふうに恋にでも落ちたか?」
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