選択肢。
「あとりさん、起きてますか?」
「…………うん」
彼女はいつもの気だるげな、でもふんわりと優しい声音で答える。
私は暗闇の中、自分にかけられた布団を剥がし、よちよちと四つん這いで彼の眠るベッドに近付く。
顔をぴょこっと出すと、彼女は少し眠そうな目で、天井を眺めている。
燃えるような赤い瞳は、窓から差し込む淡い月の明かりでワインレッドに輝いてる。
寝てても映えるなんて、ずるいなぁ。ずるいよ。ずるい。
私は元は、女として産まれた。でもただ妹として産まれただけで、ただそれだけで私の身体の一部は切り取られた。
彼女にも性別は何で産まれたか、訊いたことある。
いつも通り、屋上で昼ご飯食べてる時だ。
少しづつ太陽の照りが強くなり、汗が滲む程になったここ最近。
彼女は、いや彼は男の子として産まれたと言った。何でもなく、ただ淡々と。
「じゃあ、ちょん切られちゃったんですか!?」
っていって、はっと……あとに不謹慎な事事を言ってしまったと気付いた時には、もう彼の耳に届いていて。
「まあね、でも性別なんかなくても僕は僕だと思う」
そういうあとりさんの、男の子として立派に成長した姿を思い浮かべる。
きっとイケメンで、今みたいにすらっとした体形で。声も可愛い中性的な声じゃなくて優しさも感じるような低い男子の声。
私達は、世界の勝手な作りで生き方を一つ奪われた。そう思っていたけど。
結局は変わらずに、違う選択肢になっただけなのかもと、ただ俯瞰した事も。
「あとりさん。あとりさんは、どんな私でも受け入れてくれますか?」
「…………うん?」
彼にそう囁くと彼の目玉だけがキョロりとこちらを見る。そして彼は刹那の間、じっと見つめて、
「おわっ!」
「あっ、すみません!」
あまりびっくりするもんだから、咄嗟に謝って謝罪する。してしまうけど、彼は未だにきょとんとしていて、なんだか可愛い。
ああ、愛しいな。どんな顔も。こんな顔も。
彼の、彼女の、美しいその姿。
「隣、いいですか?」
「……え?っえ?」
堪らず、彼の懐に潜り込む。
夜はちょっと冷えるし、いいよね。私、いっぱい我慢したし。
いろいろ、色々と。
「私の事、受け入れてくれるんですよね?」
ねっ、あとりさん。
「えっ、いやっ、それはまだ早いんじゃ……、ひゃっ!?」
そんな事言って、私の事からかってるんでしょ。
少し冷えた私の手が彼の左手を掴む。温かい。
これが人の温度、温もり。
もっと確かめたくて、彼のお腹を触る。
やっぱり、温かい。胸も、ちょっと硬くなった乳首も。脇毛もなにも生えてない、つるつるの脇も。
そして、彼の子種が詰まっていたはずの彼の股ぐらも。
どれも温かくて、熱いぐらい。
でも今は私と同じ、遜色のない身体なんだよね。なんか親近感。
「あぁ、やっぱり。私とおんなじ身体だ」
「ちょっ、猫野さん!?やめ、やめて」
いいでしょ?少しぐらい、甘えても。私、いっぱい我慢したんだよ?慰めて?ほら、いっぱい。いっぱい。
彼に囁くように耳元に吐息をかける。ふっ、と。私の胸で温まった、でも冷たい空気。
今は私と同じその体で、もっと私を温めて?
「あとりさんもやっぱり、私と、おんなじ体」
おんなじ、おんなじ体。嬉しいなー。嬉しいなぁ。
私の気持ちは昂ってしまって、つい、彼の耳たぶを舐めてしまう。そして、ほっぺたも。
ぺろり、ぺろぺろ。
自分の気持ちに正直に、彼の顔を掴もうと手を伸ばして。その柔らかそうな唇を奪おうとして。
もう全てがどうでもよくなって、もういいやと彼を貪ろうとしたその時。
「やめて!!」
私はいきなり体を吹っ飛ばす衝撃を当てられ、ずどんっという打撃音とともに、先程寝ていた寝床近くで尻もちをついていた。
一瞬、何が起きたか分からなくて、彼の事を咄嗟に見上げた。
彼は困惑、罪悪感、羞恥という色々な感情がないまぜになったぐちゃぐちゃの表情でこちらを見下ろしていて。
「……はっ!?ご、ごめん!!大丈夫!?猫野さ……」
彼の声はもう、私には届いて無くて。何も聞こえない月明かりの中、私はやっぱり一人ぼっちなのだと、痛感した。
「やっぱりだめ、なんだ」
私は好きになった人さえも傷付けて、ほんとなにしたいんだろ。
もういいや。……もういいや。
「ごめんなさい」
皮肉にもその言葉が勝手に私の口をこじ開けて這い出てきて、彼を攻撃する。
私の体もついでに汚して、余韻も残さず消えると、私は泣きそうになって、いたたまれなくて。
ただ殻にこもりたくなって、布団を掴む。
「ごめん……!今は、待って。お願い、ちゃんと約束はするから」
彼の言葉は耳をすり抜けていて、脳に定着することすらしない。
だめだ、早く私の体を温めなくちゃ。心を温めなくちゃ、寒さでガラスのように割れてしまう。
こんな醜い自分でごめん、あとりさん。
こんな醜い自分でごめん、お兄ちゃん。
もう私なんか、知らない。知らない。知らない。
「……知らない」
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