第三章 うわさの裏に潜む闇
第10話 首吊り鬼とは、どんな鬼か
「仕事は順調か?」
温子平がさらに問うので、杜天佑が答えようとしたときだ。
「おや。温子平の知り合いならば、もしかして彼は江家の養子か?」
近くの席の客がふいに声をかけてきた。すると、ほかの席からも「江家の養子だって? 首吊り鬼って、うわさの?」などと、がやがやと声があがる。
遠くの席からも「ほんとうなの?」と不安そうな声が聞こえてくる。
問いに答え、だれかが「どうだろう? ただ、首吊り鬼があらわれた現場の近くで、彼に似た男を見かけたって人が何人かいるらしいよ」と、声をひそめて言う。
さわぐ客たちの話を聞くうち、笑顔だった温子平の顔に怒りの色が広がる。まわりの客を見回し、彼は怒鳴る。
「なにを言う! うちの杜天佑は、やさしい子だ。首吊り鬼なわけがないだろう!」
温子平は客のひとりに目をとめ、「あんただって、小さいころから小佑を見てきたはずだ。この子がどんな子か、知っているよな?」と訴える。
すると客たちのなかに「たしかに、そうだ」などと口にする者があらわれはじめる。なかには「うちのばあさんが重い荷物を運ぶのを、杜天佑が手伝ってくれた」と話す者もいて、雰囲気はいっきに明るくなった。
ところが、悪く考えたがる者はどこの世界にもいるらしい。どこからともなく「でも、やさしい親切な子だからこそ、鬼にたぶらかされているのかもしれないよ」と、また疑いの声があがった。
温子平は「ばかばかしい」と野次を一蹴し、つづけた。
「小佑が目撃された時刻、わたしと小佑は一緒にいたんだ」
言って、温子平は「そうだったろう?」と杜天佑に目配せした。
杜天佑は深くうなずく。
ところが、また「温さんは、彼の親同然だ。かばっているのじゃないか?」と野次が聞こえてきて、場の雰囲気は刺々しさを増す。
そんな険悪な空気のなか、雷嵐が「あはは」と声をあげて笑いだしたので、人々は一様にぎょっとして彼に視線をむけた。
客のひとりが不審がって、「なにがおかしい?」と笑う雷嵐にたずねる。
雷嵐は「おかしいさ。あらわれたのは首吊り鬼なのだろう?」と問いかけ、人々を見まわした。
人々は「そうだ」と言ったり、うなずいたり。首吊り鬼以外の見解を口にする者はいない。
雷嵐は人々にさらに問う。
「首吊り鬼がどんな鬼か、おまえたちはわかっているのか?」
雷嵐の問いかけに、杜天佑は既視感を覚えた。
――段頭領に凶宅の知識を問うた言葉に似ている。もしかして、さっきと同じ状況をつくる気なのか?
凶宅は存在しない。それが雷嵐の意見だった。もし首吊り鬼にも同様の説明が成り立つのなら、この騒ぎは鎮まるかもしれない。
杜天佑は、わずかに期待を抱く。
「首を吊らせて人間を殺す鬼に決まってる!」
先ほどの段志鴻と同様に、雷嵐の挑戦的な口ぶりに影響されたらしい。客のひとりが苛立って答える。
問われたわけではないが、杜天佑も思いだそうと試みた。首吊り鬼は、よく名前を耳にする化け物だ。しかし、どんな化け物かと問われると、中元節など祭り行列の定番扮装くらいの印象しかない。
様々な化け物の扮装のうちの一つで、首に青黒い吊りひもの跡をつけ、まっ赤で異常に長い舌をだらんと垂らしている。ギョロッと血走った目に、ぼろぼろの衣装も欠かせない。凝った扮装だと首が不自然に曲がったり、異常に長かったり、首に縄が巻いてあったりもする。
首吊り鬼の見た目に思いをはせるうち、第一発見者となった先ほどの首吊り遺体が脳裏をよぎった。カッと開かれた目、口からのぞく舌。首吊り鬼の様相は、見たばかりの遺体にそっくりだ。
首吊り鬼の見た目は想像以上に現実に即しているのかもと感じ、杜天佑はぞっとした。
杜天佑が嫌な想像を膨らませるなか、雷嵐がため息まじりに「そうだが、その答えでは完璧ではない」と首をふった。
つぎに答える者はいないかと、客たちは互いに顔を見合わせる。
沈黙する人々の姿に、杜天佑は少し前の自分と段志鴻を重ねる。助ける義理もないし、嫌な想像をして気も滅入っている。彼は、黙って成り行きを見守る選択をした。
「首吊り鬼は人間に憑りつき、憑いた者自身に首をくくらせるんだ」
凶宅の話の際と同様に、雷嵐自身が結局は答えた。彼の話はつづく。
「だから、この男が首吊り鬼であるなら、憑りつかれているのはこの男自身だ。そして、首を吊るのも、この男でなければならない」
雷嵐が語った首吊り鬼の像を、まだ完全には理解できていないのだろう。人々は、反論どころか肯定すらできず、沈黙が場を支配していた。
しばしの静寂のあとだ。ようやく「その方のおっしゃるとおりです」と、声があがった。声をあげたのは、先ほどまで名調子を響かせていた講談師だ。講談を終え、そのまま食事をしていた彼は「わたしも講談で怪談奇談をよく語りますが」と前置きし、食事の手をとめて言う。
「怪異、神仙、精怪の記録を収めた説話集などでは、たいてい首吊り鬼は憑依した人間に害をなします」
怪異譚は講談の人気の演目だ。なかには怪異譚だけを専門に語る者までいる。講談師にとって、志怪小説は飯の種。講談師は職業上、怪異譚の有識者と言えた。
人は誰しも、自分を賢く見せたがる。この食事処に集まった人々もまた、その類が大半だった。この場で最も専門的な立場にある講談師の発言で、杜天佑を化け物あつかいする声は格段に小さくなった。
論じ負けて気弱になった人々に、雷嵐は勝ち誇った笑みをむける。
ただ、負けん気の強い者も少なからずいたようだ。客のなかから「では、捜神記の狸老爺さながら、古狸が杜天佑に化けて悪さをしたのでは?」との声があがった。
すかさず雷嵐が「狸老爺だと?」と問い返す。
すると発言した人物は、知ったかぶった顔でうなずいた。
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