第0話 もう一人の自分自身

 もしも、タイムマシーンのような乗り物が現世に存在していたなら、自分ならどこへ行きたいと思うだろうか。

 出発場所が現世なら、過去か未来へ行きたいと思うし、出発場所が過去か未来なら、現世に戻りたいと思うのではないか。

 縦浜たてはま市内にある聖堂の中庭、白色の煉瓦れんがで造られた噴水の前に佇んだ青年は今まさに、現世となるこの場所から未来へ時を越えようとしていた。


 清々しい青空をバックに、ブラックスーツにネクタイと、まるで葬儀場の参列者のような格好をした青年の姿が水面に映っている。

 海山町うみやまちょうの長者から、祠に封じられている堕天使だてんしまつわる噂を聞き、その真偽を確かめるため、青年は意を決して噴水の中に飛び込んだ。


***


 時を越えた先が未来だとしても、自分自身が佇んだそこは未来ではなく『現世』になる。

 聖堂の中庭にある噴水で以て、目的地へと時を越えた自分自身が『未来』と思っている世界は、その世界にいる全人類を含む、生きとし生けるものにとっては『現世』であり、決して『未来』ではないのだ。

 ゆえに、無事、目的地へと辿り着いた青年は『現世の人間』として、 美花町みはなまち三丁目に構える小さな花屋で副業をしながら、夢のフラワーデザイナーを目指す十八歳の女子大生、赤園あかぞのまりんちゃんをまもるために、普段から使うことのない魔力まりょくを駆使し、彼女を狙う『人ならざる者』と交戦、攻防するのである。


 聖堂の中庭にある噴水で以て時を越えれば当然、そこにも姿形が同じ、自分自身がいる。町外れの廃墟ビルの屋上でまさに、過去から時を超えてきた青年にとっては『未来の自分自身』となる、もう一人の青年と対面していた。

「それで? きみは過去と未来、どっちの人間なのかな?」

 冷静沈着な雰囲気を漂わせて、もう一人の自分自身に尋ねられた青年は、

「過去の人間だよ。知人のシスターが管理をする聖堂の噴水を使って、この世界まで時を越えて来たんだ。あることを、するためにな」

 そのように返答すると自身が時を超えた、その経緯を語った。


「――なるほどな。それで合点がいったよ。おかしいと思ったんだ。まだ、一度も出逢っていなかった時から、俺はまりんちゃんのことを知っていたから。それは、現世にいる筈のない、もう一人の俺自身が、まりんちゃんと接触していたからなんだな。

 そして、自らの意志で、結社の死神しにがみや堕天使と言った、あらゆる『人ならざる者』からまりんちゃんを護ると決めた。その意志は、今も継続中だ」

「俺自身が現世にある、堕天使が封じられていた祠に赴き、そこでしたことや、復活を遂げた堕天使と交戦したこと、今や生身の人間から幽霊ゴーストになってしまった赤園まりんちゃんと出逢ったことすべてが、記憶としてそのままもう一人の俺に引き継がれる。

 まったく異なる時の中で生きる俺達は、本来なら出逢ってはならない存在……けれど、こうして出逢ってしまった以上、事が解決するまで協力し合わないとならない」


「そうだな。けど……このままだと見分けが付かなくてややこしいから、俺はもう一度、彼女に変身する」

 そう言って、夏物の白いコートを着込み、艶のある黒髪ショートカットが良く似合う美女の姿になると青年は、女性の声で冷静沈着に釘を刺す。

「今の私はあなた自身であり、家族でもある。あくまでも私は脇役で、あなたが主役。現世の人間に、自分自身が二人もいることが知られる前に……あなたの手で、この物語を完結させなさい。それが、自分自身に課した使命よ」


 美女となったもう一人の自分自身が去って行き、屋上に居残る青年は、日が傾き始めた青空を見上げると物思いにふける。

 過去の自分自身が何かをすれば未来が変わってしまう。死神に転生するともれなく付いてくる神力しんりょくで以て、片田舎の海山町にある祠の中から忽然こつぜんと消えた堕天使の像を復元すれば、その時点で未来が変わり、その世界にいる自分自身が騒動に巻き込まれる。それを覚悟の上でやったことだ。いまさら、自ら課したこの使命から逃げ出す気はさらさらない。


 死神の青年にとっては恋敵ライバルであり、目的を共有する仲間でもある、現世の人間にして魔力使いの細谷健吾ほそやけんごくんが、廃墟ビルの屋上に姿を見せたのは、青年が自ら課した使命と向き合ってから、間もなくのことだった。

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