第7話
朝目覚めると、スタンはすでに起きていて僕のすぐそばで待機していた。
おはようと声をかけて窓の外を見ると日が高い。もう朝とはギリギリ呼べないかもしれない。
何か言いたそうなスタンを無視して、宿の裏の井戸で顔を洗うと、部屋へ戻る途中で宿の主人に会えたので、宿泊の延長を申し出て料金を払う。お金が……。
でも、一人より二人いればなんとかなるだろう。
部屋に戻って今後のことを話し合おう。話し合うと言っても、スタンはまだ体が不自由だから、ちょっとしたこと以外は頼めない。それでも、彼の意見は参考になるだろう。何せ僕はこの時代のことをほとんど知らないのだから。田舎で過ごした二年はほぼひきこもり生活だったのだ。まだまだ知らないことは数多くあるだろうことは想像に難くなかった。
「ごめん。お金がないから、朝食は無し。急いで何かしらお金を稼がないと」
「とんでもありません。不甲斐ない私のせいなのですから。もし必要であれば、私は一日一食、あるいは数日抜いていただいても構いません」
「いや、さすがに元病人にそれは無理だよ。それよりも、僕は実は田舎から出てきてあまり街のことに詳しくないんだ。世間知らずと言ってもいい。だから、君に教えて欲しいのだけれど、お金を手っ取り早く稼ぐ方法は何かないだろうか」
「正直に申し上げますと、難しいかと思います」
「理由は?」
「都市は外から同じように金を稼ぐために人が集まるからです。仕事は奪い合いです。なんのコネもない我々が簡単に定職にありつくなどという虫のいい話はないかと」
「定職でなければ?この街にずっとはいられないと思うから、定職である必要はないんだ」
「であれば……」
黒い瞳が僅かに閉じられて、何かを考える風なその様子は、奴隷としてはなんとなく洗練されているように見える。
「失礼ですが、おいくつでいらっしゃいますか」
「うーん……。たぶん二十二。君と同い年だ」
「もう少しお若いかと思っておりました。魔法はどの程度?」
「魔法は、たぶん基本的なものだけ。火を熾すとか軽いものを動かすとか」
「訓練を受けたことがないということですね」
「だね」
「恐らく武器を振るって戦うというようなことも、ご経験はないご様子」
「うん」
「理解しました。となると、町の掲示板や案内板等でたまに張り出される、短期の仕事の依頼を見つける、といったことになってしまいます……」
スタンが暗い顔で言う。
「そうなっちゃうかぁ」
「私が冒険者協会へ行って何か簡単な仕事でも……」
「冒険者協会?それは何?」
「街の警護や危険な動物魔物の類の駆除など様々な私的・公的依頼を斡旋する組織です。楽な仕事も一部ありますが、おおむねは危険な肉体労働です。報酬はその仕事毎に取り決められ、条件の良い案件は早い者勝ちとなります。腕に覚えのある者が冒険者として活躍し、仕事の内容から破落戸も多くおります」
「そういうものがあるんだ」
「はい。ご存知ありませんでしたか」
「……田舎者だから」
「左様でございますか」
意味ありげな目を向けられる。
「冒険者は僕に務まると思うかい?」
「失礼を承知の上で正直に申し上げますと、難しいと言わざるを得ません」
「どうして?」
「武器を持って戦った経験がない、或いはその訓練を受けていらっしゃらないことが一つ。戦闘のための魔法を修得されていないことが一つ。お体が、その、細すぎるということが一つです」
「スタンは経験は?」
「以前にたしなむ程度に」
「もちろん、健康だったときの話だよね?」
「そうです」
「うーん……」
僕は頭を悩ませる。やはり物事は簡単にはいかないのだな。
「あの、一度私が依頼を見てできそうなものがないかだけでも」
「却下。君はまだ万全ではないから。差し当たっては、僕がお金を稼ぐよ。あまりやりたくはないのだけれど、背に腹は代えられないから」
きっと母も許してくれるだろう。
「なにか当てがあるのですか?」
「一応ね。気乗りはしないけど。それより、さぁ。足をだしてスタン。昨日の続きだ」
「いえ……」
「これから君も一緒に外にでるんだ。足の負担を少しでも減らすために。さぁ」
僕がそう言うと重ねて拒否することが失礼だと思ったのだろう、スタンがその長い脚をベッドの上に放り出して、マッサージを従順に受けるのだった。
「ここで何をなさるのですか?」
以前も来た教会の前の大通り。人通りはばっちり。遠く近くで人々の声が聞こえる。
「占いを、ね」
「占いですか?道具をお持ちで?」
「僕の占いに道具は必要ないから。あってもいいけど」
「手相や人相占いですか?」
「いや。僕のはおまじないみたいなものだよ。誰にでもできる」
「おまじない……?それで当たるのですか?子供の遊びですよね?」
「当たるよ。完璧とは言えないけど、それなりに」
スタンが、困惑している。よくわからないという顔で僕をみている。
「知らない?誰にでもできるはずだけど」
「聞いたことがありません。私が知っている占いは、まじないの類ではありません。神秘的に見せかけるために、魔法で演出するということはあるようですが、決まった手順のある一つの技術だそうです。占いを生業とする人々は、たいていカードや水晶玉をつかって、あるいはそういったものを使用しない場合は、手相・人相からその人の運命を読み取るといった、まゆつばな、失礼しました。当たるも当たらないも運次第と言ったようなもので小金を稼いでおります。たしかに一部に熱狂的な支持者がおりますし、力をつけてかなり幅を利かせている者が存在するとは聞きます。占いに詳しくない私が言うのもおこがましくはありますが、占いのまじないというのは、ちょっと聞いた記憶がございません」
「ふーん。そういうものが以前はあったんだけどね。廃れちゃったのかな?」
わからない。僕が眠りについている間に、人々が忘れ去ってしまったというのか。当たり外れは振れ幅が大きすぎて半分遊びみたいなものだったけれど、簡単だ。それなのに。
誰も知らないとなると、何か道具を用意したほうが良さそうだ。無手で占うのは、もしかしたらよくないかもしれない。
「その、見せていただいてもよろしいですか?」
「うん?あぁ、スタンも興味ある?でも、ごめん。君は占ってあげられないんだ」
「失礼しました」
「いや、そうじゃない。君が奴隷だからとか、君に嫌がらせしているだとかそういうのではないよ。そういう決まりなんだ」
「決まり、ですか?」
「うん。母がね。僕の母が人気のある占い師だった。それで、これは母に教えてもらった技術なんだけど、自分や身内は絶対に占ってはいけないと、固く約束させられているんだ。スタンはもう僕の身内みたいなものだから、君を占ってあげることは残念ながらできないんだ。ごめんね」
「そうですか。理解しました。教えていただきありがとうございます」
「でも、今から実演するから、側で見ていて」
「はい。護衛役をしっかりと務めさせていただきます」
「いや、さすがに教会側で乱暴狼藉を働くような人はいないでしょ。君は少しケガの跡があるけれど、顔は一級品だから、客寄せにもってこいなんだ。僕一人だとどうしてもうさん臭さがぬぐえなくてね……。占い師っぽくないでしょ?君にはにこにこしてそこに立っていて欲しい。きっと前回よりも客がたくさん来るぞ!」
「ええと、承知しました……」
しばらく呼び込みをしながら待っていると一人目の客がやってきた。
半信半疑なのはその表情から分かる。
「えっと、おいくらですか?」
「銅貨十枚です」
「えっ」
銅貨十枚は安い食堂で大人二人が食べるのに充分な金額にあたる。お腹いっぱいというわけにはいかないが。僕の価格設定はちょっと調べた限りおそらく普通の占いよりずっと安いはず。
「どうしますか?占っていかれますか?」
「ええと……」
逡巡。信用できないと彼女の表情が語っている。安すぎて逆に不安にさせているようだ。当たらないから安い料金に設定してあると思われたかな。
「信用できませんか?」
つい、という風に彼女が頷く。
「でも安いです。試しにやるには丁度良いと思いますよ。こんなに安いんです。当たらなくても納得できるし、当たれば格安で望む未来を手に入れられます。それほど分の悪い賭けではないと思いますよ」
僕の詭弁に彼女も少し考えて納得した風に銅貨を差し出してきた。
「頂戴いたします。それでは、何を占いますか?」
「……実は、最近ご近所で立て続けに不幸があって、それで私怖くなっちゃって。いつ何時私にも嫌なことが起こるのかと思うと、心配で心配で。回避する方法はありますか?」
「承りました。ではお手を」
そう言って僕が手のひらを上にして、彼女に差し出すと、恐る恐るという風に彼女も手を差し出す。二人の手が重なる。
「では始めます」
「あの」
「はい?」
「名前とか生まれ月だとか、そういったものは聞かないのですか?」
「不要です」
怪訝そうな顔。
「あの、道具は使わないのですか?」
「使う場合もありますが、なくても問題ありません」
「でも、でも、ほかの占い師の方は水晶玉とかカードとか色々使いますよね?そういう道具がないと占いはできないのではないのですか?」
「なくてもできますよ。彼らには彼らの、私には私の流儀がありますので。きっと、師事した人が違うからでしょう」
「そういうものなのですね」
納得していない雰囲気。
「そういうものです。普通の占いよりもずっと安い料金です。気楽にいきましょう」
そう言って僕は手に集中する。
じっと待つ。それが僕の占い。
ガヤガヤと人々の喧騒が耳に届く。人々の足音の中に、野良犬の小さくも小気味良い足音がチャッチャッと聞こえる。風が今日はなくて、陽射しも暖かな良い日だ。
「家に帰ろうぜ!」
誰かが遠くで声を張り上げるのが、はっきり聞こえた。
「あなたのご自宅について二、三教えてください」
「はい」
「どの辺りにありますか。大まかで結構ですが、周囲の様子も教えてください」
「緋色通りです。昔ながらの地区で、細い通りに沿って住宅が並んでいます。近くによく行く食堂があって、靴磨きの職人や床屋があります。路地を少し行くと街の外れにでます」
「もっと教えて下さい。些細なことでも構いません。ご近所付き合いは上手くいってますか?」
「はい。みんな古馴染みで関係は良好です。私には婚約者がいるのですが、家族ぐるみでお付き合いもあります。相手は家具職人なんです。工房に勤めていて」
「あなたのお家はどういった雰囲気ですか」
「よくある小ぢんまりとした建物です。祖父が建てました。五人家族で暮らすには十分な広さです」
「庭はありますか」
「はい。小さい庭です。母が花が好きで、丹精込めて育てています。今は冬なので寂しいものですが」
歌が小さく耳に聞こえる。
顔を上げると、通りの反対側で子供たちが遊んでいるのが見えた。
童歌のようだ。僕の知らない唄。
遊びましょう遊びましょう。時を忘れて。遊びましょう遊びましょう。お山の奥で。井戸の底で。秘密の庭で。手を叩こう手を叩こう。あの人に聞こえるように……。
「庭について詳しく教えてください」
「詳しく話すほどのものではないのですが」
「花以外に何がありますか」
「ええと……。木が植えてあります。柿の木です。痩せ細った木ですけど、毎年必ず実を付けてくれて。私はその柿の実が大好きでした。それから、処分前のゴミがいくらか積まれていて。母が父に早く片付けるよう急かすんですけど、一向に片付かなくて山になっています。それくらいです。本当に小さい庭ですので」
ゴーンと教会の鐘楼が時を告げた。
「その庭のゴミを処分してください。出来るだけ早く。お父上だけで片付かないようでしたら、大人数で。お友達やご近所の方々と一緒に。そうですね。その後でみんなで食事会なんていいかもしれません。簡単な?お茶を飲んだりお菓子を食べたり、楽しく。そうだ。それがいい」
「それだけですか?」
「ええ。お母様はゴミが片付かなくてイライラしていらっしゃる。しかしお父上は何度言われても動かない。ならばみんなでやってしまうのがいいでしょう。燃やして暖をとるのもいい。楽しそうだ。家族が楽しい時を過ごす。そうすれば、不幸は近づいてはきません」
納得いっていない顔に向けて、ね?と畳み掛ける。こういう時は有無をいわせず雰囲気で押し通したほうがいい。
「きっとあなたの不安は杞憂に終わりますよ」
そう言って僕は占いを終わらせた。
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