飛び出る走馬灯
新宿にある赤城神社までの道すがら。夏の日差しに過去を思い出す。
二十年前の夏のあの日。芸大を卒業したこの俺黒田司は、単身アメリカに渡った。
極映(極東映画株式会社)への就職に失敗したからだ。
初代スカルフェイスの熱狂的ファンである俺は「ぼくのかんがえたさいこうのスカルフェイス」の企画書を持って面接に挑んだのだが、面接官に「君みたいなスカルフェイスマニアが毎年二十人くらいくるんだよ」とうんざりした顔で言われて終わった。
まぁ大学卒業したてで何の実績もない男だったので、当然と言えば当然だ。
なので俺は誰が見ても分かる実績を作ることにした。
具体的にはアカデミー賞撮影賞と監督賞獲った。
監督黒田司の名前は世界に轟いた。まぁ二十年ほどかかったが、想定の範囲内だ。
だがその間にシリーズの息の根が止まりかけてたのは想定外だった。
その事実を知って慌てて帰国した俺が、極映プロデュサーに「俺の考えた最高のスカルフェイスを撮ってやる」と啖呵を切ったのが一年前。今度は諸手を挙げて歓迎された。
役者のオーディションだのスケジュール調整を終えて、とっくに書き上げてあった脚本に脚本家交えて少々手直し加えて、まぁなんだかんだ順調に準備は整って。意気揚々とクランクインしたのが三か月前。
そして主演俳優が逮捕されたのが昨日。
「クソボケがよぉ!」
口から勝手に悪態が漏れた。
罪状は婦女暴行。酒に何か混ぜ物をして一緒に飲んでた女性を犯そうとしたらしい。ヒーローを撮るにあたって最悪のケチをつけてくれた。
大手芸能事務所シャイニー・エンターテインメントの若きスター候補ともなれば、女は黙ってても寄ってきそうなもんだが……バカの考えることは分からん。
何にしろ今スカルフェイスというシリーズが崖っぷちに追いこまれたのは確かだ。ただでさえ十年前のテロ騒ぎでシリーズ休止してたってのに、ここにきてこの事件はトドメとなり得る。
具体的には超大口スポンサー様のダイガン――大玩具カンパニーがスポンサーを降りる可能性がある。
今回何とかスポンサーに復帰してもらって、どうにかシリーズ復活の目が見えたところだったのに。
加えてスケジュールの問題もある。ハッキリ言えば今からのリスケは相当無理筋だ。
撮影が中断した上に主演が挿げ変わるとなれば、当然以前のままのスケジュールでは進行できない。また役者とスタッフのスケジュールを調整しなおすことになる。
時間がかかるだろう。加えて、まったく同じ面子で出来る可能性は限りなく低い。
具体的には、恐らくメインヒロインの都合がつかない。あの最高の女優をヒロインとして起用できるのは、俺の勘では今がラストチャンスだ。長期間の撮影中断は絶対にまずい。
時間が無い。
すぐにでも主役の替えが必要だ。
さしあたって、シャイニーは賠償金を支払ったうえでバーターを提案してくるだろう。
だがツラが良くてガタイも良く、声も良くてそこそこ動ける『若手』。そんな俳優は希少だ。
恐らくクソボケの代わりができる役者は、少なくとも今シャイニーの中にはいない。クソボケの更に劣化版みたいなタレントを差し出してしてくるのはまず確定だろう。
向こうには負い目があるから、その提案を蹴ること自体は容易いが――そうなれば大急ぎで代役を探さなくてはならない。
今回の悪名を吹き飛ばせるくらい、インパクトのある人材を。ダイガンのお偉いさんに「この代役なら大丈夫だろう」と判断されるだけの役者を。
――だけどそんなヤツがパッと見つかるんなら、そもそもこんな悩んでねーんだよ。
がしがしと頭を掻いて、俺は空を見上げる。
憎々しくなるくらい晴れている。雲一つないもんだから、どこまでも高く見えた。
上を見ればキリがない。バーターを飲むのが、現実的な選択肢だというのは分かってる。
……そうだ。
元々俺の理想のスカルフェイスは、俺の頭の中にしかいねーんだ。そもそもあのクソバカも妥協の産物じゃねーか。
そう。
俺の、理想のスカルフェイスは。
剽悍で。逞しくて。だけど飛び切りの二枚目で。
当たり前のように他人を助けて、でも誇らず。
気障なセリフ一つ残して、風のように去っていく。
加えて九頭身でスタイル抜群、とまぁフィクションの中にしか存在しないスーパーヒーローだ。
当然そんな男が現実に居るわけがない。だからこそ役者を使うんだが――その役者があのザマだ。
ああ、ツイてねぇ。
俺が下手を打ったわけでもないのに大ピンチだ。
……だが、不幸ってのはそういうもんだ。いつだって不意打ちでぶつかってきやがる。
「ふーっ」
ため息を一つ。
まぁ、腐っていてもしょうがないのは確かだ。
歩いているうちに少々頭が冷えた。
今すべきなの神頼みじゃない。伝手を総動員して役者を見つけることだ。
そもそもクランクインの時に社内で祈祷式やったし。効かなかったし。
「――っしゃ!」
ばちん、と両手で顔を引っぱたいて気合を入れる。
俺はスカルフェイスを撮りたくて監督になって、今ようやく夢に手が届いた。
こんなアクシデント一つで挫けてられるかよ。
何とかして何とかしてやる。
根拠ゼロの根性論を支えに、踵を返して極映スタジオに帰ろうとした俺の耳に、ふとパトカーのサイレンが聞こえた。
俺は視線をそっちに向ける。
ひったくり犯か何かを追っているらしい。車線を無視して逃げるバイクに白バイが追っている。
今の東京では別段珍しいことでもなかった。LOEの台頭以来、日本の治安も右肩下がりを続けている。
どうやら犯人は順調に追い詰められつつあるようだ。
――だが、そこで予想外のことが起きた。
迫りくる白バイとの距離を確認しようとしたのか、背後を振り返った犯人のバイクが段差に乗り上げた。
バイクはバランスを崩して転倒。凄まじい速度で道路を横断し――対向車線を走る大型トラックの目の前に滑り込んだ。
トラックの運転手が目を見開き、何事かを叫びながら急ハンドルを切ったのが見えた。
俺の居る方向に。
コントロールを失った大型トラックが、スリップしながら突っ込んでくる。
あ。
ダメだこれ。
どの方向に走っても間に合わない。
音が遠くなる。迫りくる大質量の不幸を目前に、過去の思い出が走馬灯のように流れる。
この現象は人が死に直面した時、脳が過去の知識や経験から何とか助かる方法を見つけようとするから起こる、と聞いたことがあったが――何か浮かぶ映像がスカルフェイスシリーズの名場面集とかばっかりで何の役にも立たん。
あー初代に出てきた班目愛超可愛かったなー。……なんか初代の映像多めだな。魂に刻まれてるからそりゃそうか。
とはいえ今変身バンク流されてもなぁ。
まぁでも、死の間際まで大好きな作品に触れていられたんだから、これこそ『不幸中の幸い』ってヤツか。
(――ま、ツイてねぇときは、こんなもんだよな)
高速の思考がそんな言葉を弾き出した。
諦観が全身を支配する。
ついにトラックが横転した。全ての操作を受け付けなくなった鉄塊が、アスファルトとの摩擦で火花を散らすのが見える。
それでも人一人を殺すには十分な速度を維持したまま、トラックは突進してくる。
(――でもよぉ)
いよいよ死が視界いっぱいに広がり、
(折角変身バンクが流れたんだから)
ゆっくりと流れる時間の中――
(助けに来てくれよ、スカルフェイス)
俺の目は、俺を掻っ攫って跳ぶ青年に釘付けになった。
時の流れが戻る。
横転したトラックが、彼に抱えられた俺の五センチ横を通り過ぎていった。
同時に音も戻ってきた。
けたたましいクラクションの音、騒然としている人々の声。
そして、極めて整った顔にいたずらっぽい笑みを浮かべた彼の声。
「フィクションじゃ定番のシチュエーションだけど」
そう言ってこちらの髭面を覗き込み、
「――ヒロインにしちゃあむさくるしいな」
おどけた風に肩を竦めるその男の、白い歯が眩しかった。
返事も待たずに俺を地面に降ろすと、彼はさっさと踵を返す。
おい。
おいおいおい。
『変身前』が、ここにいるぞ。
テレビヒーローはここにいる いとまのもじ @nomoji
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