揺らぐ幽か

青空一星

空白に住む

「なぁ知ってるか、幽霊は空白に住むんだぜ」


 隣人が何か言っている。この部屋は腹を抱えて笑えば横から拳を食らう程度の薄さしかないが、そういった意味の隣人ではない。自分みたいな奴に話仕掛けてくる、その程度の間柄、名前さえ忘れたこいつのことだ。


 こいつの言うことには大抵意味が無い。

 意味なんて持たない、面白くない、くだらない話くらいしかできないから、こいつとの付き合いを拒むことはない。……面倒だったらその限りじゃないが。


『幽霊なんか居やしないよ』


「えー、お前幽霊信じないタチだっけ」


『信じたって面白くもないからな』


 腹へったな。


『コンビニ行ってくるわ』


「一緒に行く?」


『お前金持ってんのか』


「あー、持ってなかったわ」


『じゃあ待ってろよ、外寒いし』


「オココロ遣いどうもー」


『うるせぇ寝てろ』


 部屋着に厚めのジャンバーを羽織って部屋を出る。黒い空は白く光るゴミ屑共を抱えている。その、先も無い底を眺めていたら息を吹きかけられた。


『さっむ』


 前を仕舞い忘れていたのを恨みながら、見物料に小綺麗な賛辞くらい思い付けと言われた気がしたから、空を睨みつけて素足の透けたサンダルを踏み歩く。


『幽霊は空白に住むねぇ』


 意味ありげな言葉は無駄な考えを生むことが少なくない。害があるわけでも無い、無駄が無駄に置き換わっているだけ。どっちも同じ無駄なら駆け引きする必要すらない。


 明るげな入店の音、温かい店内の色を浴びながら、無駄に高いカップ麺とジャガバター味のスナックを持ってレジまで行った。寒いなか、この程度の報償に足を動かすのはマイナスか、それとも零よりかはマシなのか。考えるのは面倒臭いことだ。


 コンビニを出るとまた風が吹いた。まだ根に持っているようだから、空にジャガリコを掲げてやり、笑ってやる。


「何してんの?」

 ジャガリコを下ろす。カランと小気味好い音が鳴った。それ以外の音と言えば、車の走る音くらいだ。外は寒いな、これ以上ここに居る必要もない。さっさと帰ろう。


 カランと音が鳴って右手が軽くなる。


「くれんの?」


 ジャガリコを盗まれたらしい。


「あげない、返して」


「はいどうぞ」


 無言で取ってやるとやや不服そうに目尻を下げた。かと思えば上げた。


「奇遇だな! こんな真夜中に会うってのも。家近いの?」


「あぁ、うん、そうだけど」


「そっか家行って良い?」


『はぁっ!? バッカ急だよ』


「いやー運命感じない? この感じさっ。前から行ってみたいって思ってたし、同じ部の同志同士、親睦を深めると思ってさ~」


「え、いや……今は部屋、片付いてないからさ」


「あっそうなの? そりゃ残念、じゃあまたの機会ってことで」


「あぁ、うん。またね」


「おう、またな!」


 大袈裟に手を振ってコンビニに入っていく、――いっちゃったな。



 帰り道、コンビニから徒歩三分、築何十年かのアパート。コンクリかアスファルトの階段が重い。踏んでるこっちの足が重いみたいに感じるから木になって欲しい。

 もう秋から冬になった。寒くなったなぁ。上着を殊更に抱きしめる、風を入れないようにするために。


 玄関を開ける、中は真っ暗。当然だ、外に出るなら電気を消す。


 カチッという音とスイッチを押すと、ほどほどに片付いた部屋がぼんやりと現れてくる。

 部屋はたかが数分空けたくらいで冷めていて、身震いが止まらない。季節は冬。外は寒く、中は暖かい。それは暖房を付けるからだ、付け続けていなくちゃ冷えてしまう。暖房を付けてくれる誰かが居なくちゃ……、その部屋に明りが付いてないと……、その部屋には誰も住めていないんだ。生きてる誰かが必要なんだよ。


 隣人は未だからだ。この部屋に住み始めた時からずっと。


『嫌になるなぁ、ほんと』


 馬鹿だ、ずっと馬鹿になっていられないほど。自分で自分を律することができない。こうしたいと思っても、行動は従っていかない。だから空想に甘えてしまう。尽きた時には死にたくなる。無力感漂ってる今なら尚のことだ。


『寒い、寒いな』


 閉じ忘れていた玄関を思い出した。ここまで浸ってしまったのもあいつのせいだ。同じ土俵にすら立てない、あいつのせいだ。

 背後からは風が吹いている。それに、重なるものがあった。


「よっ、来ちゃった」


 振り向くと、猪上いのうえがそこにいた。


「……部屋、教えたっけ」


「いやー、コンビニ出たところでさ? 真っ暗な中、ぴかーって光る所があったからさ。ちょうど寄江よりえの帰ってった方だったなーって思って……来てみた!」


 猪上は珍しく申し訳なさそうに、それでいて楽しそうに笑った。


「……来ちまったんならしょうがない、上がってってよ」


「おうよ、わりーな」


 ガチャンと、玄関はようやく閉められた。部屋の中がゆっくりと温かくなっていく。


「なんだ、あんま散らかってないじゃん」


「あぁ、隣人がよく来てたから」


「へぇ、お隣さんと仲良いんだ」


「あっいや、そういうわけじゃないんだけど」


 弱ったな、せっかく来てもらっても話すことなんかない。何話したら良いのかも分からんし……これだから招きたくなんかなかった。でも、もう来ちまったからには逃げようもないし。


「あー、ジャガリコでも食べる?」


…………


 二十数分の話の後、猪上は帰った。

 ぎこちない会話、尽きる話題。話の節々で隣人が顔を出してきて、それを上手いことやり過ごすのには骨が折れた。

 仮初めは100%現実にはならない。なんなら、それが足を引っ張ることの方が多い。が、とりあえず、今回はやり切った。


「じゃっ、またなー!」


 そう言って猪上が手を振る頃には、空が白み始めていた。相変わらず寒い。寧ろ前よりも風通しが良くなり過ぎて凍え死にそうだ。


 でも、今朝のこの空を見てしまえばそれに甘んじても良い気がする。


「ありがとな――」


 空になった箱を握りしめ謳う。

 空白は青に澄むのだった。

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