ルークマーク1(キメラ戦車) フランス海軍も頑張ってます!

 航空機用エンジンを作っていた研究チームが三菱の自動車用エンジンである4G31というエンジンの再現に成功し、このエンジンが従来の3倍強である95馬力を発揮できるエンジンであった。


 研究チーム名のシェル(空という意味)からシェル1型エンジンと名付けられた。


 冶金技術の差などで実際の4G31エンジンより出力は落ちているが、既存のエンジンに比べて低燃費かつ軽量、小型であるにもかかわらず高出力で、開発完了報告を受けてシャルルは研究チームに試作エンジンの複製の許可を貰い、シャルルの戦車研究会でもエンジンの複製に成功し、それを戦車に乗っけて実験したところ、時速25キロかつ燃料タンク拡張をしなくても走行距離150キロを達成した。


 研究チームは大いに喜び、これならばもう少し大型な砲塔を乗っけて将来性を得ることができるとし、残りの時間で砲塔を更に大型化や砲塔旋回をバッテリーとモーターを組み合わせることで半自動旋回砲塔へと改良。


 1人用砲塔から2人用砲塔へと代わり、砲手兼車長と装填手が分離したことで、分間5発だったのが分間10発へと砲弾の射撃が可能となった。


 ルノーの車体にソミュア S35の砲塔を乗っけたみたいな見た目となり、今度は砲塔の大きさに車体の大きさが釣り合って無いとされた為に車体を1回り大型化。


 総重量は6.5トンから8トンへ増量となったが、馬力が上がった為に機動性は時速20キロ、車体拡張により燃料タンクの拡大で走行距離200キロの軍からの要望を完璧に答えた上で、性能を向上させた。


 これを見た転生者軍人から1言……。


「ルノーの原型がねーじゃん。車体はイギリスのMk.VIIIハリー・ホプキンス軽戦車とかソ連のT-26が近いか? それにルノーの砲塔を拡大したのが乗ってる……キメラだな」


 まあ第一次世界大戦前の段階で戦間期初期の戦車ができただけでもありがたいと思ってもらいたい。


 エンジンも無理に最高出力を出そうとはせずに安定性を取った為に故障率も低い。


 強いて言うならバッテリーの安定性が低く、故障しやすい為に砲塔回転を全自動にはできなかったという欠点があるが……故障しても遅くなるが手動で回転させられるのでまぁそこは改良待ちである。


 完成した試作2号車は軍に引き渡されて検証が行われ、脱出用ハッチの位置の調整をして欲しいと言われたくらいで良好という結果が出た。


 生産ラインを作るようにシャルルのルーク社に言われ、大口取引として親父も大喜びで設備投資と戦車工場を建設した。


 1910年の春に量産が始まったルーク社の社名からルークマーク1と呼ばれる車両の詳細がこちらだ。


 全長7m

 全幅2m

 全高2.25m

 重量8トン

 速度20キロ(非整地15キロ)

 行動距離200km

 主武装 21口径37mm試作戦車砲

 またはホッチキスMle1910重機関銃(7.62x51mm弾対応)

 装甲 

 前面22mm

 側面20mm

 背面18mm

 エンジン 直列4気筒ガソリン シェル1型エンジン 95馬力

 乗員3名 運転手、装填手、車長


 軍からの総評は


『試作車両より全体的に大型化したが、8トンという軽量に纏め、機械的信頼性を担保している』


『主武装は軟目標に対して有効であり、対戦車を想定した場合は非力であるものの既存の戦局を打開する力を持ち、機関銃に対して凄まじい力を発揮する』


『先行量産機に関しても多少の不具合はあったものの、稼働率95%前後を維持し、泥地での走破性も極めて良好であった』


『この車体をベースにした自走砲や対戦車を目的とした対戦車自走砲の開発にも着手してもらいたいところである』


 と結論付けられた。


 シャルルはこのルークマーク1の完成を卒業成果として大学を卒業し、そのまま親父からルーク社の車両責任者に抜擢されるのであった。







 ルーク社に18歳で戻ってきた俺は軍用品であったシェル1型エンジンを幻想会と開発元のシェル研究会から利用権利を借りて、シェル1型エンジンを使った民間自家用車の開発に着手。


 目標をフォルクスワーゲン・タイプ1通称ビートルと定め、最初は箱型の車体で作っていき、冶金技術及び金属加工技術の進歩で曲線の多い車体形状に進歩させていこうと大学から引っこ抜いてきた転生者の技術スタッフと共にフォード・モデルTツーリングをモデルとしたルークモデルAという車を開発し、売り出しを始める。


 既存の車よりも低燃費かつ馬力が出ると話題になり、遅れて生産が開始されたルノー社の新型やシェル1型エンジンをベースにした車体よりも大量生産方式を早期に導入して価格を下げたルークモデルAはソコソコ売れる事になった。


 親父は大喜びであったが、メインの収入源は戦車の生産であり、なるべく戦車のパーツを流用した民間転用品を作ることで戦車の価格を抑える取り組みが行われた。


 たとえシェル1型エンジンを車両に流用するのは勿論、戦車の足回りの一部を農業用トラクターの足回りに転用したりと流用できるパーツはとにかく民間と互換性を持たせることで自動車の生産ラインを戦車の生産ラインの生産コストを切り詰めた。


 それによって値段を下げて利益を出し、ルーク社の規模拡大に充てるのであった。









 一方フランスでシェル1型エンジンを使った車両が売り出され始めると、ドイツが目ざとく購入して模倣しようと試みられた。


 ドイツの自動車メーカーが大動員されて研究され、模倣に成功したドイツ自動車メーカーだったが、既存エンジンの方がコストが安い事に着目し、軍用車両の一部で使われるのに留まった。


 というのもドイツは規格の統一化よりもマイスター……職人によって高性能な品を作るのが得意な国柄であり、職人の間では大量生産技術は嫌厭されていた。


 なのでフランスでは成功したシェル1型エンジンの大量生産による量産効果でのコストダウンに失敗し、だったら既存エンジンで十分という結論付けをし、各社が各々独自エンジンを開発していき、フランスがシェル1型エンジンばかり使う状態を奇妙な目で見るようになる。


 事実コストを度外視すればドイツの方が高性能エンジンの開発に成功しており、そんなに脅威に見られなかった。


 一番影響を受けたのはイギリスであり、協商関係で量産型の値段を知ったイギリスは規格の統一によるコストダウンに興味を持ち、フランスの工場に技術者を派遣したりすることを進めたりするようになる。


 イギリスは規格統一と大量生産の技術をフランスから受け取る代わりにフランスはイギリスから軍艦の技術を獲得するためにヴィッカース社の研修が実現し、旧式の戦艦の技術をいくらか譲り受けることになる。


 イギリスで旧式でもドイツと建艦競争で艦船の技術が急激に上がっていた技術は旧式でも十分な技術であり、フランスはそこで得られた技術で弩級戦艦の建造が可能になるがフランス海軍の転生者の中にはフランス海軍は戦艦の建造はほどほどに空母の技術をいち早く研究したほうが将来の為になるのではないかという派閥と日本の様な酸素魚雷を開発するべきという雷撃主義者、ドイツのUボート対策に水中探知機を備えた駆逐艦量産するべきという派閥、ドイツ艦隊に打撃を与えられる安価かつ高性能な潜水艦を増やすべきという派閥で転生者達でも揉めていた。


 ただ彼らの一部はそういう船を作ることで艦◯れやアズー◯◯ーンみたいな艦隊擬人化コンテンツで自分が主導した船で俺の嫁を増やしたいという邪な考えを持つ者もいてフランス人転生者からブチギレされたりしていた。


 ただフランス海軍も順調に成長しているのは事実であり、特にドイツの潜水艦の対策に水中探知機の開発は多額の予算をかけて行われ、駆逐艦の建造が多く行われることになり、主力艦でなかった事がイギリスを刺激しないで海軍戦力を拡充させることとなる。

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