翠玉の事件簿〜欠けた遺体の真実〜

yolu(ヨル)

第1話

 別荘とはいえ辺境伯の屋敷だけあり、ステンドグラスが華やかな光を落とす廊下をひたすら進む執事の背に、僕はどうにか問いかけた。


「あ、あの、なにが、あったんです?」

「……その、死体がありまして」


 隠したい意図を感じる。周りに誰もいないにもかかわらず、声が小さい。

 だがその事実に、僕は内心、喜んでしまった。

 初任務の挙式がなくなったのは間違いない。これで出世街道に傷がつかないで済む。


「では、挙式は中止で」

「行ないます」


 僕の声を遮り、振り返った執事の目は、言葉以上に断言している。


「3日後の挙式までに、犯人を見つけてください。碧薔薇の聖騎士、アキム様」


 唐突な事件の始まりなのに、僕の足は止めることを許されない────





 16歳になった今日、僕はイジェス神の遣いとされる『首の聖女』を救った英雄として、イジェス教の聖騎士団・碧薔薇聖騎士団の一員となる。


 騎士団の制服は誠実の白を基調にしており、腰より長い上着、そこに下げられた剣の重さ、軽装ながらも防具と、着心地に違和感を感じる。

 だが生まれたときからいっしょの執事型魔導球体関節人形オート・バトラーのロドスがついて歩いてくれている。これだけで心強い。 

 他人に言わせれば、『気味が悪い魔導造形師のみが作製できる魔石で動く貴族のお遊び美術品』だが、彼は僕にとって大事な家族であり、相棒だ。


 今、ロドスの鏡面の顔には、聖騎士のトレードマークである碧薔薇と、3枚の花弁が舞っている。

 ……あと、2枚、花弁が舞えば、特級騎士の称号・老騎士オールド・ローズを持つ、ヴォルガと肩を並べられる──!


 浮き立つ心を抑えられぬまま歩いていたのがまずかった。

 イジェス教の聖騎士団員になると、みな兄弟となり、先輩後輩は兄や弟と呼ぶしきたりがあるのだが、前方から歩いてきた先輩兄たちが僕と確認すると小声で囁き、ゆっくりとすれちがう。


「──この兄殺しが」


 会釈をしたせいで反応が遅れた。

 すれ違いざまに背中を殴られ、咽せながらも、僕は背後についているロドスを遮るように回り込んだ。


 育ての親が言っていたのだ。

「卑怯な手を使う奴は、壊しやすい物から手を出すもんだ」と。

 その通りの行動に、僕の心に辛うじてとどめていた『夢に見た騎士像』が崩れる音を聞く。


「……ちっ」


 図体が丸い兄は、舌打ちとともに慌てて手を引っこめた。

 睨んでくるが、僕の顔を見て殴る度胸はないらしい。


「あの」


 僕の声に、びくりと兄たちは体を固めた。


「僕がを殺したのは間違いないです。だから僕を殴るのは構わないです。でもロドスに傷をつけたら、僕はあなたたちに何をするかわからない」

「はっ。庶民が贅沢品なんか」

「ちがうっ」


 思ったよりも大きな声に自分でも驚きながら僕は続けた。


「僕の、最後の家族ですから」


 大きな舌打ちと、「人形が家族とか」と聞こえてくる。

 鋭く睨むと、「平民のくせにっ」言い捨て、唾を靴に吐かれた。

 けれど、僕の心は乱れない。


 常にはめている手袋を脱いで、ロドスの体を簡単にチェックしていく。

 執事型の魔導人形は、身長が高め、ボディは細く、さらに繊細な動きが主な仕事になるため、かなり華奢な男性型球体関節人形だ。少しの衝撃でも不具合がでるため、足元から肩と確認していると、ロドスが僕を覗き上げた。


「あ、ロドス、魔術で傷つけられてたりとか、ない?」


 ロドスが首を横に振ったので、遠隔での危害はなかったようだ。

 手袋をはめなおしながら、兄たちの背を視線で追いかける。

 ちらちらと僕を振り返る兄たちが、廊下の角を曲がるのを見送って僕は歩き出す。

 ただ彼らの背には、花弁が1枚だけだった。

 僕より2枚も少ないとは……

 それでは遠隔で傷もつけることは難しい。


「……めんどくさいかも、これから」


 ロドスが頷いた。

 彼に感情があるかまではわからない。言葉を発しないからだ。

 だが言葉は理解している。ただし、言語を理解する魔導人形は繊細な魔術回路が複雑なため、大変値も張る贅沢品になる。

 そんな相棒と、新人の僕の背には3枚の花弁、その上、皆が慕って尊敬していた兄・ヴォルガを、……僕にとっては、育ての親を、僕が殺した。


「……兄殺し、か」


 言われた言葉を音にすると、自分がやったことじゃないように聞こえてくる。

 僕ははるか遠い遠い『あの日』を思い出していた。

 何度も何度も思い出しすぎて、きっとどこかがおかしくなっている、大切な記憶の『あの日』だ。


「──今日からオレが、君の家族っ」


 抱きしめながら、ヴォルガが僕に言ってくれた言葉だ。

 5歳の僕とロドスを引き取ってくれたのは、彼が20歳のときになる。

 引き取ってくれた理由は簡単だ。

 母女が腐っていたからだ。

 なぜ「だろう」というのかは、首から上がなく、唯一、肌身離さずつけていた母のペンダントが残っていた、それだけの理由になる。


「──アキム、君なら、大丈夫。……待ってるからさっ」


 ヴォルガの最後の声が蘇る。

 たった半年前なのに、声も表情も、霞んだ気さえする。


 この事件が起こったのは、特別行事の日だ──


 『首の聖女』が祀られている塔の上で、式典が行われていた。

 僕はヴォルガの見習騎士となっていたこともあり、ロドスも連れて入ることができたのだが、それはヴォルガの功績のおかげだと口々に告げられ、少し自慢げな気持ちにもなり、僕もそれに見合う騎士にならねばと思った日でもあった。


「緊張してる? 実はオレも。今日は首の聖女も出席するはずだよ」


 首の聖女を見られる機会はそうそうない。

 重要な記念式典でも、間近の謁見はほぼ叶わず、老騎士になった際の任命式が唯一の謁見のはずだ。


「今日は首の聖女が、地上に遣わされた日の記念式典なんだって。戦争以来の式典でさ、だからオレも初めてなんだよね」


 いつものように軽い口調で僕と会話したヴォルガだけれど、式典が始まってから彼の雰囲気が変わった、と、今では思う。


 式典の中盤、大司教が演説を始めたときだ。

 虫すら殺さないヴォルガが、大司教を氷魔術で縦半分に斬り落とした。

 ゆっくりと別れた左右の体は、血と内臓を床に散らし、そこでようやく、混乱と悲鳴、困惑と怒号が飛びだした。


 その場から走りだしたヴォルガの背を追ったのは、いや、追えたのは僕だけだった。

 だから僕は、ヴォルガを剣で刺した。

 そうせざるを得なかった。


「アキム、君なら、大丈夫。……待ってるからさっ」


 最強の剣士であり、世界随一の魔術師だった彼は、いつもみたいに優しく微笑みながら、塔の上から樹海の奈落へ堕ちていった──



 イジェス上層部は、この件を公にしていない。

 限られた人間が見た、かいつまんだ事実だけが独り歩きした結果が、今の状況だ。

 お陰で僕の兄殺しが先行した挙句、表向きには僕は首の聖女を救った英雄として、16歳になった今日、イジェス教の聖騎士団『碧薔薇聖騎士団』の一員に、僕はなる。

 上官よりも枚数が多い、一輪薔薇騎士ローズ・ペトゥとして、僕の騎士人生が始まるのだ。


 だからこそ、誰よりもはやく、それこそヴォルガよりもはやく、僕は五枚の花弁を持つ老騎士オールド・ローズになる。


 これは母との約束であり、僕の使命だ──

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