第13話 逃げ込んだ先

 遠くから消防車のサイレンの音がする。

 すぐにでも離れなければ。ここで起こったことを誰が信じてくれるというのだろう。



「泣くのは後にしましょう、新司さん!

 車、どこに停めてますか!?

 新司さんなら、綺人さんを抱えて走れますよね!」



 猶予はあと何分?

 鬼から逃げて、次は人間から逃げなきゃいけないなんて、損すぎる役回りだ。

 綺人の状態確認をする暇もない。早く車に逃げ込んで、そこで手当てを、



「車……、ここから徒歩15分の空き地に停めています。

 アヤトさん抱えてたら、騒ぎで集まる人にみつかっちゃう」


「どうしてそんな遠いところに停めたの!?」


「迂闊にパーキング使ったら、履歴が残るから……!

 怪しまれないギリギリの距離です!」


「ああっ、間違ってないけど今は困る!

 とにかく工事現場から出ましょう、隠れられる場所ならもうどこでもいいから!」


「わかりました、マップ検索します」



 今から悠長にスマホで? と思ったら、新司は軽くまばたきをしただけだった。

 新司は確信を持った目で、ごちゃごちゃした路地を指さした。



「徒歩二分とありましたが、走ればすぐ到着します。

 タクミさん、上着を貸してください。アヤトさんにかけます。

 あのセキュリティならそれだけで平気!」


「え、あ、うん!?」



 新司の勢いに気圧されながら上着を脱ぐ。新司は軽々と綺人をお姫様抱っこした。

 綺人の顔と胸元が隠れるように上着をかける。これはこれでものすごく怪しいけど、仕方がない。



 新司が先導するのを追いかけて路地へ飛び込む。

 このあたりも、そのうち開発区域になるのだろう。古い建物が多く、道が狭くて整理がなっていない。

 全く迷わず、するする走る新司が『そこ』に飛び込んだけれど、巧貢は急ブレーキをかけてしまった。



 巧貢の人生に、一度も関わりがなかった場所。

 ラブホテルだった。

 昭和っぽくて、ネオンに品がなくて、いかにもそれらしい名前の看板。壁はピンクだったのが汚れ、灰色がかっている。

 周囲の建物も似たようなものだから、これだけビカビカ光っても大通りから隠れているようだ。

 安上がりに忍ぶには格好の場所だろう。



「はやくー! 入っちゃいますよ~!」



 隠れるのにはうってつけで、綺人の治療もできるし安静にもさせられる、と思う。

 巧貢は顔を真っ赤にしながら飛び込んだ。どうにでもなれぇ!



 狭苦しいロビーは、外観に反して地味で、人がいなかった。

 観葉植物、自販機、壁にたくさんのパネル。……?



「これ、どうすればいいの」



 ホテルなのだからチェックインしないと、と思う巧貢を放置して、新司はさっとパネルを眺めてタッチした。

 鍵がことんと下の受け皿に落ちてくる。

 新司は鍵をひっ掴み、二階の階段へ巧貢を手招いて駆け上がった。



 人と顔を合わせないで部屋に入れるんだ、そうか、見られたくないものね。

 そういうものなんだ。なんだか知りたくなかった。いや知っておいたほうがいいのかな。



 新司が鍵を開けて飛び込んだ先は、狭いワンルームだった。

 同じホテルと名がつくもので、少し前まで極楽浄土のペントハウススイートにいたから、余計に狭く感じる。

 部屋のほとんどはダブルベッドを置くだけでぎゅうぎゅう、隙間にちゃぶ台みたいなテーブルがある。

 狭い!



「アヤトさん、アヤトさん、起きて……」



 新司が綺人を壊れ物のようにベッドに寝かせる。明るい場所で見ると出血はかなりのものだった。もう口から流れ出てはいないけれど、これは危険なのでは?

 巧貢は洗面所でタオルを濡らした。お風呂もトイレも狭かった。

 綺人の顔を濡れタオルで拭く。治療なんてわからない。病院に連れて行っていいのか判断もできない。



「ごほっ……、ぐ、かはっ」



 血の塊を吐き出し、綺人が大きく息を吸った。生きてる、呼吸してる!

 新司がへたりこみ、安堵で号泣した。勢いで綺人に抱きつかなくてよかった。あの馬鹿力で今の綺人をハグしそうなら、さすがに止めていた。



 綺人は薄く目を開けた。ぼんやりと周囲を確認している。意識もあるようで、心底ほっとした。

 綺人がなにかを指さすと、新司はそれだけで察して、ベッド脇のメモ帳とボールペンを綺人に手渡した。

 綺人が、左手だけでメモに字を書く。よれよれの字のメモが、巧貢に投げて寄越された。



 『 おつかれさん 』



 それだけ。



 巧貢の目から涙がこぼれた。

 何の感情から来るのか、自分でもわからない。いろんなものが混ざり合って、全部押し寄せて、ぐちゃぐちゃになって。



「うぅ~……っ、……っ」



 すすり泣く巧貢の頭を綺人が撫でて、新司が巧貢の背中をさすってくれた。

 やっと、倒せた。解放された。

 鬼を倒したんだ……!



 綺人が目だけで新司に指示し、ペットボトルの水でうがいしている。

 起き上がるのは難しそうだが、綺人は生死の境、というほどじゃないようだった。

 彼なりに計算しての行動だったのか。

 それにしては危険すぎる。もし巧貢が我に返らなかったら、全滅だった。



 『 つぎの おに どこか わかるか 』



 綺人の文字に、新司は首を横に振った。



「岩嶽は、タクミさんとせれなちゃんが感染してたから手がかりがありましたけど、他は不明です。

 自分から表に出て来るタイプ、岩嶽だけですよね。

 これからは、あちこち探し回らなきゃいけなさそうです」



 巧貢は固まった。

 何の話をしてるのかな、このふたり。



「あの、すみません。

 鬼、倒したんですよね」


「はい! タクミさんかっこよかったですよ! ばしゅーんって、どかーんって!!

 地の鬼『岩嶽』、消滅確認しました。タクミさんの感染も、きれいさっぱりなくなってます。

 あと三匹ですね!」


「さんびき」


「……?

 地を倒したから、風と、火と、水が残ってますよ」



 巧貢の目の前が暗くなった。

 あれで終わりじゃなかった。

 あんなのが、あと三匹。

 全然終わってなかった!



 綺人がまた、メモに文字を書いて巧貢に投げた。



 『 ここで にげるか 』



 巧貢は、時間をかけてメモの言葉を理解した。

 巧貢が感染していた鬼は岩嶽。ほかの三つの鬼と、巧貢は現時点で無関係。感染もしていない。

 命の危険がなくなったのだから、戦う理由はない。

 普通の生活に戻ることができる。



 今更?



「逃げないですよ」



 ごめんね、と山本に、心の中で呟く。

 山本の仇討ちという名目。本当に名目だった。巧貢は、そこまで彼に心を砕いていなかった。

 なにか理由が欲しくて、自分が生きるためと、友達の無念を晴らすため。そう自分に言い聞かせただけ。



 僕は少し、普通じゃないよね。



 恐怖は感じるけれど、いつの間にか冷める。感情が薄いのか、激しく昂ってもすぐに冷める。

 冷静な自分だけが残って、何をすべきか把握して動く。

 『普通』でいいんだよ、と両親がいつも言ってくれたから、『普通』でいようとしていたけれど。



「三鷹さんから受け継いだものを無駄にはしません。

 他の人に渡せるならともかく、できなさそうだし」



 次の名目は、神器だった。

 これを持っているのは自分だけ。だから戦う。

 正義感とか使命感ではない。

 理由があるから、やるべきことをやっている。掃除当番みたいなもの?

 サボることはできるけれど、サボったら心が気持ち悪い。



 自分の命がかかっているのに、掃除当番だって。

 はは、なんだそれ。しっくりくる、おかしいくらいに。



「僕は戦います。最後の一匹まで鬼を倒します。

 だから、そろそろ教えてくれませんか?

 怯えたりしないし、他言もしません。

 お二人は何者なんですか」



 綺人は少し悩んだ様子で、新司を見た。

 新司はにぱあっと笑顔で、大きく頷いた。



「タクミさんなら大丈夫だと思います!

 絶対、ひみつにしてくれます。

 僕、タクミさんと友達になりたい。なれたらいいなって思います。

 だから教えたいです」



 新司が巧貢の手を掴み、ぶんぶん握手した。

 握力がすごくてかなり痛かったが、巧貢は笑顔で返した。

 友達……。

 友達になれるかな。こんな自分でも。



「ええと、僕が何者か、ですよね。

 僕はですね! …………」



 新司が真顔になった。

 うーんうーんと悩んで、綺人に助けを求める。



「アヤトさん! 僕ってなんでしたっけ?」


 『 そうなるよな 』



 すでに書いていたメモを、綺人は呆れながら二人に見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る