第37話 ヰ能『存在証明』

 全身に迫り来る紅い閃光に、見開いた目が、霞み眩む。


「く、そ……!目が……ッ!!」


 此処で目を閉ざすな。


 瞑れば、お前は此処で死ぬ。


 瞑れば、僕は殺される。


「こんな、所で……ッ!!」


 決して目を閉ざすな……


 瞑れば……メイが死ぬ。


 瞑れば……ナユに、もう二度と逢えない。


「俺は……ッ!!!!」


 血肉が軋み、骨を鳴らし、全身に響き渡る鼓動が、生を求め激しく揺れ動く。


「死んでたまるか……!!殺されて、たまるか……ッ!!」


 殺意に染め上げた剣を、赤く滲ませた覚悟を、現実に眩み霞む視界へと全力で振り下ろす。


「終わって、たまる……か……ッ!!」


 眼前を斬り裂く剣が、無常にも紅い閃光に呑み込まれていく。


「死ぬのは、お前だ……ッ!お前、らが……ッ」


 深き闇を宿した目が、抗う間も無く紅い世界に灼かれ朽ちていく。


「俺は……生き、て……ッ!僕、が……」


 遠のいて行く意識に、一寸先の絶命に、ただ、成す術も無く存在が紅く塗り潰されていく。


「ナ、ユ……を……メイ、を……」


 脳裏に流れ始める空白に、握り締めていた殺意が、覚悟が、手の中から溢れ堕ちていく。


「しあわせ、に……して……」


 広がる無色透明な世界の中で、ただ独り、影の無い世界の中で、虚しさのままに奴へと向かう足を止めてしまう。


「幸せに……したかった……」


 虚な目に映る不確定な現実に、指先を左胸に当てて、ゆっくりと目を閉ざす。


「ああ……俺は」


『ずっと……待ってるから』


 背中を撫でる優しい聲に、右目から冷たい何かが溢れ、頬を伝い続ける。


「なんで……お前が、此処にいるんだ……」


 背後にゆらゆらと揺れる気配に、決して振り返らず、足元へと静かに声を落とす。


『……ごめんね』


 背中に感じる温もりに、冷え切った身体を包む優しさに、俺は、それらを否定するかの様に強く目を瞑る。


『私との約束が……私の想いが、貴方の呪いになっちゃったんだよね……貴方を、こんなにしちゃったんだよね……』


 震える聲に、俺は首を横に振り、静かに否定する。


「違う……俺はお前の想いに、何度も救われてきた……だから、此処まで生きて来れたんだ……」


 震える聲に小さく息を漏らし、背中から回された小さな手を、優しく握る。


「お前が……生きる理由だったんだ……だから、もう……」


『だめ……だったらまだ生きて、私の想いを捨てないで……私を、ずっと忘れないで……私は貴方の幸せを、ずっと願ってるから』


 背中に感じた体温が、優しさが、虚しさが、遠くに離れてしまい、思わず振り返り、揺れる幻影に手を伸ばす。


「ま、待て……ッ!待ってくれ!!お前の居ない世界に、もう意味なんて無い……!!幸せなんてある筈がない!!」


 その姿は目を疑う程に、メイにそっくりだった。


『大丈夫だから……ずっと近くで見てるから。貴方は、独りじゃないから……』


「いやだ……ッ!俺も連れて行ってくれ!!俺を独りに、しないでくれ……ッ!!」


 ナユは瞳に涙を浮かべ、優しく微笑む。


『……わたしを幸せにするって、前に言ってくれたよね……?』


 小首を傾げ、悲しそうに笑う姿に、メイの影が色濃く重なる。


「メイ……!?メイ、なのか!?メイが、俺の……ッ!!おれ、の……あ、ああ……!!」


 必死に伸ばしていた手が、残酷な現実に触れ、指先が幻を掻きながら崩れ落ちていく。


「護れな、かった……!救えなかった!!俺は!!お前との誓いを……ッ!果たせなかった……!もう、死んだん、だ……俺は……俺達は……ッ!!」


 虚しさを握り締め、自分の弱さを呪い現実を強く噛み締める。


『ううん……私の想いが、貴方を絶対に死なせないから』


 ナユは、俺の頬に触れ、俺の目と合わせる。


『私の想いが……貴方の存在を護るから』


「俺、の……存在を……?」


 その目は赤く、白く染まった景色を、世界を、赤一色に塗り替える。


『だからもう……泣かないで』


「……泣いて、ない」


『ちゃんと前を見て……決して目を逸らさないで……』


 頬に優しく触れられ、瞳に溢れる何かを拭い取られる。


『私の想いを武器にして……だから、絶対に負けないで』


 そうだ……俺は負けられない。


 死んでも、負けられない。


 死んでも、護らなければならない。


 死んでも、彼女を幸せにする。


「ああ……そうだ」


 それが俺の、存在理由だからだ。


「俺が、お前を幸せにする……絶対に」


『私の全てを、君にあげる』


 ナユは俺の身体を強く抱き締め、俺の耳元で大きく深呼吸をする。


『制約解除……存在証明PARADOX


 刹那、ナユの身体が赤く光り、抱き返そうとした俺の手の中で形が崩れ、その姿が変わり果てていく。


「これは……これが、俺の……」


 受け取った強い想いが、閃光に消えた剣となり、俺はそれを力強く握り締める。


『もう二度と……私を離さないでね』


「……分かっている」


 大きく見開いた目は赤く、鼓動する心臓に迫る閃光が視界に映し出される。


『ずっと待ってるから……私は、貴方を信じてるから』


「ああ、分かってる……だから、もう少しだけ……俺を待っていてくれ」


 赤い世界を背に、地を強く蹴り進み、不条理な運命へと赤く光る剣を振り翳す。


『……最低、だよね』


 赤黒い世界から飛び出して行った背に、孤独にぽつりと声を落とす。


『それでも貴方には……前に進んで欲しいから……貴方の幸せを、生きる理由を見つけて欲しいから……その先で、私は貴方をずっと見ているから……君をずっと待ってるから……』


 かつての淡く尊い二人の記憶が脳裏に焼き付き、孤独に涙を流す。


『またいつか、必ず逢えるから……だから、貴方も……立ち止まらないで……』


 遠く離れて行く影に、無理矢理に笑顔を作る。


『ずっと、大好きだったよ……──』


 受け取った彼女の想いは、微かに血の匂いがした。


「俺の存在を……今、此処に証明する」


 紅い閃光を穿つ赤い剣先に、見開いた最果ての世界へと足を踏み入れる


「見えたぞ……マヒト・アシュレイ」


 赤い空の下、広がる黒い草原の先にはマヒトが佇み、俺の存在に目を見開く。


「まさか……僕の領域に到達するとは……いやしかしこの空は……」


 此処は……恐らく奴の剣技が創り出した異世界というやつだろう。この世界に俺達二人以外の気配は感じ取れない。


 だが……そんな事は心底どうでもいい。


「……邪魔だ」


 困惑する表情に剣を構え、俺はマヒトへと飛び掛かり赤い刃を振り翳す。


「この速さはッ!?」


 降り掛かる剣速に、マヒトは神業の如く鞘から剣を一瞬で引き抜き斬撃を繰り出す。そして、眼前に舞い散る火花に口角を上げ、俺達を笑う。


「そうか……!そういう事か!!漸く見つけたんだな!!本当の意味を……ッ!!君の存在理由を!!」


「護る者は変わらない……ッ!お前を殺す事も……!!何もッ!!」


 俺の言葉にマヒトは受け止めていた剣を弾き返し、身体に紅いオーラを色濃く滲ませ始める。


「分かっているさ……ッ!!だから嬉しいんだ!!これでやっと、僕自身に証明できる!!」


 全身を巡る紅が刀身を伝い、奴の目に深紅を宿す。


「これで君を本気で殺せる……!!本気で剣を交えられる!!」


「お前は俺を殺せない……ッ!!俺はもう、何も失いはしない!!」


 俺は赤く光り輝く刃を前へと構え、奴が握る剣を凝視する。


「抗ってみせるさ……!!神速覇斬しんそくはざんッ!!!!」


 夥しい斬撃の数が赤い空を埋め尽くし、一斉に俺の身体へと襲い掛かる。


「ナユ……!!見ていてくれ!!お前の想いが!!俺の剣が……ッ!!」


 千をも超える刃の中で、神速の刃の中で、一本の赤い剣が俺の存在を護り続ける。


「奴の剣に、打ち勝つ瞬間を!!!!」


 俺の鼓動を抉り斬ろうと何度も迫る斬撃を弾き続ける。そして僅かに晴れた視界の先に、マヒトはただ独り、剣を振い斬撃を繰り出し続けていた。


「勝つのは僕だ……!!孤独こそが真の強者だ!!僕こそが孤独だ!!」


「下らないな……ッ!」


 俺はその僅かな隙間へと飛び込み、斬撃の雨へと身体を捩じ込ませ、奴の眼前へと辿り着く。


「此処は僕の世界だ……ッ!!君を殺す事が!!僕の存在証明だッ!!!!」


「そんなに独りが良いなら……俺が送ってやる」


 無数の刃の下で、奴の存在に赤い剣先を赤い大空へと掲げ、首筋へと豪快に振り翳す。


「孤独こそが、アンタの証明なんだろ……?」


「……ああ、そうさ!!」


「俺が……見えているんだろ?」


 瞬間、奴の剣が怯み、斬撃の雨が止んだ。


「アンタは独りじゃない……人は、孤独には生れない」


「君が……ッ!!」


 振り下ろす剣を寸前で受け止められ、鍔迫り合いとなる。


「今を生きる誰かが、アンタの事を想い続ける限り……誰も孤独には成れやしない」


「その誰かの想いを……ッ!!紅く染め上げたのは僕達だと言っている!!僕の向かう先は孤独だと、君は確かに言った筈だ!!君と僕は……ッ!!」


「同じ……なんだろ?」


 力のままに剣を押し込み、奴の身体を、一歩、また一歩と後退させる。


「何だ……ッ!?この力は……ッ!?」


「お前が望んだ力だ……!お前が求めた剣だ!!お前が否定した……存在だッ!!!!」


「ふぅ……ッ!!はぁあああああ!!!!」


 赤い剣が軋み、悲鳴を上げ始める。


「な……ッ!?」


「想いだけでは何も変えられない……ッ!!今を生きる孤独こそが!!僕等の力だろう!!!!」


 握り締める赤い剣に亀裂が走り、視界が激しく揺れだす。


「ナユ……ッ!!」


「振り返るな!!それはただの残骸でしか無いい!!」


 剣を弾き上げられ、剣先が赤い空へと戻される。


「恐るな……!!僕の世界を!!!!」


「此処は俺の世界だ……ッ!!俺と……!!ナユのッ!!!!」


 双つの剣先が向けた赤い空が紅く滲み、同時に剣を互いの存在へと刃を振り翳す。激しく繰り広げられる剣戟は神の領域に達し、繰り出す斬撃によって生じる衝撃波が世界を歪ませ、互いの存在を叫び続ける。


「さっきまでのスピードはどうした!!僕を否定してくれるんだろう!?」


 速い……ッ!!これが奴の……マヒト・アシュレイの剣なのか……!!


「僕の世界に……!!君という存在を咲かせてくれ!!君という存在で満たしてくれ!!」


 もっとだ……ッ!!もっと速く!!奴の剣速を上回れ!!神速を超越しろ!!


「僕は……!!君という可能性を信じている!!あの赤い空の下で!!君は証明してくれた!!僕に!!君という存在を見せてくれた!!」


 限界なんて無い……!!絶対にある筈が無い!!ナユの想いは……!!俺を信じてくれている!!俺を強くしてくれる!!


「振り払ってみせろ!!僕という存在を!!君自身の呪いを!!世界の終焉を!!!!」


 ナユの想いが……!!俺の全てだ!!!!


「こんなモノか……」


 激しい剣戟に、想いが、限界を超えて、崩れ落ちていく。


「何、だと……ッ!?」


 突如として、赤い空が夕暮れの空となり、それが急速に回転しては暗い星空へと変わっていく。


「酷い奴だな……君は」


 散らばる赤い欠片が、星空へと消えていく。


「な、ナユ……!あ、ああ……ッ!!」


「君の想いは、強さは、確かに理解出来た……だが、僕には届かなかった」


 背後に佇む奴の声が、存在が、離れていく。


「か、は……ッ!?」


 全身に斬撃が刻まれ、黒いコートを鮮血に染め上げる。


「僕は……僕達は、初めから孤独だった……それが僕の、そして君自身の最期の証明だ」


 力無く身体が地へと崩れ去り、激しく鼓動していた心臓が弱々しく響き、小さく漏れる息に、流れる赤い血に、確かな死を感じさせられる。


「ナ、ユ……」


「ユースぅぅぅうううう!!!!」


 目には色を無くし、虚な目を開けたまま、残る僅かな生を酷く恐れながら、俺は、彼女の最期を見詰め続ける。

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