第18話 雨、縮まる距離①

 夏はゲリラ豪雨のように短い時間に激しい雨が降るけど、秋だって女心と秋の空っていわれるように空模様の移ろいは早い。


 教室の窓を閉めていてもはっきりと聞こえる雨音。


 天気予報じゃこんなに降るなんて言ってなかった気がする。


 でも、情報番組のお天気キャスターのお姉さんに文句を言ってもしょうがない。


 むしろ、徒歩通学の俺としては、今日一番の幸運はあなたなんて言っていた占いコーナーを恨みたい。


 こんなに降るなら折り畳み傘じゃなくてちゃんとした傘を持ってくればよかった。


 薄暗い昇降口で鞄の中から取り出した折り畳み傘のカバーを外し靴を履き替える。

 昇降口を出た先の庇になっているところに銀髪の女の子が一人立っている。


「友達でも待っているのか」


 横に並んで声を掛けると、綿矢さんはスマホの画面から顔を上げてこちらを見た。


「いえ、雨が止まないか……、そうでなくてももう少し弱くならないかなと思っていたところです」


 スマホの画面には天気予報の雨雲レーダーが表示されていて、まだ数時間は強い雨が降ることを示していた。


「綿矢さんは電車通学だっけ。駅までならそんなに遠くないから折り畳み傘があればそこまで濡れないんじゃ……」


 俺はそこまで言ってから気付いた。

 折り畳み傘があればとっくに家路についているはず。


「さっき、傘がないと困っていた方がいたので貸してしまいました」

「傘を貸して自分の分がないなんて間抜けじゃないか」


 いくら聖女様でもここまで来ると少し心配になる。


「丹下君ぐらいですよ。私に面と向かって間抜けなんて言うの」


 綿矢さんの友達はみんなできた人だ。


「じゃあ、幸福の王子」

「私、最後は身ぐるみ全部剥がされそうですね」

「えっ!? い、いや、そういう意味じゃ」


 ほんとに一瞬だけど身ぐるみ剝がされる綿矢さんを想像してしまった。

 これは俺が悪いんじゃないぞ。


「さて、身ぐるみ剥がされる前に走って帰りますか」

「ちょ、ちょっと、いくら駅までだって、この雨の中走って行くのは無茶だろ」


 この雨の中を走って行けば、駅に着くころには髪から水が垂れて、制服は身体に張り付いてしまう。


 そう、先日の濡れた体操服みたいに……。

 あー、これを思い出したのは俺が悪い。


 とにかく、そんな状態で電車に乗るのは公序良俗に反するというもので、中学生が見たら何か新たな扉を開きかねない。


「では、どうしましょうか?」


 解決策を尋ねる綿矢さんの目線が俺の持っている折り畳み傘に向けられる。

 ここでこれを貸したら俺は本当の間抜けだ。


「じゃ、じゃあ、駅まで、そこまで送っていく……、綿矢さんが嫌じゃなければ」

「うーん、丹下君からのそこまでの好意なら受け取るほかないですね」


 一体いつから俺の傘を狙っていた。

 でも、なんともわざとらしい返事の言葉なのにちょっとほっとした俺がいた。


 折り畳み傘を開こうとすると、俺たちの横を相合傘をした男女がすっと外へ出て行った。


 お互いに濡れないようにかなり密着して校門の方へを進んで行くが、それでも濡れないということはない。


 その姿を見てあれを自分は綿矢さんとこれからしようとしているのかと思うと急に恥ずかしさがこみ上げてくる。


 しかし、一度誘ったからには今さらなかったことにはできない。


「さっ、いくぞ」


 はいっと言って傘に入る綿矢さん。


 ち、近い。

 それでも折り畳み傘の大きさを考えると二人で入るのに十分な大きさとはいえない。


「ごめん、ちょっと持って」


 俺は傘を一度綿矢さんに渡してから自分の鞄を漁る。

 俺が傘を持って歩いたら傘から落ちる水滴がきっと綿矢さんの肩を濡らしてしまう。


 そして、肩が濡れていくとその染みはどんどん広がって……。

 いかん。自主規制、自主規制。


 鞄から取り出したのは今日、綿矢さんから返してもらったばかりの体育のジャージの上着だ。


 俺はそのジャージを綿矢さんに突き出し、傘を返してもらう。


「傘さしてもいくらかは濡れるから」

「いいんですか」

「傘に入って濡れたんじゃ意味がないだろ」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってジャージを着る綿矢さんを見ながらこちらも心の中でお礼を言う。

 あの近さで透けた制服姿の綿矢さんに耐えられる自信がないんです。


 まったく、寒い季節のためのジャージなのにこういう使い方ばかりなんて何かの呪いだろうか。


 なるべく水溜りのないところを選び、綿矢さんが濡れないように気を付けながら歩く。


 そうやって歩けばいつもよりゆっくりになるし、外側の肩はかなりびしょびしょに濡れる。


「丹下君、私の方ばかりに傘を寄せるとそっちがびしょびしょになります」

「大丈夫、俺は徒歩の距離だし。帰ってすぐに着替えるから」

「それでも、この傘は丹下君のです」

「俺の傘だけど、綿矢さんはお客さんだからできるだけ濡らさず駅まで送りたい」

「これで風邪でもひいたら困ります」


 こちらをむーとした表情で見上げる綿矢さん。

 こっちを見るより前を見て歩いてくれ。水溜りを踏んで濡れるぞ。


「ゲームの時とは違うな」

「どういうことです?」

「ゲームの時は俺の心配なんかしないだろ。アイリスが突っ込んで、俺がフォローに回る」

「それはゲームだからで……」

「ゲームでも現実でもちゃんと友達を守らせてくれ」

「……守……られます」


 むーとした顔は一気に上気して、今度は顔を俯かせてしまった。

 前見てないとラバーポールにぶつかるぞ。


「まあ、リアルファイトは激弱げきよわだから守れる自信ないけどな」

「せっかくクリティカル出したんですからもう少し……」

「クリティカル?」

「な、何でもありません」


 地下鉄の駅の出口までやって来た。

 駅の構内に向かう人はほとんどおらず、逆に大勢の人が次々出て来る。


 うちの制服を着た生徒までもが出てくる様子を見て、これはもしかしてと思っていると、出口の近くに設置されているスピーカーから信号機の故障で、電車が止まっているというアナウンスが流れてきた。


「ここまでで大丈夫ですよ」

「でも、電車が……」

「今は止まってるみたいですが、すぐに動き出すと思います」


 明らかに取り繕った笑顔をこっちに向ける。


『お客様にご連絡いたします。信号機の故障については復旧に時間がかかる見込みで――』

「だとよ」

「それでは、えっと――」

「もし、よかったら……、うち来ない」


 別に他意はない。

 さっき守らせてくれなんて言ったのにここに一人でおいていくわけにはいかないと思っただけ。


 こちらを見上げる綿矢さんと視線が交わる。

 ほんの数秒にも満たない沈黙が一夜のように長く、雨音だけが五月蝿い。


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせてもらいます」


 綿矢さんはさっきまでとは異なる屈託のない笑顔を浮かべ、もう一度傘に入った。


― ― ― ― ―

 今日も読んでいただきありがとうございます。

 ★★★評価、ブックマーク、応援、コメントよろしくお願いします。

 皆様の応援が何よりの活力でございます。

 雨の日に家に二人だけ……、何も起きないはずはない。

 次回更新予定は12月18日AM6:00です。

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