鬼が、感染る。ただの大学生、起つ。

真衣 優夢

第1話 祠が壊れた

 遠くから雷鳴が聞こえる、真っ暗な空。

 友人の山本は、「あっ」と小さく声を上げた。

 少し後ろを歩いていた綿枝 巧貢(わたえだ たくみ)の目に、友人の表情が不自然にこわばったのが見えた。



 山本の足元にあったのは、最初は岩かと思った。

 40cmくらいの石の塊だったから、間違ってはいない。

 ほぼ立方体に形成されていて、周囲に苔や削れ、黒い染みがある年季もの。

 漆塗りの木でできた、古い小さな扉が劣化しつつもついていて。

 中はくりぬかれ、地蔵っぽいものが彫り込まれていた。



 それが、真ん中からまっぷたつに割れていた。

 岩なのに。こんなにきれいに割れるなんて。

 鉈でも振り下ろしたかのように縦に割れ、地蔵も半分に割れていた。

 片方は立ったまま。片方が、ごろんと山本の足元に倒れて転がる。

 今倒れたということは、さっきまでは立っていたということ。



「タクミ……。

 俺、なんか今、蹴っちゃったかも」



 隣の市にあるトレッキングコースに行ってみようと、万全の準備をした日曜日。

 快晴のはずだった天気予報は外れ、昼過ぎから雲行きが怪しくなったので、早々に切り上げるところだった。

 まだ雨は降っていないが、雷はごろごろ鳴っている。日差しは完全に雲に覆われた。



 帰路を急いだため、行きとは違うルートに入ってしまって。

 焦らずに道を確かめようと、巧貢が提案した矢先のことだった。



 巧貢はしゃがんで、割れた岩を確認した。

 彫刻された岩には、屋根のような形が上にあって。

 扉は中の地蔵もどきを守るというより、顔部分だけ格子になっている様は、まるで独房のよう。

 ぞく、……と、背筋が寒くなった。

 なんだかわからないけれど、とてもまずいことになったと思った。



「山本。これ、くっつかないかな」



 巧貢は転がっている岩を掴んだ。想像よりも重かった。腰から力を入れて、割れた半分をどうにか立てる。

 もう片方の横に並べようとしたら、そっちがごろんと倒れてしまった。



「俺もやる、こっち持つ。うわあ、重っ」



 巧貢も山本も焦っていた。 

 きっとこれ、壊してはいけないやつだ。

 山本が蹴って壊れたのか、もともと壊れていたのかはわからない。

 山本と巧貢は協力して、左右から押して岩をくっつけてみた。



 ひび割れは一致し、一見くっついたように見えたが、中の地蔵はくっつかなかった。

 地蔵の中央部分が激しく割れている。割れた時、小さな欠片になってしまったのか。穴みたいになっている。

 


「タクミ、どうしよう。これ絶対直んない。

 とりあえずこの状態で、ロープで縛る?」


「ばらばらにしておくよりもマシかな……」



 巧貢が支え、山本が岩の上と下を、アウトドア用ロープで縛った。

 地蔵の部分にはできるだけ触れたくなかった。

 地蔵と言ってもそれっぽいだけで、しっかり見るとのっぺらぼうに近かった。



 山本が頑張ったおかげで、岩は見た目だけ、左右がくっついた状態を維持した。

 ぽつ、ぽつぽつ。

 雨が頬に当たる。降ってきた。



「山本、早く帰ろう。雷雨になったら迷子になるかも」


「おう、帰ろ。もう帰ろ」



 山本は、雷雨よりも別のものに怯えた顔で、先に立って歩き始めた。

 巧貢がリュックから雨合羽を出して羽織るのと、雨がどしゃ降りになるのはほとんど同時。

 歩きながら少しだけ振り返っても、あの岩は、雨霞でもう見えなかった。





 あの日から、たった二日しか経っていない。

 大学の入学式で着たっきりのリクルートスーツを喪服代わりに、巧貢は告別式の会場を後にした。



 山本が死んだ。



 死因は開かされなかった。

 棺桶の蓋は閉じられていて、顔を見ることはできなかった。

 遺影で笑う山本の顔は普段通りで、「タクミ、次の休みトレッキング行こうぜ!」と話しかけてきたのは、つい先日のことで。

 実感がわかない。元気だったのに。明るかったのに。

 山本は、死につながるすべてに不相応なタイプだった。



 山本は、同じ授業で隣になったことがきっかけで仲良くなった。大学二年生になっても関係は変わらず、たまに二人で遊びに行くようになった。

 巧貢は今更、あることに気づいて愕然とした。



 山本。

 仲がいいと思っていた友達のファーストネームを、巧貢は知らなかったのだ。

 相手はともかく、自分の中ではさほどの興味がない人物だったなんて。

 そのことが一番ショックだったかもしれない。



 小学生、中学生、高校生と、巧貢は何事もなく過ごした。

 成績も普通。人づきあいも普通。友達はいたけれど、クラス替えや卒業でフェードアウトする。

 新しい学校では問題なく友達ができたから、気にすることもなく。

 ただ周囲がそうするように進学し、周囲がそうするように就職するだろうと思っていたし、それに疑問を感じなかった。

 巧貢の人生は、少々退屈なくらいの『普通』だった。



 友人が亡くなるなんて、そんな大きな経験は一度もなくて。



「僕は、山本の名前も知らずに友達だと思ってたんだ。

 卒業したらそのうちいなくなる程度だと、そんなふうに思ってたんだ。

 僕は、ぜんぜん友達じゃなかった」



 自分の薄情さが胸に突き刺さる。

 平穏に過ごす毎日に慣れ切っていた。

 すぐ近くの人を大切にすることさえ、適当になるほどに。

 当たり前に友達で、当たり前に仲良くて、当たり前に離れていくと思っていたんだ。



「山本。圭太って名前だったんだね。

 山本はずっと僕を、タクミって呼んでくれてたのに。

 僕、なんで山本の名前を聞こうともしなかったんだろう」



 『そこまで興味がなかったから』。



 山本は山本だと思ってた。

 なんだよ僕、最低じゃないか。

 人間として駄目じゃないか。



 山本の母に聞かれた。

 山本に最近なにかあったか。変わったことはなかったか。

 巧貢は何も答えられなかった。

 変な岩を山本が蹴って壊したかもしれないなんて。伝えてどうなる。



 山本が呪われて死んだ……?

 もし、頑なに明かされない死因がソレだとしたら、同じ場所にいて、同じものに触れた巧貢も、同じように、



「おい、お前」



 急にがしっと肩を掴まれた。後ろから。

 巧貢は飛び上がりそうに驚いて振り向いた。

 長身でサングラスをかけた若い男性が、巧貢の背後に立っていた。



「なあお前。

 最近、ヤバいものに接触しなかったか?」




巧貢 ヴィジュアルイメージ

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093089543220708



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