戦後戦車コンペ

 ルノー社が開発した500馬力エンジンが講和交渉中の5月に完成し、それを搭載した試作車両が8月に複数台完成した。


 ルノー社の500馬力エンジンはソ連で史実では作られることになる水冷60度V型12気筒ディーゼルエンジンを現在の技術力で再現した品であるが、コストはかかるが超ジュラルミン合金へと変える事で軽量かつ、元のエンジンと同じく500馬力を生み出すことに成功した。


 1916年という年代に出てきて良いエンジンではない。


 開発者はルノー1916式水冷V型12気筒ディーゼルエンジンと呼び、動作問題の洗い出しが終わったタイミングで戦車開発メーカーに提出した。


 今回戦車開発にルノー社、シュナイダー社、ソミュア社、ルーク社、PM社、オチキス社の6社が名乗りを挙げ、戦争終結後の9月にルーク社とPM社、シュナイダー社とオチキス社が共同開発になったりと紆余曲折ありながらも各社の戦車開発が進み、軍から重量制限や主砲として75mm砲を現状搭載でき、将来的には100mmの砲を載せられるだけの拡張性を有していること等の要望を盛り込まれ、戦車が作られていった。


 そしてコンペが行われる実験場には4両の戦車が並んでいた。


 全車両に共通して主砲は開発されたばかりの75mm長砲身対戦車砲が搭載されることが決まっており、垂直装甲に対しては徹甲弾で100mmをちょうど貫通できる性能をしており、傾斜装甲に強い粘着対戦車榴弾という砲弾の先端が着弾時に粘土を叩きつけたように変形する砲弾の場回だと80mmをどの傾斜角度でも貫通することができ、火薬の量も粘着対戦車榴弾の方が通常の徹甲弾に比べて5倍近く入っており、加害範囲の大きい砲弾も使うことができた。


 そして通常の榴弾も発射できる火砲先進国フランスの技術を集めた20年は一線級で稼働できると開発者が豪語する砲であった。


 そんな砲を搭載する戦車達で、まずルノー社は前回のコンペの失敗を踏まえてコンセプトをソ連系に固め、ルークマーク4の順当進化であるソ連のT-34-85のコピーとも言える戦車を開発してきた。


 ただ史実のT-34-85より全体的に大型化し、重量も34トンある。


 装甲は前面60mm、側面45mm、背面25mmの傾斜装甲になっており、装甲厚に関しては史実T-34の42年型に近い数値となっている。


 しかし史実のT-34が居住性が劣悪であった為にそれを改善するために3人乗りの大型砲塔と車体を大型化、広がったスペースにより戦車に身長制限をかけなければならないという馬鹿げた事も無くなっていた。


 足回りはクリスティー式かつ大型転輪を用い、幅広の履帯で泥地や砂漠、雪道でもスムーズに動くことができた。


 ただ内部構造までは真似をすることはできず、トランスミッションやギアは大きく変えられており、ギアは史実が4ギアに対して生産性は落ちるが滑らかにギアチェンジができるようにと8ギア式に変更し、砲塔も砲塔旋回補助装置が導入され、乗員の負担軽減が行われていた。


 続いて出てきたのはシュナイダー社とオチキス社の戦車でシュナイダー社は戦争にて快速戦車が活躍したことで軽戦車のジャンルを発展させるべきと考えていた。


 オチキス社は戦車開発の技術がたりておらず、シュナイダー社と共同開発することで不足している技術を補う形だ。


 出てきたのはアメリカのM18ヘルキャットに似たシルエットで、前面30mmの傾斜装甲に側背面15mmの垂直装甲、砲塔も無蓋の砲塔で天板が無く、軽量化を図られていた。


 その代わりに最高時速は史実ヘルキャットをも超える90キロを実現する高速戦車である。


 ただ技術レベル的に限界な所も多く、軽量なので砂漠などでも快速に動くが、エンジンをフルで動かすと焼き付く欠点があり、緊急時以外は時速70キロが限界であった。


 しかし素早く陣地転換が可能で火力支援をするには最適かつ、オープントップの車両なので装填作業が広い空間でやれるので密閉式の車両よりも分間火力が高い等の利点があった。


 オプションパーツ雨天時に仮の天井と壁を取付ける装置もあり、悪天候時でも車内に雨が侵入してくるのを防ぐ事もできた。


 ソミュア社はドイツから鹵獲したカイザー戦車から重戦車を作り、50トンするパンター擬き……ARL-44擬きとも言える車体を作り上げた。


 重量増加に対する足回りの改造でクリスティー式ではなく縦置きコイルスプリング方式であり、板バネを使いのに変更され、随分と野心的な設計であると言える。


 信頼性は高いが、50トンの車体には500馬力では馬力不足であり、最高時速は30キロ、航続距離も100キロと他の車両に比べても鈍重な車体である。


 しかし、防御力は凄まじく、前面80mmの傾斜装甲に側面も70mmの垂直装甲、砲塔に至っては150mmの防御力があり、傾斜しているため凄まじい重装甲になっていた。


 最後にルーク社とPM社が共同開発したのはAMX Chasseur de charsと史実ではペーパープランで終わった戦車を再設計したものである。


 特徴的なのは大きな砲塔で、弾薬を多く収納することができ、他の車両が60発程度に対して本車は100発もの砲弾を収納することができた。


 車体重量は25トン。


 装甲は前面60mmの傾斜装甲、40mmの側面装甲となっており、砲塔が流動的かつ被弾しても跳弾を狙える形状をしており、75mmの実数値ながら120mm程度の装甲となっていた。


 足回りはクリスティ式かつ幅広履帯でルークマーク4からの経験で奇しくもT-34と酷似し、性能も似通っていたが、最高時速は50キロを出すことができ、エンジン出力が上がれば装甲厚や最高時速を上げる改良を加えられる拡張性を秘めていた。


 ルーク社とPM社が開発で話し合ったのは主力戦車に成りうる戦車であり、大きな車体は様々な戦車に改造することが可能という触れ込みであった。


 それにルーク社とPM社の戦車は最大で120mm砲を搭載することや大型の無線機を砲塔内に搭載することが可能であった。







 それぞれの戦車が出揃い、性能試験を試験してみた結果、どれも甲乙付けがたいという評価をいただいた。


 戦車戦で前衛を担ったり、防衛において力を発揮する重戦車、快速な足回りで敵陣奥深くまで浸透する快速戦車、走攻守纏まった中戦車……どれも陸軍としては欲しい戦車であり、軍の話し合いの結果、拡張性と将来性からルーク社とPM社の戦車がコンペで勝ち上がり、主力戦車を意味するMBTⅠという名前が与えられた。


 またコンペで出された車両もT-34はMT-34(34トンの中戦車)、M18はLT-18(18トン軽戦車)、ARL-44擬きはHT-50(50トン重戦車)の名前が与えられ、それぞれ採用されることになる。


 フランスの戦後戦車として歩み始めることとなる。




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